全てが「ミスチルこわい」から派生している音楽の原体験、ポルノグラフィティとジャニーズと。
よく「父から娘へ」だなんて感動話がありますよね。子を思って購入したジュエリー、腕時計、ネクタイピン、万年筆…
我が家でそんな感動物語が起こるわけもないのですが、まあ読んでってくださいよ。
最近「ポルノグラフィティが好き」と自白する場面が増えてきました。
その際、「爽やかでいいよね!」「明るくて元気になるよね!」と返される事が多く、その度に「はにゃ…?」と認識齟齬を起こしています。爽やか…??
私がポルノを「爽やかで底抜けに明るいバンド」と認識していないのは、ファーストバイトがm-CABIだったからなのでは?と思った時、私の音楽の原体験を少しばかり纏めてみようかと思った次第です。
ミスチルこわい
私の音楽の原体験の全ては、ここに集約されていると言っても過言ではありません。
いえ、ミスチルを批判したり、ミスチルと比較して〇〇はいいぞ!と言いたいわけではないのです。ただただ、本当にミスチルが怖かったんです…!!!あと中島みゆき。できれば一生避けて通りたい。
平成9年生まれの27歳、絶妙に家の近くにTSUTAYAがなかった幼少期。
両親がインターネットに明るくなかったから、配信とかネット音楽にも出会えなかった幼少期。
なので「ミスチル」か「中島みゆき」か、あるいは「対ミスチル&中島みゆき型決戦兵器」か、の3択だったんですよ。
ちなみに「対ミスチル&中島みゆき型決戦兵器」の主なものとしては、一番の主力戦士がゆず、ポルノ、いきものがかり、スキマスイッチ、スピッツ、小田和正、山下達郎でした。
但し、私が好きだったのは後にも先にもゆずとポルノだけ。
また父がジャニーズを毛嫌いしていたため、この当時は祖父の家に行かないと嵐が聴けませんでした。理不尽なもんです。
なので今回は、ポルノグラフィティのファンになって長年の伏線を回収したことを記念して、私の出会いのアルバムm-CABIの話をしたいなと思います。
進入禁止の場所になぜ女が運転する車が?
当時30代半ばだった父がミスチル大好きマンでした。
私が小学2年生になるまで父は単身赴任、あるいは仕事人間で家にあまり帰ってこない生活をしていたため、幼い私の好みを全く把握していませんでした。
父単身赴任ということで、当時の私は母方の祖父母宅ですくすくとファンタジックに育ちました。
なので本当の「原体験」で言えば、嵐とKinKi Kids、ディズニーミュージックだったのだと思います。現在においてもジャニーズとディズニーが大好きでどっぷりと愛している私の人生に大きく影響を与えている体験ですね。
未就学児だった本当に文字通り幼かった時はかなりの病弱で、家の外に出て活発に遊べるような体調の子供ではありませんでした。それを可哀想に思った家族が音楽(ディズニーとジャニーズ)をたくさん与えたせいで、そのままこうなったと言っても過言ではない。ありがたい限りです。
そんなふうに育ったので母の影響でディズニーミュージックとゆず、叔母の影響でジャニーズが好きだったのに、帰ってきた当時の父はディズニーとジャニーズには全く理解を示してくれませんでした。
(※父の名誉のためですが、今はすっかり丸くなって一緒にジャニーズのライブにもパークにも行ってくれます。当時は父も若かったのでしょうね。)
父が激務に耐えかねて転職をしたことで一緒に過ごせるようになってから、父の趣味の曲を聴くに至るのですが、もうとにかくミスチルが怖くて怖くて仕方なかった。
何が怖かったって、楽曲の持つ暗い雰囲気と歌詞の世界観が怖かったんです。
今でも私はかなりの夢想家の自信があるのですが、幼少期は特にそれが顕著で、あらゆる音楽やシーンから着想を得た自作のファンタジックな物語を、ノートに書いたり、周囲の大人に披露していたそうです。
今考えれば小学生らしく、かつおかしな夢想なのですが、例えばHEROの導入【例えば誰か1人の命と引き換えにこの世界を救えるとして 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ】から、「それは戦争ということなのだろうか」「もしそうなった時、私の家族は誰か名乗り出てしまうのだろうか」とか、「私を守るために父や祖父がそうなってしまったら?そんなの耐えられない!」というところまで想像を働かせており、それがもう苦しいほど怖くて怖くて仕方がありませんでした。
プラスしてHEROの曲調から、これは結局大切な人のために誰かが死ぬバッドエンドの曲だと勘違いしていましたし。
余談ですが、小学校1年生の時に見た「ちいちゃんのかげおくり」の内容が衝撃的すぎて完全に心に深い傷を負ってしまい、さらに当時先生がどういうつもりで言ったのかわかりませんが「60年以内に絶対に戦争はまた起こります。」と言ったことで「私もこれに巻き込まれて、ちいちゃんやちいちゃんの家族のように死ぬんだ…」と1人で悶々と思い詰めた結果、自宅で突然訳もわからず泣き出す体調不良になり、数日学校に行けなくなった事があります。
そのくらい、"夢想家すぎ"で、かつ”考えすぎ”な小学生でした。
明らかに一般的な他の子と違う挙動をしているので何かしらの精神的な病名がつくのかもしれませんが、まあそれが私の個性ですし、祖母や祖父、母は、そんな感受性が豊かすぎる私を褒めてくれていましたので治っていません。
怖くて聞けなかった曲は枚挙に暇がないのですが、特にアルバム「シフクノオト」は私の大敵で、収録されている曲の全てが大嫌いでした。
前述の通り曲調から怖かったもの筆頭に「血の管」がありますし、シンプルに「Pink〜奇妙な夢〜」など歌詞の不気味さで逃げ出したくなるものもありました。
"天国行きのバス"というワードが出る「天頂バス」や、「空風の帰り道」なんかも怖かったですが、今となっては何がそこまで怖かったのかもよく分かりません。ただ感受性が今よりも豊かだったのだと思います。
※中島みゆきが嫌いなのは、中島みゆきの曲の歌詞の暗さや楽曲の重たさもあるのですが、主原因は「プロジェクトX」で見たオウム真理教の地下鉄サリン事件の際の聖路加国際病院のドキュメント及び、小学校低学年の私にもわかるよう懇切丁寧に解説をしてくれた父の話が怖すぎたせいです。
父は事件前日に母と遅くまでデートしていたせいで、商談予定で早めの当該電車に乗るはずが、遅刻ギリに起きたせいで乗れなかったことにより巻き込まれを回避した…という逸話持ちなのです。
前置きが長くなりましたが、ポカリスエットのCM曲で父が気に入っていた「未来」も怖くて嫌いでした。
「生きてる理由なんてない だけど死にたくもない」という感情に、小学生ではまだなりませんよね。今なら何となくわかるのですが、その無気力感をうまく拾えず、気持ち悪くて怖いなと感じてしまっていたのです。
膝を抱えて荒れ果てた進入禁止の路上に座り込んで待っているのも(比喩だとしても)状況が意味分かりませんでしたし、進入禁止の場所になぜ女が運転する車が?女って今の例え話の中で必要だった?果てしない未来が広がっていると言っているのに「先の知れた未来」を信じたくなくて目を閉じるのはなぜ?結局女はどこに?と、”うまく理解ができない”が故の恐怖心があった訳です。あと曲調。明るそうで明るくない曲調ね。明るいのかな?
「心は空を裂く号令を聞いた」
先ほど調べたところによると、2005年のポカリCMが「未来」で、2006年のCM曲が「ハネウマライダー」だったんですね。
ポカリのCMで気に入って父が車載したのがポルノグラフィティでした。最初はハネウマ1曲がMDに入ってたと記憶しているのですが、知らぬ間にアルバムm-CABIに変わっていました。私とポルノグラフィティの最初の出会いです。
去年の未来とは打って変わって、どこまでも続くような一本道に晴れ渡る空、そこを突き抜ける意思を持った強い風のようなボーカルの歌声に衝撃を受けたことはきっと一生忘れません。
「心は空を裂く号令を聞いた」、つまり実際に号令は鳴っていないはずですが、その抜けるような青空と裏声に、心が高鳴って仕方がない状況が手にとるように分かった気がして。
太陽に映えるメタルブルー、ゴージャスな風…ワクワクする!!
「大切なものを乗せて走りたいなら 生まれ変わっていかなければねえ」「明日の忘れ物は今日にある」「他の誰かと例えば君と触れ合った瞬間に噛み合って時間を刻む」という明るくもドラマチックな心理描写もワクワクしたものです。
夢想家で考えすぎな私の頭の中には、オンボロながら太陽の光を受けてキラキラと光るバイクが、ゴージャスに世界を彩る風を受けて、その燦々とした
明るい道を颯爽と走る男女の姿が明確に浮かんでいました。
あと今になって思いますが、昭仁さんのハッキリと歌詞の全てが聞き取れる歌い方の特徴も多分に影響していたような気がします。
そのせいで歌詞が聞き取れちゃうから、一切歌詞カードを見なかったので、お2人の顔をしばらく知りませんでした。
大好きだったm-CABI
ということで、すっかり「対ミスチル型決戦兵器」と化していたポルノグラフィティ、もといm-CABI。
でも同じ対ミスチル型決戦兵器の中でも "好きじゃないけどミスチルよりはまだマシ" で流していたゆず以外のアーティストとは違って、ゆずと同じ位置付け…要は幼いながら大好きだったんです。
当時ポルノの曲はどれも「小説みたい」と思っていて、曲を再生することで小説や絵本のようなものを開き、曲終わりとともに閉じてまた次の本を…というイメージだったんです。そのどれもが面白い物語だから、ワクワクして夢中になって読み漁っていたような感覚でした。
今じゃ考えられませんが、当時は幼い娘を車に残して買い物に行ってても大丈夫な気温と治安だったんですよね。
それで両親がスーパーで買い物をしている間、ひとり車に残された時にはウキウキしてミスチルを引っこ抜いてm-CABIを入れていたものです。
難しいことはわからなかったけど、とにかく世界観と曲、ボーカルの歌声が大好きだった。こんなに昭仁さんのことを好きになるつもりはなかったんだけど、もう出会った時から大好きだったんですから仕方ないですよね!(正当化)
せっかくラバッパーになったので、小学生当時何が好きだったのか?を、幼い私の脳内を思い出しながら書き残してみようと思います。約18年?を経て、27歳になった今との違いも面白いですしね。
Winding Road
私はWinding Roadと言われると、曲がりくねった道の先の方じゃなくてこっちが浮かぶんですよね、こっちのがリリース早いし。
これ、「長く続く湖畔の道を、秋の晴れた日に紅葉を踏み締めながらゆっくりと散歩して、夕暮れ時に腰を下ろした場所で焚き火をしながら、焚き火で温めたお茶を飲みながらボーカルの人が話してくれる、少し前に好きだった人との別れ際の思い出話」という明確な頭の中のイメージがあったんですよ。ボーカルの顔も知らなかったくせにね。笑
すっかり大人になり、YouTubeでMVを見た時、あながち間違いじゃないけどもっともっとファンタジックでびっくりしました。たまんないや…
DON'T CALL ME CRAZY
これ明確な理由不明で好きだったんですよね。かっこいい。
まず「悪い夢で目を覚ましたら ベッドの下に隠れてた」で、悪夢見てベッドから落っこちてる状況が分かる訳ですよ。
で「ブーツの中のコイン探す 表がデビルで裏が悪魔じゃねぇ」で、コイントスしても詰んでる状況なのも分かる。ていうか何で小学生低学年でコイントス知ってたんだろ、ディズニーの何かに出てきたんでしょうね。
頭の中劇場としては、雨の雑踏(横浜市中区の治安悪い界隈)で「今に見てろよ…」と歩いている若い男の人のイメージ。
ミスチル怖いくせに「からすに羽奪われたまま泣いている天使にはpistolsを」がなんで怖くなかったんだよ問題があるんですが、一行前が「捨てられた無名の夢の喘ぎ」なので、これも何かの暗喩だな…と正しく理解できていたのです。
たぶん、新藤晴一とすこぶる相性が良かったんでしょうね。
この曲、ライブで一気に化けるのでライブ版を貼りました。
関係ないですがこの映像の晴一さん、The平成でめっちゃ好き。俺たちが好きだったあの頃のイケメン。
ジョバイロ
当時私が知っていた狭い範囲のゆず、ミスチル、スピッツ、山下達郎、小田和正、スキマスイッチに、ここまで妖しく艶めいた、いわゆる妖艶だと感じた楽曲はなかったんですよ。
パレードで見た真っ赤なドレスのダンサーさんが、暗いフロアで1人哀しく踊っているような、そういうイメージ。
まだ不倫だ体の関係だけの恋だといったようなものを理解できなかったのだけれど、「あなたが気づかせた恋があなたなしで育っていく」「あなたの隣にいる自分がうまく思い描けない」辺りで、悲しい恋に踊らされている、かつ囚われたまま抜け出せないでいる女性の救いのない物語だということは十分に理解できた訳です。
また「はぐれないよう絡めていたのは指じゃなく不安だった」という歌詞の何と美しいことか!手を繋いでいても、それは愛おしさや好きという純粋な気持ちじゃなくて、”隣にいて手を繋いでいてもいいのよね?”という不安を絡めているだけ…という何とも言えぬ悲しさが美しく感じて大好きでした。
自分も大人になれた気分っていうのかなぁ。
大人になってから聞くと、この曲の歌詞の凄まじさには改めて舌を巻きますよね。
「冷たく濡れた舌に探り当てられた孤独に慣れた心」のダブルミーニング(物理的と心理的)に気付いた時に悲鳴上げました。
何食って生きてたらこんなに官能的で湿度を帯びた美しい悲恋を描けるんだよ…。
この頃に前のnoteでもちらっと書いた「私にポルノを教えてくれた、新藤晴一に恋をしていた中学の同級生」ことマリリンが見せてくれたことで、お2人の顔をやっと認識したので、この2011年辺りのビジュアルのイメージが個人的にかなり強いです。
リアルタイムで知ってる昭仁さんと晴一さんはこの辺から、みたいな。
横浜リリー
一番「小説的」だったと感じていたのは何と言っても横浜リリー。
当時は、伝説の娼婦として今も語り継がれている”横濱メリー”の話を全く知りませんでしたが、出身だけドンピシャ楽曲の舞台の横浜市中区なので、もう情景が浮かぶ浮かぶ。
港の見える丘公園から、海の見える山下公園を通って、観覧車のふもとにある汽車道。かつてリリーと呼ばれた美しい女性の一生を、小説のページを一枚一枚捲るように追体験できるような…そんなイメージ。
「ここに帰って来さえすればね また愛してあげるわ」
「果てのない夢の話 こんな結末じゃなかったはずよ」
想い人は帰ってこなかった、と分かる、口語体で書かれた言葉。
リリーが昔のことを思い出すように話してくれているような、そんな小説を読んでいるような。
横浜のリリーは今 違う街に暮らしてる
誰も彼女のことをリリーとは呼ばない遠い街で
この最後の2行で綺麗に閉じられる物語は美しくて美しくて。
リリーという特別な名とともに封印された過去の悲しい物語を聞かせてもらったような気がして。
それが自分の出生の地であり日常的な遊び場だからこそ身に染みてわかる、港町としての街の成り立ち、米軍接収時代から戦後復興にかけての名残が残る異国情緒感とか、"本牧埠頭には危ないから近寄っちゃダメだよ"って親から当たり前に言われてたからこその「本牧から悪い噂が〜」から続く歌詞の絶望感とか、本当に大好きだった。
ちなみにミスチルのHEROは死人は出てませんが、横浜リリーは死人1なので、本来はこっちの方が怖い話のはずなんですけどね。
新藤晴一と相性が良かったんでしょうね(2回目)。
今まで横浜を舞台にした曲といえばゆずの「桜木町」なんかが本当に大好きだったのだけれど、あれはあれで知っている町が恋の物語の舞台になっていて世界が変わって見えるようだった。
けど桜木町は「現代の、普遍的で幸せだったカップルの恋の終わりのおはなし」なのよね。だから物凄く想像しやすかったし、大好き。
失恋の曲だから悲しいのだけれど、晴れ渡る現代のみなとみらいで、お互いを思うが故に手を振る2人というか…。まだ、2人で導き出した答えが「それぞれの道を歩く」だったんだろうなと分かる、救いようがある話というか。
対して横浜リリーは「少し前、歴史になりかけている時代の横浜にいた、アンダーグラウンドな恋が終わった物語」という、またジャンル違いのストーリーというか。それはそれで、自分が知っているようで知らない横浜であったストーリーというか。
そうか、「桜木町」のようなカップルがここで幸せな日々を過ごし、ここでそれぞれの道を歩くと結論を出して手を振る前に、こんな悲しい物語もあったのかもしれないな…というようなノスタルジックさもあって、別ベクトルで大好きな2曲です。
雑多に言いたいこと
「BLUE SNOW」のサビがどんどん半音ずつ転調していくのも狂おしく好きだったな。下がっているはずなのに暗くはなっていかない、むしろどんどんワクワクしていくのが衝撃だった。そんな曲に出会った事なかったし、クセになるやつね。
それから「月明りのシルビア」でカセットテープがカチャカチャ鳴るのも、ギリカセット弄った事ある私にはたまらなかったな。
あと「Mr.ジェロニモ」の歌詞は全く意味がわからないなと思ってたんだけど、「それは躁鬱ベイベー病巣マンデー」「染まるピンクアンドレッドどっちでもいいや」とか、リズム感最高で口に出して歌いたくなるのに、どことなく投げやりな歌詞は好きだったな。
あとねあとね、最後にボーカルさんの息遣いと笑い声が入ってるのが本当に好きだったの……あなた…昭仁さんを好きになる素質…あるね…!!!
あとマジで声を大にして言いたいんだけど当時にm-floodの存在を知りたかったです!!!くっそー!!!!!
そこからはジャニーズへ
今となっては小学校何年生の時だったか覚えていないのですが、近所にTSUTAYAが出来たことで、親の持ってくる音楽という狭い世界から解き放たれて、自分の好きな音楽にどっぷりと浸れるようになります。
どれに伴い私は、元々大好きだったジャニーズ沼にダイブするに至るわけです。当たり前っちゃ当たり前ですね。こっちの方がどっちかというと原体験。
当時は嵐がちょうど売れ始めたタイミングだったので嵐、叔母が好きだったのでKinKi、それから私は関ジャニ∞とテゴマスが大好きでした。
書籍も取り扱っている店舗だったのでMyojoやDUET、WiNK UPがバイブル。
クラスの話題の中心もごくせんや花男やROOKISや流星の絆…楽しい時代でした。
孫にゲロ甘のじいじが毎週レンタルさせてくれていたので、V6や滝翼、NEWS、SMAPなんかも手当たり次第に聞いていたような気がします。
とにかくジャニーズの新譜が出たら借りる!出てなかったら流行りのJ-POP!という実に小学生らしいフェーズに入るので、ポルノグラフィティとはしばらく縁遠くなります。
再び出会うのは、中学3年生のときまでお預け。
終わりに
ここからポルノ沼に助走をしっかりつけた上でロイター板を思いっきり踏み込んで飛び込むまでには紆余曲折ありすぎるのでやめにしますが、幼少期の時点でミスチルに対しては致命的な認識齟齬を起こしているのに、ポルノに関しては当時から概ね認識が合っていたというのが原因だろうな、と大人になり、かつラバッパーになったから明確になりました。
面白いものです。岡野昭仁と新藤晴一が描く歌詞の世界観やワードチョイスと、よっぽど相性が良かったんでしょうね(3回目)。
ミスチルに関しては苦手意識が一生抜けないんだよなあ。
大人になってから何度かトライしているんですが、「君が好き」のMVみて体調崩したり、「花の匂い」のMV見て吐いたり、単に感受性のアンテナがぶっ壊れているので苦手なのは私の問題です。
かつ、中学の激いじめられ期に「ユリアちゃんが部室のピアノでミスチルのHANABIを弾き、『沙耶ってピアノ弾けるんでしょ?じゃあこれ弾いてみろよ』と煽ってきたので、悪気なくそのまま耳コピして弾いたら死ぬほどいじめられた」というクソみたいなエピソードが付随しちゃったので一生ダメです。
まあでも、これもユリアちゃんのせいです。ミスチルは何も悪くない。
で!!
もうお察しでしょうが、私が18年越しに父から受け継いだもの、これ。
わー!!あの頃のm-CABI!!!
よ…よ…よっしゃー!!!!!!
センキューパッパ!!!本当にありがとう!!大好きだったのこれ!!
本人はものすごく不服そうにしていますが、私の人生にはポルノグラフィティが必要でした。本当にありがとうね!!!!
終わり!!