答えは自分で書いていた。(企画メシ8−2)
コピーライター・作詞家の阿部広太郎さんが主宰する連続講座「企画でメシを食っていく(通称企画メシ) 2021」。12月11日に半年の講義が終わった。最終講義では希望者の発表があり、私もその機会をもらった。最後の課題は「自分の企画」。私の「自分の企画」は、第一回の講義の課題「自分の広告」と、不思議とつながるものになっていた。
コピーライターになりたかった私
企画メシ第一回の課題「自分の広告」で、私は子どものころからライターとして働く現在まで、何かしら文章を書くことを続けてきた自分について表現しようと試みた。最後には、「ことばで、つながりをつくりたい。」と書いた。阿部さんから「それはどんなつながりなんだろう?」と問いかけられた。仕事を解釈するワークでも、同じようなことがあった。これを言葉にすることが、企画メシでの一つの目標だった。
未来の自分を企画する「自分の企画」に取り組む中で、再びこの課題に向き合うことになった。実は「ライターです」と名乗ることに、なんとなくしっくりこないものを感じていた。前の職場では「編集」と呼ばれていたのだけれど、今の仕事で編集することはほとんどない。かといって、コピーを書く機会もあまりない。
転職して広告業界で働くようになって、コピーの講座に通ってから、ひそかに名刺に「コピーライター」という肩書を入れられるようになることを目標にしていた。けれど、残念ながらその日は来ず、それどころか、せっかく勉強してきたのにあまりコピーを書く機会もない。自分ではコピーを書いたと思った仕事のクレジットも「ライター」。コピーの仕事があっても声がかからないことも多い。広告の言葉だけがコピーではないと分かってはいるけれど、それでもちょっと悔しく、勝手にちょっと傷ついていた。
でも最近、胸をはって「ライター」と名乗ろうと思えるようになってきた。作家になりたいと思っていた気持ちも思い出したから、いつか変わるかもしれないけれど。
私は私になっていく
働く場所が変わったり、仕事の内容が変わったりする度に、私はその世界で輝く誰かに憧れ、自分ではない誰かになろうとしていた。だから阿部さんのこの言葉を目にしたとき、涙が滲んだのだ。
この言葉に最初に出合ったのは、私がまだ「企画メシ」に憧れて、SNSやWeb上の記事を追いかけていたころだった。
企画生になってからも、何度もこの言葉を思い出した。企画メシを通して、私は他の誰でもない、私になっていったのだ。
企画生(企画メシの受講生)の春花さんが立ち上げたライター部に参加したとき、ライターの春花さん、Soyokaさんと3人でラジオの企画「ライターのお茶会」に取り組んだとき、ライターという仕事を憧れだと言ってもらえて戸惑った。文章って、誰にでも書ける。書く仕事に誇りを持っているけれど、自信を持てない自分もいた。私たちの企画に対して、阿部さんからこんなメッセージが届いた。
私がやってきたことは誰にでもできることかもしれないけれど、当たり前ではなかった。今までの自分に胸をはっていいんだ。そう思えた。
答えは自分の中にある
最終講義で発表できる人数は限られていて、あっという間に希望者のリストが埋まってしまった。「どうしても」という人は連絡を、と言われた。間に合わなかったのも運命かな、と思ったけれど、少しためらった末に連絡をした。このままでは終われない、ちゃんと最後に宣言して終わりたいと思った。あの時言葉にしたことで、最後の企画のもう一つ先のところまで辿り着けた気がする。発表のスライドのタイトルにはこう記した。
私は「物語」を選んでいたのだ。課題のためのメモにはこう書いていた。
「ことばの温度は変えられる」というのは、私がコピーライター養成講座に通っていた時に、ある課題に対して書いたコピーだ。初めて少しだけ、手ごたえを感じることができたコピー。自分で書いたものだけれど、折に触れて思い出す。ことばに関わる者として大事にしていきたいと思う。
住めばまんなか
以前参加していた講座で言われた言葉が今も胸に残っている。「大きいことがいいとは限らない」。地方で暮らし、働いてきた私は、大きなもの、華やかな世界に憧れてしまう。この講座を受けていた時に「住めばまんなか」という言葉を書いた。
いつも見慣れた日本が中心にある地図ではなく、逆さまになった世界地図を目にしたことを思い出して書いた言葉だ。私は「逆さま」だと感じてしまったけれど、他の国に行けば、地図の真ん中に日本があるわけではない。自分の住んでいる場所を真ん中に据えれば、世界の見え方が変わる。
企画メシの最終講義を終えて、地元に戻るとき。飛行機が空港へ近づくと、山々が連なり、田畑が広がり、緑の多い風景が見えてきた。「ああ、私はここで生きていくんだ」と思った。東京に憧れ、もう一度東京へ行きたいと思っていたこともあったけれど、あきらめとは少し違う。私が育った街が近づいてくる。ふんわりと胸の中にあたたかいものが広がった。
たった一人のために書く
SNSなどで投稿すると、つい「いいね」の数が気になってしまうし、反応に一喜一憂してしまう。でもある時、自分が書いたnoteの記事を大切な仲間に喜んでもらえたことがあり、うれしくなった。古くからの友だちにいい内容だと言ってもらえたこともあった。書いてよかったと思えた。
友人と続けているnoteもそうだった。私は最初に記事を書くとき、一緒にnoteを作っている友人たちの顔を思い浮かべる。「面白かった」と言ってもらえるのがうれしくて書き続けている。そしてまた、自分も面白がって書いている。そんな私のささやかな文章が、不思議と他の人に届いていくこともある。それはとてもうれしい、ご褒美みたいな出来事だ。
物語はつづくから
最初の「自分の広告」の課題の時に、私は子どものころから書いてきたものを引っ張り出してきた。小説、詩、歌詞や短歌のようなものまである。ぐるっと回って、振り出しに戻ってきたみたいだ。
最終講義の後、ずっと行きたかった「村上春樹ライブラリー」に行くことができた。館内に足を踏み入れると、最初にこう書いてある。
物語を拓き、心を開こう。これからは、顔の見えるあなたのために書いていく。
発表の間、緊張してずっとパソコンの画面を見てしまっていたけれど、最後に顔を上げると、みんながあたたかく見守ってくれていて、胸がいっぱいになってしまい、言おうと決めていた言葉を伝えられなかった。
応援してくれた先輩企画生のみなさん、大切な友人たちにも心から感謝している。
私は今回の「企画メシ」に、学び修めのつもりで臨んだ。仕事のスキルを身につけるため、考え方を広げるため、今までいろいろな講座に参加してきた。学ぶことをやめるわけではないけれど、これからは自分でもことばを届け、人と人とをつなぐ小さな居場所をつくっていきたいと思う。
noteはそんな小さな「ことばの広場」の一つになると思う。
「あなたはあなたになっていく。」私のお守りにしたいことばだ。めんどくさくて不器用な私だけれど、自分という親友と握手して、これからは自分自身のためにもことばを紡ごう。私はこれまでもこれからも、書いていく。
※写真の一部は友人Mihoko提供