「あなたの人生はあなたのもの」私にそう言った母は、再婚しなかった
私の母が最初の再婚をしようとしたのは、私が小学3年生の頃。私はそのときに母が再婚しなかったことに対して、もやもやしていた。母と娘という関係性ではなく、一人の女として、人として母にもやもやしていた。
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うちの母は、真面目だが恋もちゃんとしている人だ。母が離婚したのは私が小学生になる前。母から明確な原因や、本音をきいたことはないが、未だに女に強いられる田舎の慣習が嫌だったり、母が働いているにも関わらず父が子育てを全く手伝わず完全にワンオペだったことが原因だときいている。離婚してから20年以上経ち、私は本当の父親の顔も名前も覚えていない。離婚してからこれまでずっと、母と私の間では、彼のことは触れてはならないものになっているから記憶はなくなっていく一方だ。
2人はよく、夜に喧嘩をしていた。私は寝る前にかならず暖かいミルクを飲んでいたのだが、そのミルクを飲みながら、2人の喧嘩している様子をみていた。ときには喧嘩をやめてほしい、と泣いていた。だから、今でもホットミルクを飲むと、その匂いにつれられて、2人が喧嘩していたことを思い出す。
2人が喧嘩をやめ、決着がつき、私が母にひきとられることになったのは、私が年長のときの、大晦日の夜。母と二人で、最小限の荷物をもって車に乗っておばあちゃんの家に行った。わたしは紅白歌合戦を必死に見て、気を紛らわせていた。母と祖母が色々と話していたけれど、テレビに夢中で気づかないふりをした。もうこれ以上喧嘩しないんだ、もう大丈夫だと思いたかった。本当は、まだまだ荷物は父の家にあるはずで、そのことが気にかかったけど、私はそれから二度とその本当の父の家に帰ったことはないし、荷物のことを母に尋ねることもなかった。
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そこから、おばあちゃんの家で小学1年まで祖母と祖父と叔父と5人で暮らし、その後、母と私の2人暮らしが始まった。最初の家は、お風呂場にナメクジが湧いて出てくるぼろい一軒家。なめくじはすごく嫌だったけど、大好きなキティちゃんのベッドを買ってもらい、キティちゃんと一緒なら一人で寝れるもん!と、母と離れて一人で寝始めたのもこのときだ。
その頃に、母に新しい彼氏ができた。名前は覚えていないけど、背が高くて、さわやかで面白くて優しい人だった。私はすぐにその人のことが大好きになり、「お父さん」と呼ぶようになった。母と私は、ナメクジハウスよりは少しマシな一軒家に引っ越した。離婚の後のツギハギの生活から脱して、地に足のついた新しくて私たちらしい家族の生活をつくろうとしていた。新しいお父さんの家は、その家から車で30分。新しいお父さんは夜の飲食のしごとをしている人だったから、いつもわたしが寝た後、夜中に家にやってきていた。平日は顔を合わせることはなかったけれど、土日は一緒に公園に遊びに行ったり、スキーに行ったり、桃鉄をしたりして楽しい時間を過ごしていた。本当のお父さんとの記憶にはいいものがないけれど、新しいお父さんとの記憶は楽しいものだけ残っている。
いつの日だったか、車でお父さんの家に向かっている途中、お父さんと再婚しようかと思う、という話を母がしてきた。私はお父さんのことが大好きだったので、もちろんいいよ、と返事をした。再婚したら、引っ越しをして転校することになるかもしれないよ、と言われて、それは嫌だ!と言ったけれど。母の幸せは願うし、お父さんのことは大好きだけど、それだけは嫌だ、というのが子どもとしての主張だった。母はそうだよねえ、翔子のしたいようにさせてやりたいからねえ、と言っていた。
しばらく時間が経ち、気がついたときには、一切新しいお父さんと会うことがなくなっていた。お父さんと母は2人は好き同士だったのに別れたということ、私のことを思ったおばあちゃんに反対されたということだけ、子どもながらになんとなくわかった。私は、悲しかったし、悔しかった。わたしのせいで2人が結ばれないのは嫌だった。その時に一度だけ、母になぜお父さんと再婚しなかったのかをきいたことがある。なんと答えられたか覚えていないけれど、その答えに納得できなかったことだけ覚えている。それ以来、私と母の間で、この人のことが話題にあがったことはない。その後の母にもパートナーができたことがあった。そのうちの1人は紹介されたこともある。しかし、二度と母のパートナーをお父さんと呼ぶこともなかったし、深入りすることもなかった。
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母の口癖は「あなたの人生はあなたのもの」だった。私が、田舎を出るために中学受験をしたいと言ったとき、私が高校を辞めそうになったとき、私が東京に出たいと言ったとき、私が就活をしないと言ったとき、母はいつも「あなたの人生はあなたのものなのだから、好きにしなさい」と言って、私の自由で勝手な人生の選択を応援してくれた。
こんなふうに束縛をしない母に対して、私はありがたいと思っている。そして、社会にこびりついているつまらない規範にとらわれることなく私の想いを尊重してくれ、いつだって応援してくれる母が大好きだし尊敬している。だけどその反面、ずるい、とも思っていた。だって、母は、母の自分勝手な欲望であった「再婚」をしなかったのだ。おばあちゃんに反対されても、再婚したほうが自分にとっていいと思っているなら、すればよかったのだ。母の人生は、母のものなのだから。
母は、自分は自由に生きていないけれど、私には自由に生きていいという。そんなのずるい。私は母に幸せになってほしかった。母には、私の母としてというよりもまず、女として、人として自由に生きてほしかった。母が自由じゃないと、私も自由に生きてはいけない気がしたのだ。
もちろんこれはわがままな娘の言い分だ。母には、たくさんのしがらみがある。離婚をしたことで子どもに負担をかけたくない母という側面と、今後も一緒に過ごしていかねばならない祖母の娘という側面、地域での体裁を保つ必要がある仕事人としての側面、好きな男と一緒にいたいという女としての側面がある。そして、それらが複雑に絡み合っているから、純粋に女として一緒にいたいという選択肢を取れるわけがない。自分の人生を自分として生きる、ということは難しい。
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今、母には新しいパートナーがいる。再婚はしない、と言っていて、事実婚という選択をしている。母が仲良くしているので、娘として、女として、人として、良かったなあと思っている。ただ一方で、少し疑っている部分はある。本当に純粋な自分の欲望で付き合っているのだろうか、そして事実婚を選んでいるのだろうか、と。私に余計な心配をかけたくない、とか自分以外の人のための理由から今の選択肢を選んでいるのではないだろうか、と。
できることならば、母には好き勝手に、自由気ままに生きてほしい。これは娘のわがままな願いだ。母が好き勝手していたら、私は、辛いし寂しいかもしれない。けれど、母を自分勝手だと言って憎むこともできるし、私も母のことを気にせず生きていける。
だけど、私はたぶん、気づいている。子どもよりも自分の幸せを迷わず選択することはとっても難しいということに。そして、それでいて母も人として、自分の幸せも願わずにはいられないということに。そして、子どもはその狭間で生き、自分の人生を切り開いていかなければいけないことに。自分の人生を自分として生きることは難しい。