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「硝子の鳥籠」 第1話 ざらついた平穏(1)

  創作大賞2023イラストストーリー部門応募作です。
 よろしければ、こちらの記事をご覧になりお進みください。


*☼*―――――本編―――――*☼*

(あらすじ)
 祓魔師エクソシストたちによって、悪魔の巣が撃破されたのは大正の世の話。各国には、祓魔師の組織・十字クロス協会が現存し、当時取りこぼした悪魔たちの対応にあたっていた。
 物語の舞台は、離島に建つ、協会が後継を育てるため設立した学園。
 化学教師・早瀬川はやせがわ千影ちかげと、高等部二年生・早瀬川百香ももかは、歴史ある祓魔師家系の美人姉妹として名を馳せているが、実は百香は男。さらに養子である。

 協会の存亡を左右する要人・百香と、彼の身代わりとなって死ぬ運命を持って生まれてきた千影。
 解けない鎖に繋がれた二人の、魂の行く末とは……。


  窓を叩く雨音に、余裕を失った、切なげな声が混じる。

千影ちかげ……っ」

 むき出しの肩に、耳に、熱い吐息がかかった。
 どこまで本気なのかわからない情熱を注がれながら、千影の視界は漆黒に染まっている。
 いつだってそうだ。
 この少年と身体を重ねるとき、千影は身の内に響く声を殺すため、目を閉じ唇を引き結ぶ。

――殺せ。この男を殺せば、自由になれる。

 きちんと隔てられているのか訝しくなるほど熱いものを感じた直後、ようやく身体が離れた。どちらのものなのかわからない汗で、胸の谷間がじっとりと濡れていて気持ちが悪い。
 見下ろすと、つる草模様によく似た刻印が薄闇の中でもはっきりと確認できた。まるで太い血管が浮き出たみたいに、両方の乳房を伝っている。真っ赤な色だ。

(本当に、気味が悪い。これさえなければ……)

 鬱々とした気持ちでシーツの上に脱ぎ捨てられた下着をたぐり寄せていると、ゴミ箱がたてたクシャッという音のあとにからかうような声が降ってきた。

「俺たちがこんな関係だなんて、誰も思わないだろうな」

 カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされながら、華奢な体つきの少年がベッドから降りる。薄い色をした両乳首の間に、千影のものとよく似た赤い刻印がくっきりと浮かんでいた。

 彼は腰を折り、ブランドものらしい派手な柄のパンツを拾い上げ脚を通し始める。

「それ以前に、誰もあなたが男だなんて思わないでしょうね」

 嫌味を込めて冷たい口調で言ってやると、少年――百香ももかはスポンッと寝間着の黒いTシャツから顔を出した。
 ニッと口角が上がる。

「だよな。俺、そのへんのアイドルより可愛いし」

 決して褒めたつもりはなかったのだが、否定はできない。
 百香は、いまどきの可愛い女子高生を体現したような外見をしている。胸上辺りまで伸ばした黒髪はアイドルのように艶やかで、紫色のインナーカラーが個性的だ。
 色白で小顔。赤みがかった茶色の大きな瞳は、少し吊り目がちで猫によく似ている。
 掴みどころのない飄々としたところといい、本当にそっくりだ。

 こうやって身体の関係を持ったのだって、『俺が他の女に手ぇ出したら大問題だろ?』なんて迫ってきたせいだった。女として生きることを義務づけられたこの哀れな子どもが、性欲を晴らすため正体を明かしでもしたら自分の責任になるだろうから、仕方なく受け入れたのだ。


 厄介ごとを避けるため、仕方なく――。
 そんな風に言い聞かせて、たかだか十五歳だった餓鬼に純潔を捧げた千影は、きっとどうかしている。

 雨の日独特の、懐古的な雰囲気のせいだろう。過去を振り返っていると、百香の視線を感じた。
 顔を上げると、すぐに目が合う。

「千影も、清純派女優なみだったのにな。金髪にグレーのカラコンって、どこのハーフだよ」
「残念。日本人の色素が優勢だから、大抵のハーフの髪色は黒かブラウンになるのよ」

 千影は下着をつけブラウスを羽織ると、ボタンも閉じずにベッドから立ち上がった。

「へえ。さすがセンセー」

 千影は今度こそ何も返さずに、百香へと背を向けた。
 数え切れないほど身体を重ねたが、行為のあとに語らったことはない。

 洋風の部屋の扉を開き、千影はすぐ隣の自室へと戻った。
 扉に背中を預け、深く息を吐き出す。

 一体いつまで、この檻の中で生きなければならないのだろう――。


*  *


 望まずとも朝はやってくる。
 血のつながらない弟である百香を残して『早瀬川』と銘打たれた表札がついた洋館をあとにすると、千影は職場――十字クロス学園へと向かった。

 昨晩の雨が嘘のような快晴だ。校舎脇の花壇に植えられた紫陽花は、雨粒にきらめき美しいことだろう。

「おはよう、千影ちゃん!」

 海を望む緩やかな坂道を下り始めたところで、ジャージ姿の女子生徒二人が正面から駆けてきた。千影は足を止め、百香といるときとは別人のように優しい表情を浮かべる。

「おはよう。朝から頑張ってるわね」

 微笑みかけると、坂を登り続けてきた生徒たちはその場で腰を曲げた。膝に手のひらを当て、荒い呼吸を繰り返している。

「もうさあ、青山先生、めちゃ厳しいよぉ!」
「お腹ペコペコ~」

「ふふ。寮で朝ご飯、たくさん食べておいで」
「はーい」

 千影ちゃん、今日もやばかったね~。付き合いたい~!
 なんて声が、再び走り出した彼女たちの背中から聞こえてきた。

 脱色して染めた、腰に届くほど長い金髪にグレーのカラーコンタクトレンズ――教師にあるまじき武装をした千影は、女子生徒たちから良く慕われている。
 堅苦しくないし、年齢が二十二だということもあって接しやすいのだろう。

 学園の教師陣は、年齢層が高い。異動がなく、滅多に退職する者もいないからだ。性格は様々だが、どっしりと構え瞳の奥に鋭い光を宿しているところは共通している。
 風格漂う年長者たちにチャラついた小娘が混じっていても何の咎めもないのは、この学び舎が特殊な場所で、かつ千影が特別な存在だからだ。

 祓魔師と書いて、エクソシスト。 
 現代日本において、この単語から正確な説明ができる者はどれだけいるだろう。あやかしや悪霊を退治するという陰陽師に比べたら、悪魔を滅する祓魔師は架空の存在だという印象が強いようにも思う。

 けれど、悪魔は実在するのだ。
 古来の日本で起きた怪奇現象は、悪魔による所業があやかし関連に次いで多かったという。祓魔師の総本山イタリアの主導で、アフリカの密林に張り巡らされていた悪魔の巣を撃破することに成功したことによって状況が好転したのだ。
 当時取りこぼした悪魔が勾配を繰り返したため現在も世界各地で被害が起きているが、全盛期に比べれば件数は圧倒的に少ないという。
 
 祓魔師の組織・十字クロス協会の仕事は、悪魔を憑依された人間を救うこと。構成員たちは、幹部クラスは専業、他の者は外の顔を持ちつつ任務にあたっている。

 そして十字クロス学園は、協会が後継を育てるため離島に設立した学び舎だ。教育機関としては高等学校にあたり、二クラス編成で全寮制。家系に基づき入学してくる者がほとんどで、通常の授業と祓魔ふつま術関連の授業が行われている。

 学園関係者が協会に縁のある者に限定されているのも、大きな特徴だ。
 そのため、人員の確保が難しい。千影が好き勝手な格好をしても許されているのは、「仕方がないから」である。

 そして――。

「お姉ちゃん! 置いていくなんてひどいよ。起こしてくれたっていいじゃない!」
 
 うんざりしつつ振り返ると、プンプン! と効果音がつきそうなふくれっ面をした百香が仁王立ちしていた。
 ちょっと不思議で可愛い妹キャラに徹している彼は、紫色のインナーカラーが入った黒髪をハーフツインにし、小さなリボンが飾られた黒いハイソックスを履いている。
 仮にも祓魔師の卵だというのに悪魔の羽が付いた黒い革のリュックを背負っているのは、彼なりの反骨精神なのだろう。悪魔に協会が討ち滅ぼさればいいとでも思っているのかもしれない。

 それにしても、暗緑色のセーラー服が憎たらしいほどよく似合っている。
 まさか男だなんて、誰も思わないだろう。その証拠に、百香に好意を寄せている男子生徒が大勢いることを千影は知っている。

「起こしてくれなんて言われてないけど?」

 素っ気なく返し再び歩き出すと、百香が背中から抱きついてきた。
 ちょうど正門をくぐったところだったため、昇降口で語らっていた生徒たちが微笑ましい目を向けてくる。
 重度のシスコンという設定の百香と、塩対応を決め込む千影のやりとりは、不本意ながら学園のちょっとした名物だ。

「鬱陶しい。離れて」
「いーやっ」

(……もう、勘弁してよ)

 仕方なく、千影はそのまま歩き出した。
 たとえば、と意味のない想像をしてみる。今ここで百香を突き飛ばし大怪我をさせたのなら、千影は重い罰を受けることになるだろう。

 百香の体調が、協会の存亡を大きく左右するからだ。
 


*☼*―――――以降リンク―――――*☼*


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