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問いなくして経験なし。経験なくして問いなし。 〜自省と自問と人との出会い〜

20年前、私に理念経営と原理原則型マーケティングを学ぶきっかけを与えてくれた先輩経営者はちょうど10年前の年末、突然あの世に旅立たれました。メンターとして慕っていたその方が私に言い遺した言葉は、今も私の胸の奥に深く刻み込まれていて、経営だけでなく人生の指標として今も私のパラダイムを形成しています。その一つが「人は内省をすることでしか成長しない。」です。

内省なくして進化成長なし

自ら省る。とは論語にあり、弟子の司馬牛とのやりとりの孔子の言葉で「君子は憂へず、懼れず。内に省みて疚しからざれば、夫れ何をか憂へ何をか懼れん。」とあります。現代辞書を引くと、「哲学では、自己意識についての反省的思考を意味し、心理学では内観と同じに用いられる。」と定義されています。
自ら省るとは自分に問いを立てることに他ならず、昨日のnoteに書いた「2つのWhy(何のためにとなぜ)」の矢印を自分自身に向けて撃ち放ち、なぜなぜを何度も繰り返すことで、反省と共に真の課題、インサイトを炙り出す思考と行為です。七つの習慣で取り上げられている、全ての問題は自分自身の中にあるとのインサイドアウトの概念の源はここにあります。長年、私はこの言葉を心に留めていますが確かにこのプロセスを全く持たずして進化も成長もないと思うのです。そして内省とは自問はセット、外部環境や人のせいにするのをやめて、自問することしか絶対に人は進化成長することは出来ません。

本質に向き合うには自問しかない

高く聳え立つ山のように立ちはだかる様々な問題や課題に対して表面的な対処に追われる。まるでモグラ叩きのようにそれを繰り返すばかりでなく、根源的な課題解決に進むために本質を見極めるにはWhy(なぜ、なんの為に)との問いを繰り返すのは極めて重要です。しかし、これは決して簡単なことではなく、人から繰り返し問われると詰問だと捉えてしまいがちです。人から詰問されて仕方なく出す答えは、本質でも、インサイトでもなくて、苦し紛れにその場を片付けるだけの方便になってしまいます。それどころか、なぜなぜを執拗に繰り返すことで人間関係を損ねたり、投げやりな態度を生み出したりと全く逆効果になってしまうこともしばしばです。インサイトを見出すとされる「Whyから始める」には自問するしかないのです。

男子の志は塩のように溶けやすい

自問の重要性は他にも多くあります。その一つが人は弱く、自分の弱点に目を向けることを無意識に避けてしまう習性から抜け出す思考への転換です。世界を変えるには自らが変わり、行動するしかないのは誰しもが分かっているのですが、なかなかそこに足を踏み込めないのが実際で、誰かが何とかしてくれるのを待ったところで致し方ないとは分かっているのに薄々気づきながらも動けずに思考停止に陥る人はあまりにも多いと感じます。
また、一念発起して行動に移してもそれを継続するのは至難の業。自分の人生に対する責任、主体性を守るには自分との約束を守ることしかないにも関わらず、それを反故にしてしまい、太古の昔から繰り返し、圧倒的な成果を生み出すことが証明されているにも関わらず習慣の力を使えずに進化、成長の機会を逃す人があまりにも多いと感じます。
その根本的な原因こそ、真剣に、そして繰り返し自問しない、自分に向き合わないことだと思っています。

問いと経験のパラドックス

世の中の、もしくは自分自身の真実を抉り出す、誠実で真摯な問いは経験が生み出します。違和感や不条理、怒りを覚えた時に人は「なぜだ?」と疑問を感じるからで、行動し知見を広げることなくして新たな問いが立つ事はありませんし、世の中のこと、人の幸せ、理想の社会に関心が無い、今だけ、金だけ、自分だけ良ければいいとの思考の人に本質的な「なぜ?」は生まれません。視座の高さ、視界の広さ、視点の鋭さが世の中を良くする、経済のエンジンとなる世界との共有価値を創造する問いを生み出すのです。そして、自分の中にある本質的な声、ボイスは自分にしかわからないのです。
本質的かつ重要な問いが立てば、あとはその解の実現のために自分はどうするか?何ができるか?どのようにするか?いつするか?との自問と具体的な計画や行動が次々と生まれます。鶏と卵の理論になりますが、問いが立たなくして経験は生まれず、経験なくして問いは立ちません。

人は人でしか磨かれない。

この一見水掛け論的なパラドックスから抜け出すのが人との出会いだと私は思っています。本を読んでも気づきや知識は得られますが、生身の人との触れ合いとはインスパイアの程度に圧倒的な違いがあります。私が世話人として参画している経営実践研究会で、会長の藤岡氏が言い続けている「人は人でしか磨かれない。」「人を幸せに導けるのは人しかいない」との言葉が端的にその真実を言い表していると思っています。私も些細なキッカケでメンターに学びの場に誘われて足を運び、その結果、自問、自省の習慣を身に付け、多くの問いを持つようになりました。それが起業から20年を超えた現在も事業を成り立たせている主たる原因になっていると認識しています。
そう考えると、意外とチャンスはそこ此処に転がっているもので、問いを立てることの重要性だけを認識していたら些細なキッカケは進化、成長への大きなチャンスに変わるのではないかと思うのです。
問いを持つことから始め、志を立ててそれを具現化する。経済と社会的価値が両立するCSV経営の実践を学ぶ場があり、広く門戸を開けています。ご興味がある方は試しに一度、お声がけください。生きるに値する世界を実現する同志を募っています。

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なぜ、若者の死因の1位が自死なのか、なぜ学校に通わない子供が増えているのか、なぜ、若者は諦めているのか、なぜ、学歴社会に合わないだけで人生の選択肢に絶望するのか?そんな問いに対する解として、面接と作文だけ、やる気のみで合否を判断する職人育成の高等学校を運営しています。

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