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OFUSE TALKS:片山文恵さん出演会 〜山で見つける美しい世界をお裾分けしたい〜

こんにちは。OFUSE TALKS という公開インタビューイベント群をこれからやっていきます。

8月12日、一人目の公開インタビューを実施しました。お呼びしたのは、桜の名所・吉野山のKAM INN にて女将をしながら、山伏でもある片山文恵さんです。

出演者の方の「これまでどう生きてきたのか?」を聴くのがメインの会です。話が深まっていく中で、「お布施」を切り口にさらに話を深めてみるというインタビューの仕方でした。

音源は、一般に公開していないのですが、観たいとDM等で呼びかけていただいた方には、対価を前提とせずお布施しています。お気軽にご連絡ください。

私と面識がない方は連絡するのを躊躇するかもしれないと思います。その場合を考え、本Note記事の有料部分にYoutubeの動画のリンクを貼ることにしました。100円だけかかってしまいますが、お賽銭みたいな感じで払っていただけますと幸いです ^_^

さて、片山さんとの話で私が印象に残った点を下記にメモしておきます。

・自分自身が楽にできること。女将、修行は死ぬまでやれそうという確信
→ 自分自身が頑張らなくてはいけないことではなく、楽にそれでいて喜んでもらえるようなことを見出してらっしゃるのが素敵だな〜と思いました。
 
・山は美しい。美しさをお裾分けしたい。
→人が何かを広めようとすることや他の人に知ってもらいたいと思う背景には、「美しさ」や「心を打たれてしまったこと」「感動」があるのかもしれないですね。

・修験道。信仰は、教えを信じ込むというものというよりも、自分の感性に触れたものに手を合わせたくなってしまうもの。
→自分の感性、心。そういうものが自然と動く。自ずから起こってくるものが信仰であるという修験道の捉え方は、個人的に好きです。

「信仰」「山との暮らし」「心身のバランス感覚と生き方」などのトピックで、あっという間に時間が過ぎました。

お布施との関連でいうと、私はこのような発見がありました。(三浦の解釈・発見です)

・人が圧倒的なもの、美しいものに触れると、それをお裾分けしたくなってしまう。それがアートの作品制作という形でのシェアになる人もいれば、物を贈るということにもなるのでは
 
・山に成る。山と自分の境目がなくなっていけばいくほど、執着が手放されていくのではないか。修験道の方々がやっていることは、山の気付きを深めていくこと。私自身、吉野山をよく歩くようになってから、執着の手放しみたいなものが起こっていっている。山からいただいているという感覚が大きくなっていくと、それをお裾分けしたくなっていくのではー。

今回の修験道の話は、宗教以前の山や海や自然との関わりの中の人の話だと思いました。

お布施というと、宗教文化でよく使われる言葉だけれど、私が注目したいと思うのは、宗教文化以前の広大に広がる自然のことです。私たちは地球に生きている。宗教というのは人が共に暮らす中で編み出されてきた秩序だけれど、それ以前にありありと広がっている自然があって、私たちがそういう恵みを一方的に受け取って生活していることを忘れずに生きていきたいと思いました。

動画のリンクはこちら

つらつらと書いてきましたが、動画のリンクはこの先に貼っておきます。三浦祥敬にDMしてくれたら動画のリンクを共有するので、お気軽にお伝えくださいね。

動画はこちら👇

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