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『しくじり漫画先生に学ぶ、正しい第2ラウンドの戦い方』③


 夫婦のバカな会話にお付き合いいただきありがとうございました笑
 実はこの「おっぱいポケット論争」、子どもたちが寝静まり、夫婦二人で2時間ほども繰り広げておりました。本当にバカですよね。

 ただ、意外とこの「しょうもない」ようなことが、創作の上で盲点となることがあります。
 おそらくですが、このおっぱいポケットを描いているような漫画家や絵師は、自分のその表現が「おっぱいポケット」などと言われ、半ば嘲笑されていることは、重々承知しているのです。

 分かった上で、あえて描いている。
 なぜか?
 それは、その表現が求められているからです。

 下手すれば、「服のシワ、こんな風になる訳ないやん。この絵師、下手くそやない?」などと思われかねません。
 だけど、求められているから描いているのです。

 つまり、その絵を見る人に「下手くそ」とか「技術がない」とか思われることを、全く気にしていない。そんなことよりも、どうしたら人が喜んでくれるのかを最優先に考えている。

 私は、そんなクリエイターたちの姿勢を見習わなければならないと、今回の件で深く痛感しました。

 何かを志し、長年鍛錬を重ねてきた者にとって、その分野において誰かに「無能」扱いされるということは、自分の存在意義をも問われる超屈辱的な出来事です。
 それが、プライドというものなのかもしれません。

 そのプライドが邪魔をして、私は無意識のうちに「誰からも批判されないように」「誰からも評価されるように」創作を行っていたような気がします。
 しかし、私たちは、自分の技術が高いことを世間に知らせるために創作を行っているのではありません。

 誰かが私の作品を見て笑ってくれる、感動してくれる。
 過去の学びも鍛錬も、最初はそのために出発していたはずです。

 だったら、今、私が持っている技術も経験も、目的のために使うただの道具です。

 誰かに「下手くそ」「無能」と思われたって、そんなことどうだっていい。
 そんな風に開き直った先にしか、「私」だけの唯一無二の表現は現れてこない気がします。

 そんな大事なことを改めて気付かせてくれた、今回の「おっぱいポケット論争」でした。

 

 余談ですが、このおっぱいポケット、描いてみると意外と難しいんです。
 何が難しいのかと言うと、キャラの胸部をピタピタぴちぴちに描くと、それ以外の部分、例えば腰回りであるとか腕であるとかの描写も、同じ素材の衣服に包まれている以上、全てピタピタぴちぴちに合わせなきゃいけない、ということです。
 つまり、本当は「だぼーん」って描きたいのをグッと堪え、「ピタピタぴちぴち」に表現の全舵を切らなきゃいけない。

 しかも、おっぱいポケットに収まっているであろうおっぱいは、リアルではほぼあり得ない形をしていることになるので、ある意味おっぱいポケット仕様の空想上のおっぱいを想定しながら描かなければならない訳です。

 絵の全てのつじつまを、「おっぱいポケット」という架空の表現に合わせるという、これはとんでもなく難題でした。

 しかし、やっぱり夫君の言うように「描いてみる」というのは大事で、今回の件で、ひとつ私の表現、仕事の幅が広がったようにも思います。

 おっぱいポケット案件、お待ちしております笑

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