行けば地球が良くなる旅 in Philippines① 見捨てられた島と子供達の目に宿る光
フィリピンの島々を巡る旅をしています。
旅することで世界の課題を知り、視野を広げ視座を高める。ほんの少しでも社会の解決に取り組む意欲を湧かせる、そして、旅に行った人が何かに気づき、出来れば何かしら課題解決のためのアクションを起こす。
そんな行けば少し地球が良くなる旅を企画するNPO法人タビスキ。私はその法人の立ち上げ前から相談を受けていたこともあり、もちろん理念に共感して企画されたツアーには基本的に参加することにしています。前回はインドネシアのバリ島に行き、異国の文化に触れながら究極のエコホテルに宿泊し、そこでインパクトビジネスを創出しているソーシャルリーダーに話を聴き、現代のマザーテレサと言われるブミセハット助産院のロビンリムに会いにいきました。
前回までのツアーのまとめはこちら。私以外のメンバーの非常に深い振り返りもあります。
タビスキの強い想いを綴ったHPはこちら
私が年末に旅に出た理由
今回のフィリピン・ツアーは12月1日から5泊6日の旅程で、ツアーに参加するに際して申し込むのには正直少し躊躇いました。年末押しせまる12月の初旬の旅程は、誘いを受けた8月にはそんなに予定が詰まっていたわけではありませんが、何かと忙しくなる時期なのは明白で、日程が迫ってくると日本を離れる前後のタスクは詰まりまくり、予定をやりくりするのに苦しい思いをするのが容易に想像できたからです。実際、その予想通りになりました。。
しかし、主催の奥田さんから、今回もただ旅行に行こうと誘われた訳ではなく、しかも、世界の課題を実際に自分の目で見てみて、何か少しでもその解決に寄与できる事を考えて貰いたい。と言ったぼんやりとした目的を示されたのでもありません。「フィリピンで貧困問題に向き合い奮闘している日本人NPOのGo shareの人たちの活動に対する応援として、インフラが全く整っていない離島スラムに井戸を掘って人が生きるのに最重要な水の問題解決を実行しに行くから手伝って貰いたい。また、スラムの人たちが働ける場づくりにどん底の暮らしから抜け出すきっかけとなる観光スポットになるようなエコビレッジ構想に対して建築の専門家としての意見を聞きたい。」と、あまりにも具体的かつ、社会課題解決モデルの研究をしている実践者であり、教育という名のソーシャル・ビジネスに足を踏み入れた、職人出身の私が行かねばならない理由満載のオファーを貰いました。結局、即参加を決めた次第です。そんなゴーシェアさんのHPはこちら。
人生を変えるのは人と旅とご縁
今年56歳になった私ですが、近年、漸く本当に自分が行うべきことが見えてきたし、それに向かって進んでいると感じています。これまでの人生を振り返ると何度も大きな転機があり、それが繰り返されたことで、中卒のただの大工、何者でもなかった私が4つの法人の代表を務めて、自分が飯を食うためだけではなく、人の為、未来の為、お金じゃない価値を生み出す活動に注力することが出来る様になった今があるのだと気づかされます。要は、自分一人で成長や変化してきたのではなく、常に人との出会いからご縁が繋がったり、広がったりして刺激を受けたり、学びを得たり、応援して貰ったりしながら変容を繰り返してきた訳で、それは大まか、日常生活のルーティーンの中にあった訳ではありません。
もちろん、常日頃から本を読んだり人と出逢って知識や概念を学ぶのは重要ですし、そんなことから間接体験を得ることで、少なからず意識を変えることも出来ます。しかし、本当に己の血肉となり、生きる力を備えられる学びは体験ではなく経験です。非日常の時間=旅に出てフィールドワークしたり、文化の違うコミュニティーに混ざり合うエスノグラフィーで現地にしかない、非言語のインサイトに触れたり、それらを見出すせたりをきっかけにして、経験からパラダイムシフトを巻き起こし、在り方を見直し続けてきたからこそ今がある様に感じます。
人生を変える。人が生きがいを見つけたり、人生の意味を見出せたりと本質的な成長するには「人と旅とご縁」が絶対に必要だと思うのです。
社会課題以前の課題
今回も旅を通して得た経験とそこから生み出されるアクションのアウトプットとして、「行くだけで世界が良くなる旅」のコンテンツをこのnoteにまとめてみます。インパクトビジネス、ソーシャルビジネスの種がたくさん散りばめられておりましたので、CSVモデルを目指している、もしくはこれからそれを目指す方へのヒントとして少しでもお役に立てれば幸いです。
今の世の中には数えきれない程の社会課題が爆発的に蔓延していると私はこれまで思っていました。しかし、今回のフィリピンツアーでスモーキーマウンテンの現状やセブの市街近くのスラム、メインのアクティビティーだった井戸掘りを行ったパンダノンの離島スラムを訪れてみて、先進国が抱えている社会課題と、後進国と呼ばれる長年、欧米諸国からの植民地支配で搾取し尽くされた国とは大きくレイヤーが異なるどころか、全く次元が違うことを改めて思い知らされました。
そこで私が見たのは、災害や戦争ではなく、平時にもかかわらず、腹一杯食事を摂ることさえ、喉が乾いた時に水を飲むことさえできない、病気になっても医療も受けられない、学校が機能せず教育が受けられない子供が働いているエリアのコミュニティーとそこに暮らす人たちの営みです。人としての尊厳を守るどころか、動物として生きる術さえも確立できていない人たちがまだこの地球上にこんなにたくさんいるのだと衝撃を受けました。
私は4年前から事業ドメインを見直し、社名も変えて社会課題解決型モデル、CSV経営の事業実装にシフトする中で、社会課題の根本解決を突き詰めていくと教育に突き当たるのだと気付きました。そこから教育事業に足を踏み込んだのですが、ライフラインのインフラも整っていない場所では教育など二の次、広い視点で見ると教育は全く根本解決ではなかったのだとパラダイムシフトを余儀なくされました。
圧倒的な絶望と諦めと貧困の連鎖
今回、タビスキのツアーでご縁を頂いたのはNPO法人ゴーシェアを運営されるJeffとセイコさん。Jeffはセブ本島から船で1時間弱離れたパンダノンの離島スラムで生まれ育ち、日本人のセイコさんはJeffと結婚してその水も電気もない島で子育てをしたと言います。現在、離島スラムの圧倒的な貧困を解決すべく、様々なソーシャルビジネスを手がけておられ、その一つがスラムの若者たちと運営するソーシャルツアーです。観光客が決して入ることのないコロン地区(セブ島のスラム)に私たちが入ることが出来たのも、スラムで育ったメンバーの地元だから可能だとのことでした。
フィリピンのスモーキーマウンテン(ゴミ山)とスカベンジャー(ゴミ山で暮らす子供)は日本でも映画に取り上げられたりもして一時、有名になりましたし話題によく上りました。その時に映し出された悲惨な映像が今も私の記憶の片隅に残っています。しかし、貧困の象徴としてのイメージをフィリピン政府が嫌がり、閉鎖してからはあまり触れられなくなり、今ではあまり取り上げられ無くなって、日本では忘れさられつつある感さえもあります。しかし、現実は閉鎖後もゴミ山に住み続ける人たちは存在し、ゴミの中から売れるモノを漁って生業を立てていました。スカベンジャー達は閉鎖時には政府によって強制退去させられたそうですが、フィリピンにはゴミの焼却処分施設がなく、また違う場所に投棄集積され、次々にスモーキーマウンテンが生み出され、同時にスカベンジャーも居なくならない様です。それしか生きる道がないと思い込まざるを得ない圧倒的な絶望と諦めが底辺の人たちを支配しているように感じました。そんなゴミの山で生まれ育つ子供はやっぱり差別を受けるし、自己肯定感の低さからスラムの外の世界に出ることが出来ず、貧困の連鎖が繰り返されているとのことでした。
教育環境を整える前に行うべきこと
ただ、唯一私が感じた希望はスモーキーマウンテン近くのラーニングセンターを訪問した際に見た子供達の目に宿った光と、弾けるような笑顔です。日中にスラム街で佇む大人達の目には絶望しか見出せませんでしたが、スラムやスモーキーマウンテンで暮らす子供達の目にはまだ光を見出すことが出来ました。私の教育者としての基本理念である才能主義(人は誰もが良知を持って生を受けている)はフィリピンのスラムの子供達にも絶対に当てはまるし、自分の可能性を信じられるちょっとした成功体験の機会を作ってセルフイメージさえ書き換えることが出来れば、無限の可能性があると思うし、そう信じたいと思いました。
教育を受ける環境を整える事が出来れば、彼らは地域を国を変える力を持っていると思います。必要なのはそこに一歩歩みを進めるきっかけです。しかし、彼ら、彼女達に教育を受ける場を整える前に生きるためのインフラを整えなければならない。そんな厳しい現実を知る事になりました。離島のスラムに井戸を掘って水を供給したいと、今回のツアーが企画された意味を到着した翌日、セブ島のスラムやスモーキーマウンテンを巡って深く理解することが出来ました。この厳しい現実を言葉ではなく、体感として理解してこそ、タビスキのボランタリースタディーツアーが成立するのだと理解することが出来ました。次はそんな認識を持った上で行ったパンダノンの離島スラムでの経験について書いてみたいと思います。
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建築実務者向けの研修と本質的なキャリア教育を中心に据えた高校の運営を行なっています。