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気が合うなんてのはただの勘違い
学生時代から仲の良かった友人でも、大人になるにつれてだんだんと「あれ、もしかしたら気が合わないのかも?」と思うことって割とあるじゃないですか。
成長と共にお互いの環境が変わって次第に話が合わなくなることももちろんあるとは思うのですが、考えてみれば「学校」という特殊な環境下で、30〜40人が1クラスに集められ「はい、友だち作って〜!」みたいな空気の中でなんだか無理やりに作った友人と、偶然気が合う確率って一体どのくらい?って話なんですよね。
というかそもそも、他人同士の気が合う確率ってどのくらい?っていう。
私は昔からトモダチを作るのがあまり得意ではなく、今でも人と関わることに毎回かなりのプレッシャーを感じてしまいます。
そのくせ「陽気な自分」でいることを常に自分自身に課しているので、まるで誰とでもトモダチになれますけど?みたいな顔をして大勢の中に存在してしまうことがよくあります。
少し前にも、初対面の人が大勢いる場で散々喋り続けて「これでもうみんなトモダチですね!」と大げさに言った挙げ句、誰とも連絡先を交換せずに帰る、という不可解なことをしてしまいました。結構イタイ奴です。
きっとなんとなく【大勢の中で一人でいてはいけない】【どうにかトモダチを作らなくてはならない】という思い込みが、昔から強いタイプなのだろうと思っています。
加えて学生の頃なんかは、自分以外のみんなは誰かしらと気が合っているような気がしていたし、「自分だけが友人との関係に悩んでいる」「なんでみんなみたいに上手くできないんだろう」と、いつだって思い悩んでいました。
今みたいに「気なんてもんは基本的に誰とも合わない。もう一人自分が存在したとて、おそらく合わない」とわかっていたら、きっともっと楽な学生時代を過ごせたことと思いますが、これは人間関係に関して悩み抜いた末に行き着いた答えなので、学生時代にこの境地に達するのはなかなか難しかっただろうと思います。
大人になって「気なんてもんは基本的に誰とも合わない」と気が付いた私ですが、実はもう一つ大事なことに気が付いたのです。
それは、【放っておいたら誰とも気が合わない分、人と仲良くしたいなら努力が必要である】ということ。
こんなにも人と関わることが苦手な私にも大切な友人はいて、ではなぜその人たちとは友人関係を築けているのかと考えてみると、お互いがお互いのことを大切な存在と考え、友人関係を続けていきたいと心から思い「努力」しているからなのだなあと思ったのです。
改めて、尊いなあ、トモダチ。
「努力」とは言うものの内容はきっとそんなに難しいことじゃなく、気配りとか思いやりとか、当たり前といえば当たり前のことなのだと思います。
でも、当たり前のことほど、続けるのって難しいじゃないですか。
偶然めちゃめちゃ気が合う人に出会える可能性がないとは言いませんが、自分のことだけを考えて誰かと仲良くいられるなんてことはおそらくなく、気が合う人に出会ったならなおさら、その関係を続けていくためにお互いを思いやる必要があるんじゃないかと、私は思うわけです。
自然発生的に誰かと仲良くいられるはずだなんて、甘ったれたことを考えて日々落ち込んでいた学生時代の自分に、ガツンと…いや優しく教えてあげたいです。
そして、大切な友人はきちんと意思をもって大切にしなくてはならないのだということを、しっかりと心に携えて、生きていこうと思います。
つまり逆に言うと、「この人のためには頑張りたくない」と思う人に出会ってしまったならば、迷うことなく手放したっていいんだよな。
トモダチでいたくない人のために思い悩む時間は、大人になった今の私たちにはもうないんだから。