見出し画像

過去に放下着、未来に執着 #目的と手段の考察

諦めたらそこでゲームセットですよ。とは有名な安西先生の名言。ご存知の通り、国民的マンガとなったスラムダンクの中でのセリフです。
諦めずに目標達成までやり切る強い意志を持つことは人生を成功に導くと多くの先達が言われています。
男らしく潔く諦める。って言い方もするので、諦めることが全て悪だとは思いませんが、昭和生まれのスポ根世代で育った私にはどうしても残念な印象がつきまといます。ちなみに、安西先生はいくつも心に染みる名言を口にされていますね。

諦めてないし、手放しただけよ

小乗仏教の世界では執着を手放すことが人を苦しみから救うと多くの宗派で説かれています。四苦八苦は人が生まれながらに抱える苦しみであり、諦め悪く執着する限りそこから逃れることはできないと。手放すことで、心の平穏が保てるようになると、数千年の時を超え長年にわたって世界中に広められてきました。

執着を手放すと言うのと、若干ニュアンスが違いますが、ありのままの現実を認める「受け入れる」は、感覚的にとても近いと思っていて、あきらめるという言葉につきまとう残念な感じを能動的に拭っているように感じます。

諦めるのと受け入れるのは、外見の行動レベルでは同じように見えますが、考え方、心の持ち様を変えることで精神的なダメージを少なくできる先人の知恵なのかもしれません。心の平穏を追い求める宗教的な観点が「手放す」や「受け入れる」には反映されているようです。

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦(ドゥッカ、dukkha)の分類。根本的なドゥッカを(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし

生苦。衆生の生まれることに起因する苦しみ。
老苦 衆生の老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病苦  様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
死苦 死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。衆生が免れることのできない死という苦しみ。また、死ぬときの苦しみ、あるいは死によって生ずるさまざまな苦しみなど。

根本的な四つの苦に加え、
愛別離苦 親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること
怨憎会苦 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦 求める物が思うように得られない苦しみ
五蘊取蘊 - 五蘊盛苦とも。五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ
の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

執着が生み出すもの

諦めるな(執着しろ)と手放せ(執着を捨てろ)は全く逆の説のようではありますが、どちらが正解というものではなく、この世はすべからず表裏一体、陰陽が混ざり合ってお互いを支えて全てが成り立っていると考えれば、両方とも正しいし、実は混ざり合って明確に切り分けられないものだと考えています。

しかし、実際の日々の営みでは真逆の考え方を両立させて行動する訳にはいきません。結局、やるか、やらんかなのです。
常にどちらか選択をせざるを得ず、混ざり合っているが故に大きな迷いや悩みが生まれます。諦めずに食い下がるのは苦しいし、諦めるのは悔しい。手放してしまうと気持ちは楽になりますが、実は幾分か諦めの要素が混ざり込んでいる。心残りが生じます。
本当は実現したかった、手に入れたかったものに対する執着を完全に消し去るのは至難の技ですし、なんなら長年の修行が必要ではないかとさえ思います。

ちなみに、私は、習慣の力を使って、コツコツと日々積み重ねたら大概のことはできる様になると思っていますし、自分自身がそれで人生を変えてきたとの自負というか、原体験を持っています。やる。やり続ける。というのは毎日の選択であり、目的や目標に対する執着そのものです。

目標未達の嵐

話は変わって。
私は現在、大阪で一般社団法人職人起業塾主催の第23期イントラプレナーシップ研修を行っています。社会起業家精神を養う、もしくは事業を任せられる人材を育成する為のこの研修では、半年間の研修期間の間に、塾生達が何度もアクションプランを立案、実践、そして検証を繰り返します。

研修をきっかけに新たな役割を見出して、今まで行って来なかった業務に一歩踏み込んで期限を決めて目標設定を行い、新たな行動を起こします。
慣れない、得意でもない新しいことをやってみると、やっぱり上手くいかないことが多くありますし、気持ちよく目標達成する方がレアなのは致し方ないことです。

アクションプランとは行動計画であり、計画とは一種の約束です。目標未達は約束を破ることになるので、やっぱり気持ちが悪いもの。未達を繰り返すと精神衛生上あまり宜しくないし、段々と計画を立てて人に伝えるのが億劫になってきます。

私が研修の中でずっと言い続けているのは、人間には誰しも無限の可能性があり、誰もがその可能性を開花させないまま過ごしてしまっている。ということ。まだ自分でも気づいていない新たな才能に気づいてもらうには、意識的に、これまでと違うレベルで新たな習慣として継続的に取り組まなければ簡単に達成できない少し難易度の高い目標を敢えて設定する必要があります。

当然、そんな研修の場では「目標達成できませんでした」との報告が飛び交います。もちろん、喜ばしいことではありませんが、チャレンジをして、届かなかったと自分の現在地を知るのはそんなに悪くもないと私は考えています。

目的と目標

決められた期限の中で成果をあげる事が求められる経済中心の現代社会で暮らすには常に計画と目標がつきまといます。
また、人として生を受けた以上、目的を持って生きよ。と福沢諭吉先生は日本人に最もよく読まれた書籍「学問のススメ」に書かれています。

そこに書かれている目的とは、先人の築いた文化、文明のお陰で便利で快適な暮らしを享受できているのだから、それに甘えるだけではなく、少しでもより良い世界にして次世代に繋ぐ意図を持てとの、人として、生き物としてごく当たり前のことでした。

私もこれには完全同意していますし、人類は歴史を重ねることに成熟して、争いや貧困のない、誰もが恐れや不安を感じずに、シンプルに幸せに生きられる世界になるべきだと思っています。そして、そんな目的を世界中の人が共有していると信じています。自由、平和、平等、そして持続可能性の追求は人類共通の目的として認知されていると思うし、信じたい。
目的と、目標を定めるのは人の営みをより良くするする為の人類の発明であり、先人が積み重ねてきた知恵だと思うのです。

理想(目的)が苦しみを生む

理想を掲げる人にだけ目的やそれを達成するための目標が存在します。そして、私たちは人生と言う限られた時間で生きているだけに、目的にも目標にも必ず期限が付き纏います。

また、多くの事、重要な課題解決を成し遂げたいと思うほど、できるだけ早くに目標を達成したい、早く回転させて次々と先に進めたい。と誰しもが考えてしまいます。

そんな期限付きの目標(しかも出来る限りスピードを早めた)があるからこそ、達成できない挫折や苦しみが生じます。それらは、受け入れがたい現実となってしょっちゅう私達に突っかかってきます。
その都度、私たちは諦めずに食い下がるのか、執着を手放して、未達成の事実を受け入れて目標達成へのチャレンジをやめてしまうのかの選択を迫られます。実は、理想を掲げる事が苦しむを生み出す構造になっているのです。

目的→目標→計画→未達のパラドックス

スポ根世代の私ですが、根本的な考え方として、理想の実現、目的達成は苦しみの上になくても良いと考えています。
血反吐を吐いて地獄の苦しみを乗り越えないと目標達成能力が身につかない。虎の穴に入って修行しなければ本当の強さは身に付かないと子供の頃、散々刷り込まれました。なので私はギリシャ哲学のストア派のストイックな考え方に長年傾倒してきました。自己犠牲を強いてでも目的に向かって進む選択をする覚悟をリーダーは持つべきだ。との論調が大好きでした。

しかし、この世の中で理想を実現させるには、結局、多くの人からの共感とそこから繋がって形成される共同体の構築しかないのだと徐々に分かってきました。一人の人の強い善き想いから全ては始まるのは間違いないのですが、一人で出来ることはたかが知れています。

多くの人に共感される目的や目標を掲げるからこそ計画は壮大になります。それが多くの人との連携が必要なのは自明の理、共に取り組んでくれる人を多くつくることが結果、目的の達成に繋がるとすれば、間口は広く、ハードルは低く設定する方が良い様に感じます。
そして、人の幸せの実現、多くの人を苦しみから解放することを目指すなら、達成可能性の低い計画を立てて、わざわざ苦しみを生み出すことはするべきではありません。

諦められないし、急がねばならない理由

では、計画は緩く、未達成にも寛容に、あるがまま、なすがままに受け入れるだけで、限られた時間内で目的を達することが出来るのかというと、残念ながら絶対に理想の実現が叶うことはありません。時間はあらゆるものを腐らせる性質を持っており、時間がかかることでどんな価値があるものも腐って無価値になってしまうのは、物質だけではなく、ビジネスモデルもサービスもアイデアも身の回りにいくらでもあり枚挙にいとまがありません。

また、人間は環境の生き物であり、大概の苦しみや悲しみにも時間と共に慣れてしまいます。理想を掲げるとは、現在の状況、環境に問題があり、受け入れ難い現実をなんとかしたい。と強く想うこと。諦められない願望こそが理想であり、目的になるはずですが、その実現に時間がかかりすぎると問題意識さえも薄れてしまうもの。

諦められない。絶対に手放すことも受け入れる事もできない課題があり、その解決を本気で考えるなら、出来るだけ短い期間でそれが達成できる計画を立てるしかないのです。もちろん、そんな強い想いがなければ急ぐ必要も執着する事もありませんが、人として生きる上で、人生の意味や目的に正面から向き合うと、自ずと一所懸命になってしまうものだと思っています。

ただ、思うように行かなかった結果に執着してもしょうがない。そこは放下(手放して)次の目標に向けて情熱を燃やすのが良いのではないかと思います。計画は手段、上手くない手段はどんどん手放すべきだと思うのです。

理想を求める、受け入れ難い現実をなんとかしたい。本当にそう思うなら、やっぱり諦めず、未来に対して執着して生きる方がきっと、人生に悔いは残らないと思うのです。諦めたくない、絶対に諦められない強い想いが世の中を少し良くする原動力になると思うのです。

_________________

失われつつある日本を取り戻したい、教育改革から。
そんなやむにやまれぬ想いで全国にキャリア教育の学校の普及を展開しています。同じ想いを持たれている方、繋がってください。









いいなと思ったら応援しよう!