名は愛を表す
人は誰でも、自分が他者からどれほど愛されてるか気になる瞬間があると思う。
そんな中で、一つの考えが浮かんだ。
“愛称の量”は愛情のバロメーターになるのではないか?
例えば、赤ちゃん。
赤ちゃんを育てる親は、次々と愛称をつくる。
このnoteを読んでいる方の中には、子を持つ親も居るだろう。
そんな方々は、きっと、自らの子を様々な名前で呼んでいるに違いない。
この例えが、あまりピンとこないという方もいるはずだ。
だが、例えば皆さんは、母親になった友達によるインスタのストーリー等で、『ベビたん』や『うちの天使』といった文言を目にした事はないだろうか?
そう。そういうことである。
確かに、あれだけ丸くて柔らかそうな愛らしい生き物がいれば、誰だってその様子を形容したくなるはずだ。
私が親なら白パンとかオモチ太郎と呼ぶだろう。
愛情と愛称の量が比例するケースは、親子だけではない。
愛し合う恋人同士だってそうだ。
長く付き合うほどに愛称が増えていく。
大抵、最初は名前を呼び捨てにする程度だったものが、徐々に『ひめちゃま』『にゃんにゃん』『ブー助』などと変化していくものだ。
…。
先程から、私の出す愛称のセンスが気になるかとは思うが、今は目を瞑っていただきたい。
(私は両腕の上部に大量のヒモがついた“逆・錦野旦”のようなアウターを、平気で着ていたような女だ。褒められたセンスなどないのである。)
話を戻そう。
ペットの場合もそうだ。
飼い主というものは、毎日自らのペットを見るたびに、新しいかわいさを見出してしまうという性質がある。
“ヒゲの長さ”にキュンと来たり、“鼻の色”にキュンときたり、その日ごとに見えるかわいさが違うのだ。
つまりキュンキュンする回数が増えるほどに、愛称も増えていくのである。
ペットを飼ったことのある人ならば、誰もがうなずくだろう。
ちなみに私は飼い猫を、“犬”と呼ぶことにハマっていた時期がある。
(別の動物の名前を使うことによって、猫特有のかわいさを引き出す効果がある。)
ここまで出てきた愛称のつけ方は、全て『かわいすぎてインスピレーションが湧く』というルールであったが、友達に対して愛称をつける際は別だ。
親密になるほどに呼び名が増えていく事には変わりないが、ここに“キュンキュン”の要素は無い。
友達の場合、相性の由来となるのは、大抵思い出である。
誰かが池に落ちればその人は“池ポチャ”と呼ばれるだろうし、オナラをした人がいれば“ブー太郎”と呼ばれるだろう。
友達に対する愛は“愛おしさ”よりも“仲間意識”に近い。
だから、身内にしか分からない愛称をつけて、仲間同士だけで楽しみたいのである。
逆に、“大人数では遊ぶけど、2人きりでは遊んだ事のない友達”や、“そんなに気が合うわけではないけど、集団の中で1人になりたくないからつくった友達”の呼び名は、絶対に1つしかないはずだ。
自分が他者からそんな風に思われていたら悲しいが、こういう関係があるのは、事実である。
あなたは誰から、どれだけの愛称をもらっていますか?
大好きな人達に、いくつの呼び名を与えましたか?
あ!ちなみにさぁ!!
私の事は“プリンセス”とか“激烈きゃわきゃわ祥子ちゃん”みたいな名前で呼んでほしいな!
よろしくね!!!!