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「何でもできる」と思えなくなるときについて考えてみた。

「先生、大学生ってお酒飲むやろ。呑めるんかなあ。」
「先生、大学生になったら、パン屋さんでバイトするよ。」

みんなこれから大学生になる18歳だ。

18歳と聞くと、
ついこの前のような気がしていたけれど、
実はかなり前のことだった。

塾講師のバイトを始めて4年目。最近よく思うことがある。

18歳か、いいなぁ。

といっても
やり直したいか、と問われれば、そうではない。


高校生。今も大好きな友だちと出会った。部活に一生懸命だった。
毎日毎日、涙が出るほど、笑って
こんなに楽しくていいのか、と不安になるほどキラキラしていた。

気だるそうに頬杖をついてホームルーム。今日もだるい授業の始まり。

「はい、ノート忘れました」「保健室行ってくるわ」「早すぎ」「ねぇあの二人付き合ったらしい」
「え、そうなの」「前向いてー、教科書開いてー」「はーい」「え、彼氏と別れた?」「妊娠した?」「いやいや、してないだろ」「数Bのテスト死んだ」「6点だ」「32点だ」「勉強してないって言ったじゃん」「次、体育だよ」「着替えだる」「先生のインスタ見つけた」「お腹痛いからもう帰りたい」「いや、あと1時間だから耐えよ」「えー、次の英語の時間はハロウィンパーティーです」「やったーーー」「先生最高」「ケーキ作ってきたの」「え、すごすぎ」「男子元気なくなーい?」「女子がうるさいだけだって」・・・

ああ、ニヤニヤしている。

宿題が終わらない夏休み真っ只中、中学2年生は言っていた。
「私、大人になったらケーキ屋さんになりたい。なれるかなあ。」

「なれるよ!絶対なれるよ!」


成績が悪くて、塾へ通うことになった高校2年生は言っていた。
「俺将来やりたいこととかないし、どうしよう。」

「みんなそうだよ。たくさん好きなもの見つけたらいいよ。」

何にでもなれると思っていた15歳。
まだ、何にでもなれると思っていた18歳。


22歳。もう何にでも、とは思えなくなってきた。


「二十一。いい時期ね。何でもできる。」
小野寺史宜『ひと』2018年4月初版発行 p.289

2019年2月7日。ちょうど3年前くらいの投稿。
大好きな本のひとつだ。

インスタグラムには、「十九」とセリフを変えた。
さらに2年分何でもできるぞ、と得をした気分になった。

今も大切にしている、主人公の言葉がある。

僕は二十一歳。急がなくていい。一つ一つだ。急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先は見なければいけない。でも今も疎かにしたくない。だって僕は、生きている。
 小野寺史宜『ひと』2018年4月初版発行 p.294


ちゃんと前に進んできた。今に精一杯になって進んできた。

だけど、大学を卒業する今年はどうしても、
「先」のことで頭がいっぱいになった。

でも、明日もあるし、今日もある。

そういえば、ただ「先」を目指して生きてるわけじゃないんだよなぁ。今が最高に楽しくて、しょうがない。
大切なことは毎日のこと。


うん、でもまだ、能天気だ。
何にでもなれる気がしてる。何でもできる。


1年後なのか、5年後なのか、10年後なのか。



きっとこれから、
「何にでもなれる」「何でもできる」の代わりに
手に入れるのは、なりたい今の自分なんだと思う。



同年代の人におすすめの本です〜!!

・小野寺史宜『ひと』


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