諦めの悪い私が手に入れた6点
2010年1月、高校3年生の冬。
私は大学進学のために、センター試験を受験しました。
その年の試験問題では、漢文で本文とは別に長めの漢詩が出たり、予告なく英語の問題形式が変わったり、多くの受験生が試験を受けながら「なんだこれ…」と思ったであろう年だったのですが、私が一番覚えているのは数学IAの試験問題でした。
忘れもしないその年の数学IAは、終わってみれば平均点が40点台という難しさで、元々数学が得意ではなかった私も、もちろん苦戦しました。
特に、同級生が口を揃えて難しかったと言っていたのは【図形と計量】。
一番最後の角度を求める2問が、はちゃめちゃに難しかった。私も全然わからなくて、最後の最後まで悩んだ記憶があります。
でも「わからなかったから空白で出した」と言っている友人も多い中、私は絶対に諦めたくなかった。空白で出すなんてことは、できなかったのです。
かと言って、考えたところでわかりそうもない。
しかも角度を求める問題なので、4択ではなく、直接数字を塗りつぶさなくてはいけない形式でした。
時間も迫っている。当てずっぽうで書いたとて、当たるわけがない。
私は考えました。
答えを計算で求めるのはもう無理そうだけど、でも、できるだけ正解する確率の高い方法でマークシートを埋めたい。
そこで私が取ったのは、問題文を頼りに自分で描いた図をもう一度丁寧に描き直し、そしてその図を【しっかり見る】という方法でした。
とにかく、図を、しっかり見る。
図を見て、「〇〇度っぽいな〜」でマークシートを埋めたのです。
試験が終わった後、友人たちは口々に「難しかった」と言っていて、私も「わからなかった。適当に書いたから当たっているわけがない」と言いました。
けれど、結果は2問とも正解。
私は「〇〇度っぽいな〜」で、6点を手に入れたのです。
試験全体を通して見れば、他の科目で大すべりした私は、結局私立大学に進学することになったので、私がセンター試験で得た点数が大学進学に活かされることはありませんでした。
それでも、15年近く経った今でも、あの時諦めなかったことによって手に入れることができた6点が、どうしても忘れられないのです。
大人になった私は、度々周りの人から「諦めが悪い」と言われることがあります。
それは、良い意味でも悪い意味でも。
でも、私には15年前のあの6点があるから。
諦めないうちは、終わったことにも負けたことにもならない、とどうしても思ってしまうんです。
場合によっては、早めに諦めた方が良いこともあるのはよく理解しています。
そう思うと、諦めの悪い私にとっては、諦めることの方が圧倒的に難しく、諦めないことの方が簡単なのだと思います。
どうしても諦められなかったことによって失敗したことだって、一度や二度ではありません。
それでも、これからだって私は、自分の進むべき道に困難が立ちはだかってもできることなら諦めたくないのです。
というか、諦められないだろうと思うのです。
諦めずに踏ん張ったその先に、あのときと同じように6点が待っているかもしれないから。
何十年も経った後に、あのとき諦めなくて良かったと思える出来事に、出会えるかもしれないから。