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版元探訪「方丈社」…方丈の部屋からうまれる夢 聞き手:久能木紀子

「サバ塩定食」がおいしい魚料理屋の2階にある出版社と聞いたら、どんなイメージが浮かぶだろうか。それは日本一の本屋街、神保町の駅からすぐの裏通りにある。
 3メートル四方の空間を表すその社名通り、方丈社はワンルームのみの出版社だった。1階のお店が大家さんだという。社員は7名。創立してまだ1年だが、その立ち上げの経緯が興味深い。編集の清水さん(写真左)と営業の菅野さん(写真右)にお話を伺った。

清水「もとは別の中堅出版社の社員でしたが、そこでは部数や知名度のデータ重視で、作りたい本を作れないというジレンマがありました。そこで数人で独立して、新たな会社を立ち上げることになったのです。それぞれ興味のある分野は違いますが、作りたいと感じた本、納得できる内容の本を作ることを目指しています」

 それまでいい感触を得ていた企画もメール一本で見送り、なんてことは作家やライターなら誰もが経験するが、その時の途方に暮れたような気持ちを、編集者もまた味わっていたのだろうか。
 同じような思いの編集者はほかにもいるかもしれないが、ふつうなかなか実行には移せない。いわば無謀なチャレンジともいえるが、肩に力が入ったような感じはまったくない。

菅野「現在、全体で月2点の刊行ペースです。会議は週2回。毎回揉めながら話し合いをしています。編集者には本作りだけでなく、担当を決めて書店回りもサポートしてもらっています」

清水「取次や書店とのやりとりなど、電話の内容もすべて聞こえてきますので(笑)。作りっぱなしではなく、自分たちで作った本を自分たちで広げていきたいという気持ちが強い」

 部屋の真ん中には大きな木のテーブルがある。このテーブルを中心に、わいわいと話し合いや本作りが行われるのだろう。
 そして、この部屋で仕事をしている限り、編集から営業までのすべてに自然に関わることになる。編集者は売り方まで思い浮かべながら本を作り、営業担当者も企画・制作の過程を逐一見ている。全員が何がどう動いているか把握できることで、一貫した本作りができるのかもしれない。
 では、企画の採用ではどのようなことを重視しているのだろうか。

清水「最近では、名前があるから必ずしも売れるというわけでもありません。新しい切り口や伝え方、著者の熱のようなものが伝わってくる企画があれば、じっくり検討します。制作過程では著者とのやりとりを密にして、時間をかけて納得いく本作りをしたいと思っています」

菅野「新しい人を見つけて、新しい切り口の本を丁寧に作って、売る。これが柱です。いっぽうで、名のある著者に対して、それまでとはまったく違う切り口を提案するというのもありだと思います」

 企画書一枚で出したい本の意図をいかに伝えるかは、著者にとって大きな課題だ。が、受け止め側にも同じような情熱があれば、そのやりとりは温かなものになるに違いない。
 また、実際の本作りの過程では、著者と編集者のコミュニケーションさえままならないこともある。分業ではなく、著者と編集者が顔をつき合わせて、ひとつの本を作り上げていくという姿勢は、本作りの原点といえるのではないだろうか。

 おもしろいことに、清水さん自身もこれまで『秘島図鑑』『海駅図鑑』(いずれも河出書房新社)という二冊の本を出版している著者でもある。「海駅」とは聞き慣れない言葉だが、背景に海のある無人駅ばかりを集めた美しい本だ。

清水「好きなテーマは自分で書きたいという思いが募って、ほかの編集の仕事をしながら書いたものです。ほかにはない新しい切り口で、類書はないと思っています。また、著者の気持ちもよくわかるようになり(笑)、それが編集の仕事にもつながっています」
 
 編集も営業もでき、さらに著者でもあるなんて最強だ。類書があるかどうかは企画の段階で必ず聞かれることだが、類書がないことが「新しい」ということではないだろうか。

 この方丈社で4月に刊行される本が、『マッティは今日も憂鬱』というフィンランドの本の翻訳ものである。これ以上ないほどシンプルなイラストが、なぜか目を引く。ブログの一コママンガから始まり、書籍になるやフィンランドで大ベストセラーとなった本だという。

清水「この企画もすんなり通ったわけではありません。フィンランドというあまりメジャーではない国の本で、以前の会社だったら絶対無理だったでしょう。でも、出したいという気持ちがとても強かったので。営業とパイロット版を作るなどの工夫もして、書店に対しても本の魅力を地道に伝えていきたいと思っています。このように、まだすべてが手さぐりですが、いつか大手にはない会社の色みたいなものを出せればと思います」

 フィンランド人と日本人の性格が似てるなんて思ったこともなかったが、「マンションから出ようとして誰かいたらやめる」とか、「質問したいけど注目されるのはイヤ」とか、私自身思い当たることばかりだ(笑)。
 誰もがぼんやり感じていることや、小さな心の物語のようなものに光を当てる。こういった本に巡り合えるのも、編集者が自分の感覚に忠実にアンテナを立てているからだろう。   
 パイロット版だけでなく、書店には特典として「マッティくん」コースターも配っているという。そのときの対応も、仕事というより本好き同士、楽しいコミュニケーションをしているんだろうな、と思ってしまう。

 誰にも心の宝物のような一冊があり、そんな本を書くことは書き手にとっての夢。「方丈」のこの小さな部屋から、世界の誰かに向けてそんな本が発信されていくかもしれない。

取材・撮影 久能木紀子(ライターズネットワーク会員番号434)
 神社に祀られている神々の正体とは何か、人間と神々との関係とは何かを追求する「神社ライター」。ほかに世界のあらゆる「神話」「宗教」「古代文明」「不思議現象」などについて書いています。近著に『神様と縁結び~東京ステキな神社の御朱印ブック』(ブルーガイド・実業之日本社)、『出雲大社の巨大な注連縄はなぜ逆向きなのか?』(じっぴコンパクト新書・実業之日本社)があります。
株式会社 方丈社 「小さくて、深くて豊かで、明るくて。そんな出版社を、つくりました。」(公式サイトより)東京都 千代田区神田神保町1-32 星野ビル2F

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