【新卒短期退職のその後】暗黒のニート生活へ突入
(【実話】新卒社員が超短期退職してニートになるまで)の続きとなります。
実家へ帰り両親に事情報告
新卒で入った会社を2ヶ月で辞めて実家へ帰ることにしたが、まだ親に報告をしていなかった。
もちろん、今実家へ向かって帰っているということも。
朝のうちに最寄り駅まで到着したが、実家は田舎なので、駅から7キロくらいある。
バスを使おうかとも思ったが、頭の中を整理するために歩くことにした。
1時間以上歩いて実家へ到着したが、まったく考えはまとまらなかった。
親に何て言えばいいんだと悩んでいただけだった。
実家に帰ると父がいた。
母は出かけていていなかった。
父と目が合ったが、こちらからは何も言えなかった。
父のほうからの第一声、「あえ?どしたんな?辞めて帰ってきたんか??」
一瞬ですべての状況を把握するのはさすがである。
俺の親は、どちらかというと父のほうが甘い、良くいえば優しい。
怒るようなことはなく、すぐに母に連絡を入れ、状況を説明していた。
しばらくすると母が帰ってきた。
そして、母が用意してくれた昼飯を食べながら、親に事情報告をした。
両親ともに、仕事を辞めたことに怒ることはなかった。
これからどうするのか、という点に意識が向いていた。
俺としては、就職から退職までの一連の流れを通じて、現状正社員として働くのは無理だと思っていた。
なので、これからは正社員として働く気はないと説明した。
父親は好きにすればいいと言ったが、母親はかなり難色を示した。
その後祖父母とも会うことになり、また先ほどと似たような話をした。
祖父は孫が近くに帰ってきてくれて嬉しいわくらいのトーンだったが、祖母はちゃんと就職して働きなさいと、厳しく言ってくれた。
今まで祖母から厳しいことなんて言われたことはなかったので、祖母にこういう一面があるのかと少し驚いたが、ちゃんと現実的なことを言ってくれる人がいるというのは有難いことだと思った。
まあ、再就職しなかったけど。
そんなこんなで、ひと通りの報告をしたところで、再度親と話し合うことになり、生活費として月5万円を入れれば何も言わないということになった。
この時点での持ち金は50万円と少しだった。
これは学生時代にしていたバイトと、正社員として働いた2ヶ月分の給料から貯めたお金である。
貯金を削るだけの暗黒ニート生活開始
こうして月5万円を家に入れることを条件に、無事こども部屋おじさんになることに成功したわけだが、働いていないので収入がない。
加えて、奨学金の返済が14000円、年金や健康保険で2~3万円が毎月必要となる。
すぐにでも働かないと、あっという間に貯金は底をつく。
それにもかかわらず、とりあえず数ヶ月は生存できるからと一旦ニートをすることにした。
今思えば、さっさと適当にバイトでもしていればよかったと強く思う。
50万円というお金は、失うのは簡単だが、貯めるのは本当に大変である。
のちに100万円貯金したのだが、このニート期間のロスが無駄すぎた。
時給1000円フリーターが1年4ヶ月で100万円貯金した節約方法
そして、最初の2~3ヵ月のニート生活を過ごした時点で、さすがに金が減る速度が速すぎると思い、年金と健康保険の減額申請に手を出すことにした。
調べると、市役所に行って払えないので助けてくださいと申請すれば、収入しだいで減額もしくは免除となることがわかった。
速攻で市役所まで原付を飛ばした。
年金免除というパンドラの箱を開けてしまう
市役所に着き、担当の人に事情を説明すると、まず年金の減額申請の手続きをすることになった。
身分証明書を出し、いくつかの書類を書いたらあっさり終わった。
次に健康保険の減額の手続きをした。
こちらはその場で減額が確定したような記憶がある。
たしか2000円弱払えば終わりになったと思う。
思っていた以上にすべての手続きがあっさりと終わった。
年金の申請結果は2~3ヵ月後に通知がくるとのことだったが、収入から考えてほぼ全額免除になるだろうなと思っていた。
市役所からの帰り道、人生で初めての感情を2つ抱いた。
ひとつは、日本という国は、貧乏人に滅茶苦茶優しい国なんだということ。
それまでは、金持ちや大企業ばかり優遇して、貧乏人に冷たい国と漠然と思っていたが、このときから真逆の考えになった。
年金や健康保険みたいな公的な支払いでさえ、収入がないといえば救済処置があり、強制的にむしり取ることはしないのだ。
しかも、年金を免除して払っていない状況で、もし障害者になっても、ちゃんと障害年金の申請をできるという。
どこまで優しいんだこの国は。
日本という国は、本当に、本当に優しい国だなと強く思った。
そしてふたつ目の感情、それはパンドラの箱を開けてしまったという、やってしまった感である。
会社を辞めたときにも似たような感覚になったが、年金免除という行為のほうが、俺の価値観ではやってはいけない感が強かったのかもしれない。
これで本格的にどうしようもないやつになってしまったなと。
初めて消費者金融で金を借りたとき、不思議な感覚になると聞いたことがあるが、それと近いのかもしれない。
そして2~3ヵ月後、申請結果は思っていた通りで全額免除となった。
貯金が尽きるまでの虚無期間
ニートをしている間、ほとんど何をしていたか記憶にない。
記憶に残るほどのことを何もしていないからだろう。
余分に金を使うことは、ニート期間の短縮を意味するので、本当に支出を絞っていた。
なのでほぼ家にいて、ダラダラとネットを見たりしていただけだった。
まあその生活スタイルは今でもほとんど変わらないが、家族以外に接する人がいないので、さらに虚無感が高まる。
精神状態も悪い日が多かった。
唯一記憶にあることといえば、丸太にキノコ菌を打ち込んだことくらいか。
これは父親が趣味でやっていて、手伝っただけだが。
この期間に、新型コロナウイルスが出現し、世界中の生活が一変した。
しかしニートの俺は、家にいるだけなので、ほとんど生活は変わらなかった。
ステイホーム?そんなん日常だわと。
ちなみに、ニート期間中、親には小遣い程度だがネットで稼いでいると嘘をついていた。
一応、今のニート生活には持続性があるんだよと見せかけ、就職しろと言われないようにするためだった。
でも、家に居ながら金を稼ぐ方法が欲しいとは思っていたので、FXなるものに手を出してみた。
2~3万くらい入金してやってみたが、勝ったり負けたりで、最終的に飛ばして終わった。
こうして貯金が尽きるまでの虚無ニート生活は、延べ9ヶ月にも及んだ。
最後の方は、生活費の5万円を捻出するために、お年玉や大学の入学祝い、成人祝いなどで親戚から頂いたお金を使ってしまった。
それまでは、祝いなどで頂いたお金は、自分にとって本当に大切なものや、意味のあることだけに使うようにしていた。
その自分ルールを初めて破った。
ニート期間中、今まで守ってきた自分ルールみたいなものを多く破ってしまった。
いずれにしても、罪悪感しか残らず、気持ちの良いものではない。
そして、貯金がなくなり、生活費を払えなくなった俺は、そのときの持ち金のほぼすべて、2万円を親に渡し、バイトにいくことにしたのである。
親に、来月からはバイトの給料から生活費を払う旨を伝えると、了承してくれた。
ちなみに、ニート最終月の生活費の不足分は免除してくれた。
日本国だけでなく、親も優しい。
俺の周りは、みんな優しい。
以上が、暗黒のニート時代の記録である。
(【ニート生活終了】人生好転を目指しフリーターへ)へ続く…
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