【実話】新卒社員が超短期退職してニートになるまで
これから書くことはすべて僕の経験談です。
新卒社員と表現していますが、実際には大学卒業後の半年間は無職で、10月から入社したので中途採用という形だったかもしれません。
ただ、大学卒業後に最初に就職した会社だったので、便宜上新卒社員と表現しています。
大学卒業から入社までの話
大学在学中は面倒くさいと思って就活しなかったので、卒業と同時に無職に。
バイトも卒業と同時に辞めたので収入は完全にゼロの状態。
大学にはアパートを借りて通っていたが、弟も同じ大学に通うことになったので、途中から二人で暮らしていた。
なので僕が卒業しても、弟が卒業するまではアパートは契約したままであり、家賃は親が負担していた。
3月に大学を卒業して無職になるも、アパートに居座って就活している感を出しつつ、親に定期連絡は入れていてた。
ハローワークで求人を探したり、紹介されたセミナーに参加したりはしたが、やっぱり就職したくない気持ちがあるので決まらなかった。
卒業から3ヶ月くらい経過したとき、親からさすがにずっとアパートに居座るのは駄目だとの話があり、実家に帰ることになる。
それからもうだうだやっていたが、なんやかんやで就職先が決まった。
名の知れた会社の食品工場での仕事だった。
大きな会社だし良さそうじゃん、という極めて適当な理由だった。
ちなみに就職するまでの間は、親に生活費を渡していないので、完全に寄生していた。
引っ越しから入社までの話
就職先は埼玉だったので引っ越すことになった。
物件は会社が用意してくれたレオパレスだったが、しばらくの間は家賃全額出してくれるとのことで有難かった。
引っ越してから入社日まで3日くらいはあったので、その間に自転車を買って近所の土地勘を養いつつ、日用品を買ったりしていた。
レオパレスは評判通り壁が薄く、隣に住んでいる外国人の会話がふつうに聞こえてきた。
まあ会社が用意してくれた物件だし、とりあえず住めるんなら十分だと思っていたので満足だった。
しかし、正直この時点で、この先やっていけるのか?という漠然とした不安が襲ってきて、危うい精神状態になりかけていた。
そして入社日。
同じタイミングで入社となった人が他に2人いた。
どちら30代で、転職したとのことだった。
ひとりは同業他社からの転職、もうひとりは製鉄所で働いてたといっていたかな。
ふたりとも、ここは大手だし良い感じだね、と言っていて、へ~やっぱりそういうもんか~と思った記憶がある。
働いた2ヶ月間の話
まずは工場内を案内してもらい、衛生面での様々なルールを教えてもらった。
とにかく手を洗う頻度が滅茶苦茶多かった。
研修では、仕入れた食材を機械に入れる前に人の手で少し加工する工程があり、その工程の技術習得をすることからスタートした。
熟練のパートさんに結構あれこれ教えてもらっていた。
他には加工機械の組み立て、分解、洗浄、の方法を教わり、これは壊れると大変だから社員が担当する仕事だった。
教えてくれた先輩社員はいずれも優しくて、理解できないような怒り方をするような人もいなかった。
また、会社の決まりで新入社員は一定期間残業禁止となっていた。
そのため定時出社定時退勤のみ。
ちなみに社員食堂があり、利用すれば給料から自動的に引かれる仕組みだったが、安くて美味しいのでとてもよかった。
全体的に見て、かなりのホワイト企業であり、これ以上のホワイトなんてないんだろうなと思う。
なのに、2ヶ月で辞めたのである。
退職までの話
無理な仕事をさせられるわけでもなく、じっくりと研修をさせてもらう日々が続いた。
それでも、日に日に精神状態が悪くなっていた。
その理由は、正社員として責任と覚悟を持って仕事に取り組むという行為に耐えられそうになかった、というものだ。
これから先、仕事を覚えていって、パートの人に指示を出し、上司に進捗を報告し、円滑に仕事を回していくという責任を想像すると、何とも言えないじんわりとした絶望感が襲ってきた。
そこまで深く捉えるようなことではないと、頭ではわかっていた。
それでもネガティブな感情がじわじわと浸食してくる感覚が不快で仕方なかった。
繰り返すが、会社は超ホワイトである。
なのに、このような精神状態になるという異常事態が発生した。
こんなにもホワイトなのに、俺は正社員で働けそうにないのかよ、と思うと、もう八方塞がりな気がして、さらにネガティブになった。
とまあ、こんな感じだったので、俺これいつか辞めるなと薄々感じながら働いていた。
そして入社から2ヶ月ほどたったある日の朝、時間になっても家を出られなかった。
確実に間に合わない時間になってから、あーこれいよいよやったわ、辞める流れに入ったなと。
会社はホワイト、周りの社員やパートは良い人、研修期間でいろいろ教えて貰っていた、そんな状況でバックレだけはあり得ないと思い、会社に電話した。
電話ではまとまりのないことをうだうだ言っていたら、状況を察した上司と話すことになった。
言われた時間に会社に行き、会議室で一対一で話し合いに。
ゆっくり話を聞いてくれ、上司の人生談も交えて優しく引き止めようとしてくれた。
しかし、俺の気力のない雰囲気を見て、こいつはもう駄目だと察してくれたのか、割とすんなり辞めることが決まった。
その際、これから期待していたのだけどといわれ、建前ではない感じで残念に思ってくださっていたのが伝わり、ものすごく申し訳ない気持ちになった。
すべては俺の覚悟のなさ、不甲斐なさ、根性のなさ、それらが原因。
会社には研修期間中アパートの家賃も負担してもらっていたし、俺を採用するにもコストがかかっている、先輩社員には仕事を教えて貰ったし、その他にもたくさん世話をして貰った。
それらを無下にして、いきなり辞めてしまったのだ。
退職が確定してからは、その日のうちに即退職願いを書いて提出。
保険証や社員証など返すべきものを返した。
会社にはその日以降いくことはなく、上司とメッセージでのやり取りとなった。
といっても各種書類の宛先を伝えたのと、会社に借りてもらってたアパートの退去日の連絡程度だった。
そして、辞めた日から5日後に退去となった。
無職になり、実家に帰るまでの話
レオパレスを退去するまでの5日間では、色々やるべきことがあった、というより何をやればいいのか必死に調べた。
引っ越しの手配、住民票の移動、NHK解約、電気水道ネット解約、電車の定期券解約、自転車の売却。
今思い出せるものだけでもこれくらいはあった。
自転車は持って帰ることも捨てることも面倒だったので、ジモティーで売り払った。
解約類は片っ端から電話しまくった。
一番悩んだのが引っ越しだ。
業者を使っての引っ越しはしたことがなかったので、料金の高さに驚いた。
調べたら、たしか7万くらい必要だと出てきたが、高すぎて無理だと思った。
7万払うくらいならPC以外は全部捨てて、帰って買い直したほうがいいんじゃないかと本気で思ったくらいだ。
結局、荷物が少ないこともあり、郵便局のゆうパックを使えば2万ちょいくらいで済むことがわかり、なんとか荷物の目途が立った。
なぜかこういうときだけ謎の行動力を発揮して、テキパキとやるべきことをこなせるという。
会社を辞めてからの数日間、気持ちとしては、辞めた当日は最高の気分、以後は手続きなどで動いていて余裕もなかったが、実家に帰るまではフワフワとしていた。
なんというか、現実感がなかった。
そしてあっという間に退去日となった。
不動産屋に鍵を返却して、あとは帰るだけになった。
寝台列車にて帰る予定だったので、夜までは東京をぶらつくつもりだった。
都内にいくための電車に乗ろうとしたら、トラブルで大幅に遅れるとのアナウンスがあった。
おいおい東京ぶらつく時間が減るじゃねえかよふざけんなと思ったが、同時にいや俺無職のくせになにイラついてんだよとも思った。
時間を気にするような立場ではないんだと認識したとき、あー本当に辞めたんだなと感じた。
その後は東京をぶらついてたはずだが、何をしたのかほとんど記憶にない。
Googleフォトやマップを見返すと八重洲ブックセンターに行ってた形跡がある。
東京駅の近くで時間を潰していたのだろう。
日が暮れてきて、親に会社を辞めたことを伝えていないのを思い出した。
今から実家に帰ろうとしているのに、まだ辞めたことを伝えていないという。
結局電話する勇気が出ず、というか親ならまあなんとかなるかと甘えた気持ちが出た。
そして優雅にサンライズ出雲に乗車。
これからどんなことになるんだという不安を忘れ、初めてのサンライズ出雲にウッキウキで仕方なかった。
こうして、しっかりとサンライズ出雲を満喫し、実家へと帰ったのであった。
(【新卒短期退職のその後】暗黒のニート生活へ突入)へ続く…
YouTubeもやってます↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?