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社会貢献ってなんやねん。

社会貢献という耳に馴染み、手垢がつきまくった単語を聞いても殆ど誰も、何も感じることも無ければ考えることも関心を持つことも無いのでは、と思います。現在の金儲け優先の経済価値に偏重した世の中では、社会貢献とは時間か暇(もしくは両方)を持て余した人によるボランティア活動を指しているか、もしくは必死で金儲けに力を注いでいる経営者が従業員を雇用している事や、節税しまくった残りを税金として納めている事でそれを行なっている。と胸を張る、それ以外の人にとってはあまり関心も関係も無い言葉になってしまっています。普段の生活にあまりにもかけ離れた関わりのない言葉になってしまいました。

社会貢献とは、法人または団体、個人による公益、あるいは公共益に資する活動一般。
①社会に資することを目的として行う直接的な社会貢献
慈善事業、フィランソロピー、メセナ、ボランティアへの援助、特定の慈善活動への人材資機材の供出、寄付
②特定の事業や行為をすることが結果として社会貢献につながる間接的な社会貢献
 営利活動を通しての結果的な社会問題の是正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より抜粋

動物と人間の違い

社会貢献に無関心に暮らすのは、生きる事に精一杯、腹一杯飯を食って生き延びることが目的だった戦後の焼け野原に生きた市井の人達ならばそれでしょうがないと思いますが、世界でも有数の豊かさを享受している経済大国に生きる者として少し寂しい気がします。人間は役割を発明し様々な個性の人が一つのところに集まって社会を構築したからこそ他の動物と全く違う進化を遂げたと言われます。人が感じる幸せは人との関わりで感じる相対的な感情と言われますが、社会性、人との関わりを完全に切り離してしまうと生理的な幸せ以外の感情も感じなくなるし、生きる目的は種の存続だけになってしまいます。それではただの動物の一種です。ちなみに、犬でも社会性に幸せを感じると言われます。。

人が生きる目的

人間が人間である理由にもなっている人と人との関わり、社会とはホモ・サピエンスの存在理由、存在意義に関わる重大なファクターです。それに貢献するのは人なら必ず意識して行うべき事で、無関心を決め込むのは(少々大袈裟に言うと)人である事を自ら否定する所業になると思います。日本で最も多くの人に読まれたベストセラー本は福沢諭吉先生の「学問のススメ」ですが、明治から昭和初期の日本人は殆どがそこに書かれていた概念に触れたと言われます。その書籍の中に書かれているのは「額に汗して働いて家を支え、家族を養ったからと言って満足するな、その程度の事は獣や鳥、虫でさえも行っている。そんな事で万物の霊長たる人間の本分を果たせる訳ではない。先祖から受け継いだ文化、文明をより良いものにして良い世の中を次の世代に引き継いでこそ人としての目的が達せられる。」(私の意訳)と書かれています。

日本没落の原因

この福沢諭吉先生の提唱された人間の在るべき姿を明治から以降、太平洋戦争に敗れてアメリカに植民地支配を受けるまでの日本人は胸に刻んでがむしゃらに西欧列強に対峙して国力を高めて来ました。そのお陰で敗戦で焼け野原になり、植民地として支配され骨抜きにされながらも日本は奇跡と言われる程の復活を遂げて世界の表舞台へと駆け上がりました。その根本にあるのは、人としての在り方として、社会に貢献しようとの気概に満ちた人が多く存在したからだと思っています。現代に生きる多くの人が社会貢献という言葉に無関心を決めてしまうと明治以降の成長の真逆、没落と疲弊のスパイラルに陥ってしまうのは想像に難くありません。そして、今の日本が20年間賃金が上がらず、世界に取り残されようとしている体たらくは圧倒的多数の人達が社会貢献に対してなんの感情も意識も持たない事、行き過ぎた個人主義、拝金主義に起因しているのではないかと思うのです。

「G7」7カ国の平均年収推移(2000年〜2020年/ドル建て)

主体的な学びにしか本質はない

小さいながらも3つの法人を立ち上げ、それらの代表を務めて20年以上、休みも無く走り続けている私にとって、自分の役割を全うして志を叶える=社会に貢献するのは仕事そのものであり、言い換えると人生そのものです。起業の際に掲げた志を実現すべく人生の殆どの時間を突っ込んで来た私にとって世の中を少しでも良くして次世代に引き継ぐ事は何よりも優先すべきことであり、人生も命も賭けて全てを突っ込む対象であり目的です。そんな私にとって社会貢献と言う言葉は非常に身近な常に近くにある単語です。しかし、そんな私も、生まれた時から世の中に貢献したいと生きてきたわけではありません。むしろ、全くその逆で若い時は今だけ、金だけ、自分だけ良ければ良いと、ロクでもない所業を積み重ねてきました。人に偉そうに言える立場でもないのですが、一つ言えることは大人になってから様々な学びを得て、世の中に対する認識を改めてきたということです。裏返せば、子供の頃、学校ではそんなことは一切学ばなかったということでもあります。

社会にこそ価値がある

学びの機会を持つことで、それまで気が付いていなかった当たり前の本質に気が付かされ、思考や態度、そして行動に変容が起こり人生そのものが大きく変わる。そんな経験を得て今の私があります。もともと、悪ガキのポンコツだった私が、社会に貢献するために仕事をしているし、生きていると口にするようになったというのはもの凄い大きな変化であり、私と同じようなことが、学校生活に馴染めずに学歴社会からドロップアウトしてしまう若者達に起こったら日本の国は大きな成長と発展を遂げる可能性があります。そして、学校では学ばなかった当たり前のこと=原理原則は社会に出て、様々な人達と縁を頂き、出会い交わることで教えられ、学ばせてもらえたのも事実。やっぱり、社会こそ、人間が最も重要視するべきものであり、そこに貢献することで次の世代を担う若者、子供達により良い環境を残すことができるようになります。そもそも、人はその繰り返しで進化してきたのだと思うのです。社会貢献という言葉がもっと日常的に使われる世の中にしていきたいと思った次第です。

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経済と道徳の合一の必要性を建築実務者に伝える研修を行っています。


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