わたしにはコンテンツがない
2025年が始まった。あと数日で41歳になる。どういうわけか40代には、おそらく人一倍思い入れがある。それはいまだにやり残したことがあるような気持ちからかもしれないし、30代後半でやっと掴みかけた手応えのようなものを、離したくないからなのかもしれない。
計画はこう。5年後、今の主戦場であるコピーライティングから居場所を広げ、二つの柱を持っていること。10年後にはもう一つの柱をメインにしていたい。
ずっと誰かの代弁者をしてきた。向いている仕事だと思っているし、やりがいも大きい。でも、というかだからこそなのか、自分のもっとそのままフィジカルな何かで誰かの力になってみたい気持ちが出てきた。あとは代弁者としての勘、体力を考えると、大きくズレてくる前に手を打っておきたい気持ちもある。
それにしても「自分のもっとそのままフィジカルな何か」って一体なんだ。自分でもこんなに曖昧で大丈夫かと思うけど、しょうがいない。私には誰かにお金を払ってもらえるコンテンツがないから。言葉を変えると、語りたい何かが私にはない。
お正月に彫刻家をしてる義理の父と少し話した。父は「自分には一つの軸しかない。だから誰かにとって合うか合わないか、バリエーションがない。合ったとしても飽きられてしまうこともある。」と言っていた。それは私の仕事と比較して、だからしょうこちゃんの仕事は相手に合わせてつくっていくわけだからすごいよね、という話の一部だったのだけど、まさにそのひとつの軸が欲しくてウロウロしている自分からすると、憧れてしまう存在なのだった。
憧れる。自分にはないものを持っている。そんな心の声を聞きながらも、ここからが40代のたくましいところ。いやいや、私だってなんだかんだずっとやってきたじゃないか。産休の1年間を除いて、ずっと代弁者をやってきた。辞めなかった。もしかしたら見つけられてないだけで、私の中にもコンテンツがあるかもしれないじゃない。探さずに諦めるのはもったいなくないか。
そう、だから今年は1日一回、何かしら書こうとおもう。メモと日記の間くらい。1年後、見つかるか、見つからないか。実はどっちも楽しみだったりする。1年間書いたけど何も見つからなかった。もしくは楽しくなかった。だったらそれはもう、潔く次に進むまでだ。