家事のちから
自分が自分のボス
結婚するまで実家住まいで、家事経験はほぼなかったにもかかわらず、幸運にも、私は家事を好きになりました。
好きとはいえ、じゃあ完璧にこなしているのかというと、全然そんなことはなくて、掃除や整理整頓は「できてない」部類に入るんじゃないかなぁと思っています。いや、思ってるというか、はっきりいって、料理以外は全然できていません。でも、やっぱり、家事は好きです。
なぜかというと、家事の場では、自分が自分のボスでいられるから。
自分のやり方で、自分の基準で、生活をコントロールしている感覚を持てるからです。
いわゆる「仕事」の場では、ボスは自分以外であることが多いですよね。会社員はもちろんのこと、フリーランスや、たとえ社長であっても、自分の外にある基準で、仕事の成果を測られることがほとんどです。
だけど、家事は自分の家の中のこと。やり方も、OKラインも、自分で決めることができます。核家族化が進んだ、現代の都心の生活の中では特にそうです。
自分(たち)の快適さをつくるということ
自分基準でいい、と言われても、不安でしょうか?
家事がしんどい人、やらされ感が強い人。OKラインを、自分以外に委ねすぎていませんか?
正しい食事、正しい生活、美しい部屋、守るべき伝統?
自分の生活は、自分のものです。何を食べて、どんなタイムスケジュールで、どんな部屋に暮らしたって、本当は構わないんです。
健康や生活習慣との関係は気になるものですが、それだって、正解があるわけではありません。絶え間なく入ってくる情報や知識は、あくまで一つのヒントとして、自分の毎日を、人生を、快適に過ごすための工夫をするんだと考えれば、「正しさ」のために、先の見えない「我慢」を続けるのも少し違うなと、思えるのではないでしょうか。
一緒に住む家族がいたとしても、相手にばかり合わせなくてはいけないわけではありません。自分の基準を肯定しつつも対等に、その在り方をすり合わせていく。「私の快適さ」を「私たちの快適さ」へと、少し広げてみる。決して、自分を不在にはしない。そのこと自体が、生活をつくる、クリエイティブな作業だといえます。
社風を気にすることも、業界基準に合わせる必要もないし、前例もありません。家族のために尽くして、自分は消耗していく…というのも、やっぱり違う。家庭というのは、自分たちが自分たちのために、つくっていく場です。
消耗する家事から、ちからをもらえる家事へ。
人間が、自分のパフォーマンスを最大限に発揮できるのは、自分を信じて、自分の判断で、自分の行動をコントロールできている時です。
仕事の場であっても、そういうふうにできればもちろん理想ですが、自分のペースでトライできる家事という場は、行動を自信につなぐ、格好のステージではないでしょうか。
家事を担うということは、日常をちからの源にする、大きなチャンスを手にしているということ。そんな気持ちで、家事を楽しめたらいいなと思っています。
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