赤裸々に綴る私の留学記①
おそらく音楽留学をする人のほとんどは、しっかりと計画を立て、自身の演奏技術の向上を目指し、目的意識をもって臨まれる方が多いと思います。でも私の場合はかなり不純で中途半端、不安定な状態のまま、留学生活をスタートさせました。
自分語りってなんか難しいし、今まであまり自分の口から語ることはありませんでした。でも一度きりの人生、当時は若かったし、若気の至りということで、今はひとつも後悔していないので、だいぶ赤裸々ではありますが、綴っていきます。
私が留学を決めたきっかけ
私が留学を決めた一番のきっかけ、それは当時付き合っていた彼(現夫)です。彼はヴァイオリニストで、私より少し早くチェコで留学生活をスタートさせていました。元々私と彼はチェコ音楽がきっかけで出逢っていて、私自身も日本にいながらチェコの作品を勉強していました。しかし日本とチェコの遠距離で、電話で話す彼の話を聞いていると、このまま離れていたらどんどん価値観のズレが生じて、いつかお互い理解し合えなくなるのは時間の問題だなと感じていました。彼が見ている世界を自分の目でも見て、さらに体験しなくてはと思うようになりました。もちろんそんな理由で留学をしようとすることに両親は猛反対。当たり前ですよね。それでもなんとか両親を説得し、私はプラハで留学生活をスタートさせました。
ツッコミどころ満載の留学当初
最初は右も左もわからず、日本で一年ほど勉強していったチェコ語はほとんど通じず。さらに20代半ばまで実家暮らしで、一人暮らしというものも初めてで、何もかもがほぼゼロからのスタートという、今思えばなんとも無謀な挑戦だったなと思います。
最初にお世話になったのは、プラハ音楽院(Pražská konzervatoř)。当時はとにかく早くチェコに行きたくて、音源等を送り、とりあえずすぐに受け入れてもらえた学校を選びました。
まぁもちろんその無計画さが、その後数年間自分自身を苦しめることになり、周囲にもたくさんご迷惑をおかけし、今思い返しても本当に穴があったら入りたいと思う苦い思い出ばかりです。
プラハ音楽院は、大体15歳から21歳くらいの年齢層が通う学校で、当時の私はなんとなく物足りなさというか、居心地の悪さを感じてしまい、1年ほどでプラハ芸術アカデミー(AMU)の研修生というような形で在籍場所を移すことになります。しかし、ここはここで、チェコ全土からとても優秀な学生が集まっており、当時の私はそのレベルに全くついていけず、留学2年目で完全に自分というものを見失っていました。
今思えばそれも本当に当たり前の話です。
留学動機は側から見れば超不純、目的も曖昧、自分の心すらどこか誤魔化して、そんな状態で上手くいくはずがありません。もし今の自分の目の前に、その当時の自分がいたら、「まずはちゃんと自分自身と向き合いなさい。本当は気づいているでしょう。甘えを捨てて、誤魔化さず、現実を見なさい。」と言っていると思います。
と、まぁいきなりかなり赤裸々な内容で、書いていても少し恥ずかしくもなりますが、こんな感じで留学始めた人もいるんだなぁと笑って読んでもらえたら救われます。この続きはまた別の記事で綴っていきますので、ご興味がある方はよかったら読んでいってください。