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常識なんてくそくらえだ、な

1 娘が壊す「常識」

 娘は小学校1年早々に学校への足が止まった。その後も行く努力はい続けるがなかなか学校は娘には手強かったようだ。ちなみに親であるわたしは、もうどっちでもいい、と早々に覚悟してみてきた。
 娘は学校のなかの「常識」がおかしいって思っていたのだと思う。実際おかしいし。
 例えば、保育園では朝は「はい」でよかったのに、学校は違う表現を要求される。保育園では大きな字を書きましょうでよかったのに、学校は違う表現を要求する、などなど。
 何よりも、自由がない、って言っていたことがあった。
 ついでに親のわたしも非常識な親だと学校は思っていたと思う。
 ところがわたしは「常識を一旦疑う」から出発する研究活動をしてきた。故に、ん?あ?と実はツッコミどころ満載であった。
 娘はどんどん壊していく。壊していく姿に共感する教員や仲間が増えていったように思う。

2 社会の最新は子どもである

 社会の急激な変化についていけていないのは大人や大人がつくる組織。特に学校はもう、、、
 子どもたちはネット文化のなかで情報には飢えていない。むしろ情報過多のなかで生きているから、学校の授業はつまらないのだろうと思う。
 娘は「つまらん」と学校の常識を破り続けていく。昔ならヤンキー文化で起きていたことかもしれないが、今はそのような文化はなくなっている。娘はネットを屈指して仲間とつながっているようだ。ネット上のやりとりで事件がおきることもあるが、事件になりそうになると娘が仲裁に入っている様子である。これって新しい子ども文化の作り方なのかもしれない。リスクもあるが、いまのところ娘は上手に使っているように思える。
 だから教えるではなく、一緒に学び合う関係に大人と子どもの関係性が変わらないと、子どもらは、見向きもしないはず。ただ内申書が。
 娘はそれすら、あほらしって思っている。
 みんなは内申書のために部活やってるけど、つまらないしって言っちゃうから。
 そして担任に「成績表には表せない魅力がありますよね」と言われるまでにたった半年で発揮できるようになっていた。
 

3 けど。その魅力。

 成績表では表せないその魅力は、入試で武器にはならない。
 そこが結構、今の学校の致命的な根源的な問題なのだなと娘からまなばされた気がしている。
 っていうか娘は「夏休みはみんないいんだけど、学校始まると歪むんだよね」と分析していた。おっかない子だわと思ったが、きっとそれはあっている。
 競争が始まるからである。
 娘はその競争からはとうの昔から降りている。
 この魅力を発揮できる場所を彼女は自力で開拓する可能性が高い。
 でも案外いきなり勉強し出すかもしれない。
 どちらにしても、娘は今の日本の学校システムでは魅力はあっても評価はされないので、別のルートを探すか、自分で作っちゃうか、結構おもしろいことになるような気がしている。が、未来はわからない。

 そしてこれらは、わたしの宿題。
 娘からもらった宿題を解くのがわたしの今後の仕事になっていく。
 なかなか厳しい戦いであるが。。。
 

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