親の介護と自分のケアの記録 その13

親に由来すると思われる生きづらさを抱え(いわゆる宗教2世当事者という側面もあります)、2021年3月からカウンセリングに通い始めました。
これから介護などの必要が生じて親と向き合わなければならなくなる前に自分の問題を棚卸ししたい。
そうカウンセラーに伝えた矢先、母が脳梗塞で入院することに。
自分を支えるために、その経過を記録しています。

3月初旬。
Kの教祖が死んだ。
日頃ニュースを全然見ない私はそのことを知らず、
夫から聞き、ものすごくびっくりした。

死んだことを知った直後に起こった感情は、
「やった…」という感じのものだった。
これで胸くそ悪い書籍の刊行が止まり、
実家にそういう本がこれ以上たまっていくことはなくなる、だろうか。
既におびただしい数のそういう本があるが。
人の死に、こんなにもうれしさや解放感を覚えたのは、
これが初めてだと思う。

その日は眠れず、教祖の息子(Kを離れ、Kの実態を暴くYouTuberみたいなことをしている)のYouTubeなどを見てしまった。
今まで、なぜか心理的抵抗を感じて見られずにいた。
私の中に、荻上チキが言うところの「宗教的残響」みたいなものが
あったのだろうと思っている。
教祖が死んだら、その抵抗感がすっと薄れる感じがあった。

教祖の息子は、わりと頭の切れるあんちゃんという感じ。
何本か見て、ああ、Kは宗教なんてものではなく、
すごい金づるを見つけてしまったクレイジーなワンマン社長率いる
悪徳会社に過ぎないんだな、と思った。
そんなこと、今ごろ気づいたの…?と多くの人に突っ込まれそうだ。
自分でもそう思う。
これは自分でも本当に認めたくないが、
どこかで「でも、本当はKが正しいのかも」という思いが
数パーセントくらい自分の中に残っていたのだと思う。
ばかばかしくてうさん臭いと、心底思いながらも。
小さいころに刷り込まれてしまったことって、恐ろしい。

母親のことが気になりつつ、怖くてまだ連絡していない。
母親はこれからどうするのだろうか。
全てがワンマン社長の妄想みたいな団体だから、彼が死ねば
徐々に縮小していくだろうか。
そうだといい。

しかし、30年以上よりどころにしてきたものが失われるとしたら、
それはどんな感じなんだろう、と母親を案じてしまう自分もいる。

今週の実家に行く日までに、自分をととのえねばと思う…
頭の中がぐちゃぐちゃ気味で、今はちょっとしんどい。



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