志を立てるのがなぜ万事の源なのか?
すっかり毎年恒例になった年末の一般社団法人職人起業塾フォローアップ研修を今年も神戸で行いました。今回は志を立て、在り方を見つめ直す原点回帰のワークショップ、本質的コミニケーション講座、そして塾生たちによる志の発表と内容盛りだくさんの4部構成で行いました。例によって時間が足らなくなり研修が懇親会にまでもつれ込んだのはご愛嬌、今回はコロナの影響もあり参加者は少なめでしたが、それなりに充実した良い時間になったのではないかと思います。
志を立てる絶大な効果性
「志を立ててもって万事の源となす。」とは吉田松陰先生の有名すぎる言葉です。今回のフォローアップ研修では改めて志を立て直すとともに、なぜ志を立てることが大事なのかと言う理由を参加者に丁寧に説明し、理解してもらう時間を持ちました。経営者にどのような若者を採用したいですか?と問いかけると「高い志を持った若者」との答えがかなりの確率で返ってきます。逆の側面から見れば、学生は学校での勉強ができたとか、運動で成績を残したとかよりも、志を立てていれば採用試験に合格する確率が高くなるということです。こうして整理すると、心の持ちよう、考え方次第で人生を左右する重要な岐路の結果が大きく変わるわけで、少し不思議な気もしますがそこにはしっかりとした理由があります。
世界は理屈だけでは通らないもの
テクノロジーの進化によるICT、情報革命が世界を席巻し、私たちの生活様式は20年前とはすっかり変わりました。これからはこれまでの延長線上にないと言われますし、まったく新しい世界に私たちは足を踏み入れていると私も思っています。しかし、同時に人の基本的な営み自体は1万年前から大した変化していないとも言われます。確かに、生活様式や使う道具が変われども、いつの時代も変わらずに存在するものが確かにあります。
その代表的なものが人間が持つ本能で、人の行動や選択は理論や理屈だけで説明しきれないことが数多く存在します。人は不健康になるものを食べたり、飲んだりするし、運動の効果を知っても身体を動かそうとはしないし、コツコツ習慣を積み重ねたら成果を手にすることができるのが分かっていても行動に移さなかったりと、ロジック通りにならないことは枚挙にいとまがありません。
人は縛られるのを嫌う
人が抗うことができない本能の1つに束縛を嫌うという習性があります。人類に農耕文化、定住社会が生まれた時から支配する側とされる側の上下関係が生まれたと言われます。イギリスをはじめとした西欧諸国が世界を開拓という名目で略奪を繰り返し、そこから生み出された奴隷制度が最も分かりやすい例ですが、人が人を縛りつけるのは自然の摂理に反していて、人類の歴史は自由を追い求めてきた戦いの歴史との見方もできると私は思っています。
人は人に縛られるのを嫌う、そしてそれは他人からの束縛だけではなく、自分自身で縛るのも同じように本能的に嫌がります。現代社会は法によって治められている以上、社会生活を送るには法律や人との約束を守るのは不可欠で、そこはなんとか理性的な判断を殆どの人が出来るので社会が成り立っています。しかし、自分自身との約束ともなれば、反故にしたところで誰にも怒られることも罰せられることも無いだけに本能的に逃げてしまいがちになるのです。
計画の立案と実行が全て
およそ世の中の事業はシンプルに突き詰めると全て計画と実行で成り立っています。無計画、行き当たりばったりで成り立つに越したことはありませんが、事業の規模が大きくなるにつれ、事業者の責任も大きくなりますし、多くの人が先行きが見えないと将来に不安を感じるもの。それを解消するには綿密な計画が必要で、計画通りの実行が出来れば事業は成り立ちます。建築事業で例えるのが分かりやすいと思いますが、工事が始まる前の計画段階で詳細な計画を立案し、工事の着工、施工の段取り、完成までを綿密にシミュレーションし、その通りに実行すれば、契約通りの工期で工事は終わるし、品質も担保される、手直しや出戻り工事がなければ予定していた通りの収益が上がります。顧客の満足も工事会社の信用、信頼や収益、もっと言えば未来の受注までも当初の計画の精度にかかっていると言っても過言ではありません。それぐらい、事業における計画は重要ですが、実際は様々な外部環境や天候などの不確定要因が数多く絡まり合い、計画通りに完璧に実行するのは至難の業です。
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
自分自身でコントロールできる範囲のことを「影響の輪」と定義したのはスティーブン・R・コヴィー博士です。複雑な社会において不確定な要因は全て影響の輪の外にありますが、せめて自分自身でコントロールできる範囲に意識を集中してそこでの計画と実行を成し遂げたいものです。しかし、上述の縛られるのを嫌う本能が個人的な計画を立てて実行するのを阻みます。習慣が人生を作ると言われますし、習慣の絶大な力は誰もが認めるところにもかかわらず、習慣の力を使いきれない人があまりにも多いのはそこに原因があると私は長年の職人育成の経験を通して感じてきました。自分との約束を守るのは決して簡単ではなく、それを乗り越えるためには何かが必要なのだと気づいたのです。それが、志です。「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」とは吉田松陰先生が海外密航を企てて失敗した際に読んだ短歌だと言われています。志があれば人は習慣の壁どころか死の恐怖さえ乗り越えて行動できる生き物でもある証左だと思うのです。
本能を凌駕する本能
束縛から逃れたい本能と同時に、人は楽しい、面白い、嬉しい、そして誰かに喜ばれることに対して能動的に行動しようとする本能も持っています。こちらの比重が高くなれば、逃げる本能を凌駕して計画し、行動できるようになると思うのです。その状態はどのようにして生み出されるのか?その問いに対する答えが何のために行うのか?との問いに対する明確な答えを持つことであり、即ち志を立てることだと思っています。松陰先生のように、国家存亡の危機を救うとの大きな志ではなくても、誰かのために、何かのために一回きりの人生の時間を有意義に使いたいと真剣に考えれば志は生まれるし、その実現をイメージしてどのようにするか?=計画を立てるのもワクワクと楽しいものになると思うのです。
やっぱり、志が万事の源
ちなみに、私の場合は自分自身が職人として働いていた頃の、将来に常に不安を抱えていた原体験を元に職人の地位向上を志に掲げて起業しました。建築業界では異端と言われた職人の正規雇用やキャリアプランの構築、職人が現場作業以外の複数の役割を担うことによる働き方と所得の改革、その延長線上で現場から次の受注を創り出す現場主義の新しいビジネスモデルの構築、そしてそれを水平展開し、研修事業として全国に広める伝播活動を20数年に渡り継続してきました。現在は職人育成の高校の立ち上げに奔走しています。「そんな金儲けにならない様な事に突き動かされるように熱心により組むのは何故ですか?」と良く訊かれることがありますが、もちろん全ての源は20年前に立てた志を実現したいと思う一念です。志が事業を立ち上げるし、継続する原動力にもなります。今では全国の多くの同志が私の志を理解して協働してくれるようになりました。志を立てることの重要性を甚く感じていますし、それを広く多くの人に知ってもらいたいと思うのです。
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志を立てるところから現場価値の創造を目指す研修を行っています。
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