巧妙な着ぐるみ話 過集中な私で居ながら、好きな事に集中できる職人でいたい☺️
自分が最も自分らしくいられて、大好きな私の在り方‥と
人生を最も難しくしている、普段息をするようにやっている「巧妙な着ぐるみ」とは同じことばで表現される
という私のシータヒーリングの先生であるMOTOKOさんからのぶっ込みを受けて
はあ?
またとんでもないぶっ込みを
入れてくるとため息😮💨
でもどうしてもここに向き合いたくて
自分が大好きな在り方とはなんだろうと
もんもんとしたこの何日か
その事を深く深く感じていると、
1人で居て職人のように集中している事
(過集中)という言葉が浮かんだ
私は植物に触れて
ブーケにしたりリースにしたり
植物の声を聞きながら
何らかの形にしている時の自分は好き
ゾーンに入る感覚
誰かの機嫌に邪魔される事なく
この時間はすごく好き
一方で
自分の周りで
家族、家族外の人間関係などに
不協和音が起こると
無視しきれずに
全力でそこに集中してしまう
いずれにしても過集中なの
でもこれ
たぶん治そうとしても治らない
なので集中できる交友関係は
少なくて良いのだと思う
もともと友人は
あまり多い方ではないけれど
SNSも含め、目に入る情報、
関わる人は
少ない方がラクだと言う事を
つくづく実感する
とはいえ本当に
心からの話が出来る仲間は欲しい
でもね今はもうちゃんと
その話ができる仲間
居る実感があるんだわ
私が
フレンドリーバイブス無しに
本当の私でいて
人と関わる時
そこの私を好いてくれる人がいる
多方面にいい顔はできないので
(本当は仏頂面だから)
集まる人数は厳選されるのだけど
昔は友達が多い人気者がいいと
思っていたけれど
少数精鋭最高です☺️
1人でいる時間が
確保される安心感は半端ない
そしてもう一つ
仲間が
リーディングしてくれた
私の巧妙な着ぐるみは
「私は変わっている」
「人とは違う」
これを人生を難しくする使い方をする時
どうやら人と違うから
ちゃんと合わせに行かないと!
を必死にやる
例えば子供の学校からの手紙も
意味を逆に解釈する事の多い事とか😅
例えばつらつらと長い文章の最後に
「スリッパの用意はありませんので各自ご用意ください」みたいな文章があると
サラリと斜め読みして
なぜか
「スリッパの用意はあるから
持ってこなくていいよ」
と解釈してしまう😅
それで失敗することが多すぎて
人にいちいち確認する癖がついている
私間違ってない?
これであってる?
同じことを意味するとしても
相手の表現する言葉と
自分の表現する言葉が違うと
私のこの言葉と
あなたの発した今の言葉
こう言う事であってる?
みたいな
ぴったりと合うまで確認する
のをやってきた
だけどそもそも
感覚が人と違うのだと認めていくと
ああ、もうこれでいいや
と言う気になる
名札を逆さにつけてたり📛
文字が反転してたり
コミカルな私でもいいじゃーん
そして
この変わっているという私の感性のまま
花の表現や
リーディングということをしていくと
それを個性的だ、素敵だ
と言ってくれる人がいて
色んなことが簡単になっていく
と実感している
自分が感じてることに疑い持たずに
本当の自分で生き始めたら
あれ?というサポートが起き始めている
フレンドリーバイブス無しの
仏頂ヅラの私でいても
いいみたいです
あなたは誰に対して
良い人でいたいのですか☺️
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