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✨ 真我は常に「ここ」にあり、ただ認識されるのを待っている。✨私的に超絶保存版


しょーきんぐ(shoking)ことSHOKOです。
お越し頂き、ありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ


今日は、少し難しく感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、今の私がまさに実践して体験している事を、今の私なりに綴ってみようと思います(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゚ஐ⋆


願望実現などの記事ではないので、ガッカリされる方もいるかも知れません。笑


でも、私が所謂スピチュアルな世界を抜け出し、真の精神世界へと学びを移行した理由には、やはり…

「真の至福・真の豊かさ・真の自由・真の愛」

を、求めたからだと思っています。


真の精神世界の真理は、少し難しくも感じますし、捉え方によっては厳しく感じる方もいらっしゃるかも知れません。


以前の私がそうでした。


あるがままを受け入れるなんて、出来ない…。
願望を実現させたい…。
望まない現実なんて嫌だ…。

そんなふうに思っていました。


それでも幾度となく、真の精神世界へと引き戻される出来事が続き、私は少しずつ理解を深めていくことが出来ました。


そして、少しずつではありますが、現実に振りわされず、一見望まない現象も「あるがまま」を受け入れられるようになってきました。


すると、自分が努力したり、問題だと思う事に対処することなく、現実(に見える幻想)が良い方向に向かうのです。


そんな時、穏やかな幸せを感じます。


昔の私が望んでいた、ギラついた超絶幸せ!みたいなものとは、全然違います。笑笑


そんな穏やかな幸せを感じる時、なぜか涙が出てきます。


これが本当の幸せなのだと、これが本当に望んでいた幸せなのだと、本当の自分が言っているのかなぁ。


そう思えるようになってきたので、このブログに真の精神世界の素晴らしさや、今の自分の感じている事を、書いていこうと決めました。


…と言っても、まだまだ自我が強く存在しているので、意識していないと自我に飲み込まれてしまいそうになりますが。笑笑


自我とは「思考であり、感情であり、知覚であり、記憶であり、心」だそうです。


あらゆる観念・想念・知識・願望・欲求も、全て自我によるものです。


心さえも、自我だったなんて…と、最初は戸惑いましたが、だんだん腑に落ち始めました。


私は決して、厳しさや難しさを伝えたいわけではありません。


むしろ、ほんの少しの勇気を出して実践してみると、「以前よりもずっと生き易くなる」「真の至福・自由・豊かさ・愛を受け取れるようになる」という事を伝えたいのです。


なぁんて、私もまだまだ実践者に過ぎませんが。笑笑


私の拙い文章力と理解力では、誤解を招いてしまうかも知れませんが、もし一人でも誰かのお役に立てたなら、本当に幸せです。


必要な方に届きますように✨✨✨



私達は…

自分が選び
自分が考え
自分が行動している

という「行為者」だと思ってきた。


それを疑う事などなかった。


けれど、《私》とは「観察する者」だった。


選択しているのは、誰か?
考えているのは、誰か?
感じているのは、誰か?
今〇〇しているのは、誰か?


その答えは、私。


でも本当は…
選択しているのは、私ではない。
考えているのは、私ではない。
感じているのは、私ではない。 
今〇〇しているのは、私ではない。
この肉体は、私ではない。


それらは全て、自我であり、思考であり、記憶でしかない。


ならば
私とは誰か?
私とは誰か?
私とは誰か?
………


自分の外側に答えを求めない・探さない。
自分の外側に幸せを求めない・探さない。
自分の外側に豊かさを求めない・探さない。
自分の外側に愛を求めない・探さない。


なぜなら、全ては自分の中にだけ!在るのだから。


そして、外側に何かを求めて探す時、人はその何かが「自分には無い」と定めてしまっている。


また、幸せや豊かさや愛を外に求め探す時、人は幸せになるため・豊かになるため・愛されるため、の条件や制限を自分に課せ、そうなるために「何か」を必要とさせてしまう。


…本当は、自分こそが幸せであり、自分こそが豊かさであり、自分こそが愛そのものだと言うのに。


外側に何も求め探さなくなり、常に自分の内側に意識を向けるようになると、自分に起こる出来事を、ありのままに受け入れていけるようになってくる。


その出来事や状況が、たとえどんなに望まないものに見えたとしても。


そこに「善悪・好き嫌い・望む望まない」などの判断を、何一つすることなく、受け入れられるようになってくる。


その出来事を、楽しむことさえ出来るようになるだろう。
その出来事に、感謝さえ感じるようにもなるだろう。


物事(現象)は起こり、留まり、消え去っていく。

ただそれだけのこと。


それを否定する事なく、ただそのままにしておく事が、最善最高の解決法。


決して解決しようなどと対処せず、静かにただ在ればいい。


真我を信頼し、先のことなど一切考えず、全てを明け渡していこう。


思考は《自我》だという事を忘れずにいよう。


そして思考こそが、不安や悩み、問題を生み出す原因であり、真実を隠すベールだったのだ。


いつも、今この瞬間のあるがままを感じ、今にだけ意識を向けていこう。


真の意味で、今を生きるのだ。


全ては、体験するためだけに起きているのだから。


体験とは、感情を味わい尽くすこと。


そうする事で、その現象は消え去っていく。



「嫌だ!」と否定したり、何とかしてその感情を味わう事を回避していると、それを体験するために再度似たような出来事が起きてくる。


それでも受け取らずにいると、いつしか絶対に逃れられないほどの大きさとなって、自分に突きつけられてしまう。


まさに、お手上げ状態となる…(^◇^;)


でも、それは本当は悪い事などではなかった。


ようやく私は…

「絶望感を味わうほどの体験や人生を歩んでいる人は、最高に恵まれているのだ。」

という意味が解ってきた。


なぜなら、その出来事こそ、自分の中にある観念・想念を、浮き彫りにさせてくれる宝だから。



そういう人生を歩んでいる人は
この人生で、悟りを開く人なのだろう。
この人生で、真我を実現する人なのだろう。

だから魂は、そういう人生のシナリオ(魂の計画)を、描いたのだろう。



◉何をやっても上手くいかない。
◉いつも手にしたものが消え去ってしまう。  
◉あり得ない出来事が起き、絶望の淵に立たされている。
◉いつも幸せが続かない。
◉波瀾万丈な人生。
◉誰かと居ても、孤独を感じる。
◉いつも何故か虚無感を感じる。
◉いつも不安や恐れ、焦燥感に苛まれる。
…etc

そんな人は、「自分は本当は恵まれているのだ」という事に、もう気づく時かも知れない。


ましてや、そんな人が精神世界に興味を抱いたり、望まなくとも精神世界に触れてしまったなら、尚のこと。



人生にあまり疑問を抱かず、平凡だとしても幸せを感じて生きている人を、人は羨ましく感じる。

なんとなく全てが上手く回っていて、運の良さそうな人を、人は羨ましく感じる。



けれど、覚醒した賢者達が口を揃えて伝えてくれているのは…

絶望感こそが、真我(神・宇宙)から与えられる最高のチャンス。

ということ。



今は、「普通の人が目醒める事ができる時代」になったのだとか。

この現代の先進国に生まれたならば、明日の食べ物や寝床を心配したり、危険から身を守らなければならない、といった状況下に置かれている人は、本当に少ないのではないでしょうか。

今は、そういった「身を守る為」に意識を使わずに済む時代。

明日を心配せずに、今この瞬間を生き易い時代、なのかも知れません。

そういう意味に於いても、自分に意識を向けて真我探求をし易い時代とも言えるのかも知れませんね。

また、集合意識が源へと還ることを決め、分離から統合へとシフトチェンジし、約5000年をかけて全ての魂(意識体)が源へ還る事が決まっているのだとか。

スピ界で二極化が騒がれていたけれど、それぞれの魂は、「いつ目醒めるか」を決めているわけだから、今世で目醒める必要なんてない。

というか、自我にそれを決める権限もなければ、自我の力で目醒めることなどできない。

だから、自分は目醒められるのか?などと、不安に思う必要なんてない。

でも先に挙げたように、人生に絶望したり、真の至福・豊かさ・自由・愛を求め始めたならば、それは魂が今世で真我へと戻る事を決めているのかも知れない。


ラマナマハルシさんや、弟子であるプンジャジさんは、「真我実現に、瞑想や苦行は要らない。」と伝えてくれている。

思考を追わず、どんな想念が起きようとも、「私は誰か?」と自分に問い続け、純粋に真剣に真我への探求へ努力する事を怠らなければいいと、伝えてくれている。

「真我探求は難しい」と思う事こそが、妨げとなる。

真我探求は簡単であり、誰にでも可能であり、真我へ還ることは、全ての人が持つ権利だと、伝えてくれている。

難しいという想念を手放し、信じきっていこう。


真の至福を感じたいなら
真の豊かさを実現したいなら
真の自由を手にしたいなら
真の愛に包まれたいのなら
真我へと戻っていこう。


あらゆる思考、感情、知覚、観念、判断、価値観、知識、願望、想念、そして心の全てを手放す事が…

自我から脱却する方法。
幻想世界から脱却する方法。

そして
自分への問いかけだけが
真我探求だけが
真我へ戻る方法。


この世界は幻想に過ぎない。
どんなに最悪に見える現象にも
どんなに最高で幸せに見える現象にも
一喜一憂せず、惑わされてはならない。

常に、意識を内側に向けていく。
常に、真実である真我だけを求めていく。

真我を探求するには
ただ自分の内側を見続けていけばいい。


真我は「なるもの」ではない。

真我は常に「ここ」にあり
ただ認識されるのを待っている。


写真はWikipediaより参照させて頂きました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゚ஐ⋆

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自分(真我)以外に力を明け渡さない。

そう決めているけれど、このラマナマハルシさんの瞳を見つめていると、それだけで浄化されていき、真我へと導かれる気がしてならない。

ラマナマハルシさんは真我に還った方。

真我は一つ。

ならば、私の真我はラマナマハルシさんとも言えるのかな?

ならば、自分以外に力を明け渡す事にはならないね。笑笑


今日も
自分を信じて。。
宇宙を信じて。。
大丈夫!すべては
うまくいっている☆彡

今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました😊

もし「ご支援・サポート」頂けましたら、心より幸せに思います。よろしくお願い申し上げます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゚ஐ⋆


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