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18歳で描いた夢を25歳で全て叶えてしまった私に、第二の生き方を教えてくれ①


1.低すぎた人生のハードル

人生を悲観した女子高生だった。

薄ぼんやりと「自分のアイデアを形にしたい、開発職に付きたい」という夢があったものの、華やかな世界に足を踏み入れるのは最初から諦めていた。「就職しても女はお茶汲みをするもので、余程のカリスマでもないと開発職なんてなれない」と本気で思っていた。
恩師からは「資○堂のラボに行った友人は楽しそうだよ」と聞かされていたけど自分がその場にいる姿なんて想像できなかった。「万が一にコンビニ弁当の上に乗ってる梅干しとか、決められたらそこが人生のピークだ。そこで死のう」と思っていた。

憧れた恩師の後を追って、同じ国立大の理系学部に現役で入れる程度に勉強は出来た。
国立大理系のくせに、入学したら思いの外陽キャが多くて驚いた。中高と同じ英語研究会に入ったら、部員が150人いるし飲み会はドンチャン騒ぎで怯えた。「勉強の出来る陽キャ」なんて高校で見たことがなかった。

大学デビューできない、陽キャ怖い、スポーツもエンタメも好きになれない私は、英語研究会でギリギリの社交性を保ちつつ、1人遊びに没頭するようになった。

その中でカフェ巡りにのめり込んだ。

2.簡単になれた「何者か」

私の母校がある周辺はハイカラと呼ばれることも多く、歩けば個人喫茶に当たるような街だった。喫茶店はボッチに優しい。来た理由を話す必要もない。500円払えば、茶菓子付きで居場所を提供してくれる。幸せだった。

カフェに詳しいだけで友達ができた。話題の中心に自分がいた。レアなポケモンカードを持ってると人だかりができるのと同じだ。小学生みたいな友達の作り方だと思った。友達の作り方なんて国立大では教えてくれなかったから、仕方がなかった。ますますのめり込んだ。

気づいたら街中400店巡っていた。書き溜めたノートは10冊を超えた。ふと思い立って授業中にSNSで専用アカウントを作ってみたらフォロワーが35000人になった。まだ「インフルエンサー」という言葉すら聞き慣れぬ2015年のことで、学内でちょっとした有名人になった。


とはいえ本業は毎日微生物を培養してるだけの大学院生だった私に「いっちょ企業案件で小遣い稼ぎしてやろう」という気概はない。単純に就活のネタにして弊社の内定をとった。アカウントは飽きて捨てた。

いざ社会人になってみると、元アルファ(フォロワーが多いTwitterユーザーを指す古い呼び名)の私の入社前評判はすこぶる高かった。上司曰く「世間に興味関心が高く、発信力もあり、創作力がある新人」らしかった。

25歳、1年目で開発部に配属された。

「梅干し乗っけたら人生のピーク」とつぶやいた女子高生は、25歳で「夢を叶えたインフルエンサー」になった。

3.レベル999の先はない

数え切れないほどの商品を担当した。梅干しはおろか、一から立ち上げた企画が通ることもあった。ヒットメーカーではないけれど上司には気に入られ、会社に居場所はあった。
弊社は思ったよりも大手だった。同期の開発商品がテレビで取り上げられた時はちょっと悔しかったけれど、毎日それなりに「やりたいこと」が出来ている以上焦りは感じなかった。

...そこから、生き方が分からなくなった。

18歳からの夢を叶えた私は、心のどこかで「人生上がった」と感じるようになっていた。

仕事は好きだ。昇格もした。部下もいる。
お給料も世間よりは多いらしい。
多少のストレスは感じるけれどサウナで流せる程度だし、新しい趣味もある。

けど、叶えたい夢がない。

「夢=人生のピーク」に25歳で到達した私にとって、以降の仕事は全てカンストで、評価する軸も、次に目指すレベルも見つからなかったのだ。

焦った私は「死ぬ前に後悔しそうな事」を探し続けた。

大学時代に頑張った英語が活かせていないこと。資格らしい資格がないこと。インフルエンサーマーケティングを極めて一山当てなかったこと....

どれも「夢が叶ったこと」に比べたら、大したことではなかった。

諦めて趣味に没頭しようとした。
新しい趣味を見つけ、最推しも出来た。若い女性が少ないジャンルだったので参戦してるだけでチヤホヤされた。推しに認知された時はとても嬉しかった。

....今では公式に推しのPRを手伝っている。不定期・ボランティアとはいえ、推しが高じて運営サイドに足を踏み入れてしまった以上、ここから先はメンバーに転生するぐらいしかない。

結局ここでも「カンストしてしまった」。


仕事も推しも好きなのに、生きる理由が無い。
我が人生に 「一片の悔い」も見つからないからだ。

一方で、全てを捨てて第二の人生を歩む勇気も、まだない。次のルートも決められてないのに、今の「レベル999でプレイ中のゲーム」にリセットボタンを押せるわけもない。

この状態が7年続くと、もはや意味のわからない状態になってくる。希死念慮とも鬱とも違う(いやお医者さんには見てもらってないけどさ)何かやりたいと爆発して消えたいが交互にやってきて最近の休日は天井のシミを数えて終わってる。

漫画以外にもそんな奴、いるのよ。

極端なやつだと思うかもしれない。贅沢な悩みなのも知ってる。けど受験も、部活も、趣味も、就職活動も、順風満帆ではなかったし「ここまで」来るのにそれなりに頑張ってきた。18歳から25歳、7カ年計画って客観的に見てもそこそこ長い計画だ。

捨てられないよ。しがみつきたいよ。このままお花畑できほうがそりゃあ楽だよ。それが出来なくて苦しんでんだもん。

ここから先、数年間で私が試してみたことも
書きたいけど、ちょっとトイレ行ってくる。

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