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奈良県立大学 現代アート展「船/橋わたす 2018」

全然人がいないので不安でしたが、会場の係の方々はとても親切でした。
ありがとうございました。
■ 小川美陽《ネガ(記憶)》
大学の門を入ってすぐの外壁に展示されていました。
自分で撮影したネガを火で炙ったものと、そのネガで撮影されているものを一画面に合わせた写真作品を制作されています。今回の展示は、1,351枚のL版プリントと手書きのメモで構成されていました。
・作品解説ではデジタル化への風刺に言及されていますが、展示自体はインスタ映えを誘発するようにも見えました。
・記憶することのアナログだけでなく、作品を制作する上でのアナログ(紙に出力すること、文字を書くこと、その言葉を選ぶこと)についても、作家の考えを聞いてみたいと思いました。
・「似たものが大量に並べられている」という表現方法にまだ可能性があるのか、再考したいと思いました。(荒木由香里さんや伊能怜さんの展示でも同じように思いました)
・存在したことが消えていくという「記憶」の性質に着目した作品はたくさんありますが、それを留めようとする行動をそのまま作品にしているのは珍しいなと思いました。
炙られたネガで撮影されていたのは日常の風景で、一緒に展示された言葉も日記から抜き出されています。個人的な思い出が、大学の正門で堂々と陽をあびていました。
小川さんは、自分自身を「焼きつけて残したい」という力強さと、個人を公共にさらけ出す軽やかさを併せ持った作家です。共に写真を学ぶ上で、気が引きしまります。
■ 四方遼祐《生活の演劇―購買の妖精―》
上演があることに気づくのが遅れ、途中から入場させていただきました。
小さな食堂と売店が一緒になった、「生協」もしくは「購買」と呼べるスペースで、男性がひとり芝居をしていました。
30分程度の上演で10分弱しか観られなかったのもあり、ストーリーは全く追えませんでした。男性が脚本を書く悩みを、見えない存在(妖精?)に打ち明けているらしい、というところは分かりました。
冷蔵庫が時折ブーンというので聞こえないくらい、小さな声で演じられていました。
終演後の様子等から、何か本意ではない形で上演されていたらしい、ということもうっすらと感じました。
当日パンフレット(作品キャプション)の文章について、日常/非日常や生活/アートは、対峙することではでなくて地続きでもあるし、私はそれぞれに大切にしたいなと思いました。
「購買の妖精」という副題を見て、「購買」という言葉が生協のスペースと結びつく感覚を忘れていたことに気づきました。劇場ではない場所で上演したいと考えた上で、実際に上演するのが大学の生協というのも、会社員の私からは思いもよらぬ選択でした。
また、あまりに小さい声なので、これは観客のためではなく “その場所” のための演劇のように思えました。
その小さな場所で、今しか成立しない貴重な演劇に、短い時間だけでも立ち合うことができて嬉しかったです。
(2018年10月20日)


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