計画を遂行するためのもう一つの計画とインサイト
最近、計画の策定に立ち会うことが少なからずあります。起業して三十年近くなったら、多くの失敗を繰り返しているだけに、計画の筋の良し悪しが見えるようになったのもありますが、自分自身の試行錯誤だけでなく、アクションプラン(行動計画)の立案と実行を中心にした実践型の研修事業を長年行ってきて、圧倒的な人数の計画未達を傍で見てきた経験があります。その中で、計画は成果に結びつかないことの方が多いとの不都合な真実を認識するようになりました。ちなみに、辞書で「計画」を引いてみても目標に対して未達が当たり前のような文脈になっています。
ABプランとABテスト
「状況適応計画」とはあまり聞き慣れない言葉ですが、筋のいい人にとっては計画策定時にAプラン、Bプランを立てておく、計画立案時にABテストを行うのはセオリーといえばセオリー。目標達成にコミットし、絶対にミッションコンプリートするのだとの覚悟と決意があれば、自ずと状況のシミュレーションを丁寧に行って、環境の変化に対応する策を立てるのは当然です。逆に考えれば、状況適応計画を立てないのは目標やその大本である目的に対する執着が少ないと言えるのかも知れません。変化の激しく、劇的な転換が進む今の時代、たとえ一年先でも今のままの環境が続いているとは限りません。計画の遂行、目標を達成するにはもう一つの計画を立てておく必要が欠かせないということです。
もう一つの計画の前のもう一つの計画
確かにもう一つの計画は大事です。しかし、様々な人達の数多くの計画立案に立ち会っていて私が感じるのはもっと根本的な視点が置き去りにされていることです。百科事典からの引用にも「実施されない計画」が問題視されていますが、環境の変化云々の以前に計画が立てられたまま放置されて実施されないのでは話になりません。しかし、この事象は別段珍しいことではなく、百科事典に載ってしまうくらいよくある事です、残念ですが。そして、上述の計画が実施されない理由の説明は抜け落ちており、本来は「状況適応計画」だけではないもう一つの計画が必要ということでもあります。
実施されず、もしくは中折れする計画
実施されない計画って一体なんでしょうか?そんな計画、立てるだけで時間の無駄だし、やめておいた方が良い。と誰もが思うにも関わらず、世の中には実施されない計画がゴマンとありますし、状況や環境の変化に適応しながら目的や目標に達するまでやり遂げてこそ計画だと定義するなら、世の中の計画の殆どが「実施されず中折れした計画」になってしまっていると言っても過言ではありません。しかも、大きな目標であればある程、その傾向は強くなってしまっています。とても残念で違和感がありますが、実は、計画って所詮そんなもの、という意識が多くの人々の意識の中に根付いてしまっているのではないかと思っています。それは、子供の頃から、結果にコミットできていないまま、中途半端な計画を適当に立てる経験を積み重ねる機会があまりにも多くあるからではないかと考えています。
手段(やり方)ではなく目的(在り方)
上述の百科事典では「目標に到達するための主要な手段または段階とを組合せたもの」を計画と定義しています。私はこの時点で既に計画の破綻の種が埋め込まれていると考えます。本来、最も重要なのは目標達成ではなく、なんのための計画か?との問いに対する解である「目的」であるはずです。
この目的意識の希薄さが計画を根本的に機能しない薄っぺらな表面的なものにしてしまっていると思うのです。何がなんでも達成しなければならない、最重要、最優先で実現したい。その達成にオールインで全てを打ち込みたい。と言った強いモチベーションが源にあれば、計画は実践的で実現可能なものに自然になるし、そうなるまで計画の策定が続けられるはずです。
吉田松陰先生が「志を立てて、以て万事の源となす」と言われた言葉通り、計画立案の前に、何のための計画か?を突き詰めておくことが不可欠だと思うのです。
マズロー理論をひっくり返す
とはいえ、計画と言っても時間がかかる大きな目標から、短期間で行う小さな取り組みまで様々なレイヤーがあるし、もっと気楽に、気軽に立案することも必要だよね、との意見もあるかと思います。志とか、そんな大袈裟なことではななくて、と。しかし、私は誰もが一一度切りのかけがえのない、やり直しのきかない人生を過ごし、日々、貴重な時間を費やすのに目的の段階など必要ないと思っています。
マズローが提唱した人間の5段階欲求では生理的、安全、社会、承認、自己実現の5段階を、下から順番にクリアして次の欲求が芽生えるとの建て付けになっています。しかし、文明が発展し、情報やテクノロジー等の文明の利器を世界中の誰もが使えるようになった今、動物から人間への過程を段階を踏んで成長するなんて考えられません。フィリピンの離島スラムの小学生でもスマートフォンを持っている時代ですし、人間は生まれつき成長の欲求を持っています。学ぶ機会さえあれば、子供のうちから自己の実現である人生の目的について指針を固められると思うのです。マズローの理論をひっくり返し、あらゆる計画は人生の目的から逆算して考え、立案すればいいと思うのです。
Think deeply and carefully
これまで私が見てきた数多くの人達が計画を立てても遂行しない、中途で諦める、酷いケースでは計画を立てたことすら忘れてしまうのは、殆どの場合、計画を立案するにあたっての目的を深く、注意深く考察し、明確に出来ていないことに起因していると認識しています。そして、もっと問題なのは、それらの人達は全く目的を考えずに目標設定及びその達成の為の計画を立てた訳では無く、一応、考えるプロセスを踏んでいることです。所謂、考えた気になっている。というやつで、薄っぺらい思考はしないほうがマシぐらい意味がないのですが、その浅さに気がつかないのが最大の問題だと考えています。やったつもりは問題から目を背ける最大の問題です。
Why(なんのために?なぜ?)の問いは五回繰り返さないとインサイトに辿り着かないと言われます。もっと深く、もっと注意深く、自問自答を何度も繰り返す思考さえあり、その時間を確保する計画さえあれば、掲げた目的や目標に対する計画は遂行され、必ず結果に結びつくと思うのです。
”think deeply and carefully”でいきましょう!
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社会課題を解決するデザインを研究して、社会実装に取り組んでいます。