最近の執筆生活を振り返って
ここ1ヶ月ほど、だろうか。経験したことのない感情の動きを経験した。しばらく時が経ったとはいえ、最近は寝る前になると涙もろくなった気もする。
友人と長時間の楽しい予定を終えた後だからこその寂しさもあるんだろうなと思いつつ、特定の人に依存する悪癖が出る前に一通り泣いてから昼過ぎまたは夜まで寝込むような日々を送っている。
本当に感情がこもった文章を書くには部屋の布団の中で書くしかないけれど、よくない方向に行けばただの黒歴史と性癖開示になる(実際そういう記事を書いて投稿したこともある)し、夜中に書けば投稿後に泣きすぎてしまうこともあった(後述)。
家の中ではなく外で記事を書けば外の風景が撮れたりもするが、世間の人間にまみれた世界の中で「自分は所詮ちっぽけな人間だ」みたいな思考になってしまい、自分にしては少々悲観的で悲しい文章ばかり書いてしまう傾向がある。
いずれにせよ執筆スタイルの確立は難しい。
前回の記事。
あの画像からのその締め方は正直「やってるなぁ…」感があったとも思うが、この記事は比較的そんなに疲れていない状態で「2時間まで」というリミットをあえて作った状況で執筆した。読み返してもさほど違和感なく読めたので、やっぱり執筆当時の体調がわりと良かったんだなと。
ただ記事にもあった感受性が豊かになりつつあるという話は事実らしく、あの記事を投稿してからそろそろ眠ろうと思って目を閉じた途端に何故かボロボロと涙が出てきて、ひとり布団の中で泣いた。
そこで私は、「自分に対して優しくしてくれる人達のことが大好きなんだな」と、ふと思った。
愛情を向けられずに育ったとは思っていないが、どこかで寂しい部分というか、孤独感を持って生きているところがあると思っている。今までの人生ではどこか他人に冷たくされてきたというか、人の温かみをあまり実感せずに、というか実感できずに生きてきた部分があるのかもしれない。
前回の記事を執筆するまでの数日間、私が推している方々の投稿から「普段温かい人達に囲まれて生きているんだな」と思えるようなエピソードをいくつか目にしてきて、心温まる瞬間があって。
それから深夜の就寝前になんとなく記事を書き寝ようとしたら、一気に感情が溢れてきたらしい。
感情の表現がわからないとか、愛情表現がわからないとか、ここのところそんなことをずっと考えながら過ごしている。私は愛されてきた実感がないからこそ、他人を愛することが難しいのだろうか。そんな思考が私の頭の中をぐるぐると廻る。
この記事の下書きを執筆する前日の就寝前にも頭の中がぐるぐるしてきて、しばらく泣いていた。
時間がかかってもいいから、他人への感情表現と愛情表現はできるようになっておきたい。
それは自分を守るだけでなく他人を守ることにも、きっといつか、つながるはずだから。
自分が疲れているときに書いた文章をどこかで読み返すと全然深みがないと感じる部分が多く、思わず「あぁ…」となる、ということが時々ある。
元からの語彙力と言い回しの不足だったり、その時の気力と集中力にもよるんだろうけど、限られた時間内でササっと書こうとすればするほど内容が薄くなる事があって、そういう文章は遠慮なくボツ記事にしている。
上記の記事は、結局のところ徹夜で書いた。
制限時間や締切日を設けずダラダラと書くというつもりで書き始めたが、それでも文章の軸になる部分が二転三転していって元々の構成から大半を変えた結果、最後が薄っぺらい文章になった。しかしこの記事はその状態でも投稿すべきだと感じ、そのまま投稿した。結果的にその記事への反応は良かったので私としては救われた。
あまりに長文すぎてもそれは「作品」になってしまうし、もし一度うまく書き出せられればしばらく止まらないけど、とにかく私は執筆モードに火がつくまでが長い。
時々幼児退行したようなひらがなしか打てない気分になることもあるし、インプットがしたいけど寝ているせいで時間がないとか、落ち着いて執筆できる場所を探していたりと、悩み事にはキリがない。
現状何か自分で出展して売り物にしたりとか何らかの形で収益化するなんてことは一切考えていないし、それだけお金を払ってもらえるほど深みのある文章を書けるセンスなど私は併せ持っていないと思っていて。単純に他人へ近況を伝えるための手段でしかないというか、現状それ以上のものはない。
これが自分の強みかどうかって言っても、正直微妙なレベルじゃないかとは思う。
何かまとめることは好きかもしれないし、飲み会に向けてトークテーマを考えてみたりと何かを考えているのは好きかもしれない。でもその考える力が自分の仕事につながる人もいればそうでない人もいて、私自身は後者で。
こんなつまらないエッセイだけ書いて生活していければ御の字だけど、実際問題そうもいかないし、どのみち苦しみがあるのは間違いないわけで。
どこまで楽しめるかは人それぞれだし楽しんだ者勝ちというのもすごく理解できるけど、いまの私自身の実力では何かそれで収入になるとは思えないし、もちろんライフワークにもならない。自分で今やっている執筆は所詮単純な個人の価値観でもないものばかりだし、単なる生活の中のカケラでしかない。
それでもみんなと同じように私も先に進まないといけないし、何か自らの強い部分を出しつつ生きて行ければと思うことも多くなってきて、人生における選択は難しいなって。
上記の文章は執筆前夜にXへ投稿した文章なので、一度読んだという方もいるかもしれない。
しかし私の現状として伝えたいことがあまりにも詰まっていたので、そのままコピペした次第だ。
正直あの文章で私は何を伝えたかったのか明確にまとめる能力もないし、私自身も脊髄反射でそのまま書いていたようなものだが、何かが伝わるのであればそれでいいと思ってあの文章を書いたはずだ。
まあ簡単に言えば「人生は難しい」だし、「それでも人生は続く」なんだけれど、その言葉だけで締めるには説明が足りないような気がした。
説明不足が招く後悔は、後々深く残るものだから。
<あとがき>
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回もあとがきだけ公開当日に書いていますが、
およみ、と打とうとして3回おもちと打ちました。
特に泣いたとかでもないですが、今日はここまで寝込んでいたのでお腹は空いています。
地元でエスプレッソトニックが飲めるお店があるという情報を得たので、飲みに行ってみようかなと思ったのですが…もう営業時間を過ぎていました。
「サイゼリヤにはエスプレッソとトニックウォーターがあるから、夕飯がてら今から行ってみようか」なんてことを思いつつ、このあとがきを書き始めた次第です。
1週間の真ん中にどんな本編書いてんだオメーは!
と感じた方もいらっしゃるかと思いますが、月曜日の午後三時前後に書きました。内容的には木曜日の午前三時でもおかしくないのに。あんな記事書いてよく言うわと思うかもしれませんが、「誰にも言えないような感情が溜まってきたらまた執筆すれば発散できるのかな」と少しだけ希望が見えたように思えた数日間でした。執筆モードの日とそうでない日があるので毎週必ずそうしますとは言えませんが、なるべく毎週水曜日に更新できたらと思っているところです。
さて、ここで今後の食券としての活動についても。
ひとまず次回は「飯テロ日記」の第2回を上げたいと思っています。また3月分の「食券のサッカー観戦記」にて紹介する試合も少しずつ観ていますが、こちらは観たい試合が3月末にもある関係で、4月に入ってからの投稿になります。ほとんどの試合は見応えがあるし、勉強にもなるので楽しいですよ。
そして4月以降の活動ですが、実は全然活動の方向性が定まっていないのです。本来なら転職情報を調べ出すとか、退職届をどう出そうかとかを少しずつやっていかなければならない時期なのでその辺の物事に手をつけていくことは間違いないのですが、「食券のnote向けとして」サッカーとか野球を観てきての現地レポート記事を投稿する流れ、またやってみたかったりするんですよね。
「ひとり野球観戦のススメ」で、またゆるく観戦した日に食べたものとかだけでも書きたいなー。
どちらにしろ休職の延長は今回で最後になるはずで、4月半ば以降からは何かしらの動きを始めていかなければ…と思っています。
私は今、こんな時間(夜9時)にサイゼリヤでエスプレッソトニックもどきを自分で作って飲んでいます。といっても作る時かなりこぼしたけど。
今日もまたひとつ、新しい発見ができました。