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2/8(土) 大森倶楽部講演会「おおたの花 梅をめでる」 大田区立郷土博物館・築地貴久学芸員より蒲田梅屋敷、大森八景園、池上梅園の歴史を史料をもとに学ぶ

2月8日(土)午後、一般社団法人 #大森倶楽部 主催講演会「#おおたの花_梅をめでる 〜蒲田梅屋敷から大森八景園、そして池上梅園へ〜」@入新井集会室に参加しました🌸 私も会員である大森倶楽部の文化事業です。

講師は、#大田区立郷土博物館 の学芸員・ #築地貴久 さん。年初の大田区新春のつどいでは、区長とともに、大田区の各所を描いた高橋松亭と川瀬巴水の新版画を紹介されました。
今回の講演の下敷きになっているのは、ちょうど1年前に開催され、私も観覧した、大田区立郷土博物館企画展「#花香るおおたの梅林 〜愛でられる花々〜」。その主担当だったのが築地学芸員です。

昭和51(1976)年に、大田区の「区の花」となった梅。江戸時代に北蒲田村が「梅の木村」といわれ、大森の名産であった梅干し、梅びしおの原料として実を提供していたところ、やがて花を楽しむ梅林として有名となり、「#蒲田梅屋敷」と称されるようになりました。明治天皇が5回も行幸したことで「#聖蹟蒲田梅屋敷公園」の名を得て、小さいながら現在も残ります。

一方、明治になり、鉄道開通、大森駅開業より、山王の高台の地に別荘地として開園したのが「#大森八景園」。郊外随一の遊園地(この時代の遊園地は花や木を植えた庭園)として繁栄したものの、大正の頃には閉園して、いまに至る宅地となり、面影は残っていません。

現在、大田区内で最も有名な梅の名所といえば「#池上梅園」。池上の地に自生していた梅林を見出した人の邸宅から始まり、幾人かの手を経て、丘陵斜面に多くの梅が植わる現在の姿になったとのことです。

以上、私の雑駁なまとめですが、実際には、様々な人物名が出てきて、それを史料で裏付けながら進む、かなり玄人好みな講演でした😁

池上梅園は、今年の見頃を迎えています。2月15日(土)は、大田区立郷土博物館で開催中の企画展「#博物館学びの広場展 〜三団体の活動と学習の成果(みのり)〜」の一環のまち歩き(事前申込制)に参加して、郷土博物館から池上梅園まで、今回の学びを活かして歩きます🚶‍♂️

※紅白梅の絵は、大森倶楽部会員の #坂巻七子 さんの作品です🖼️

#みどりと文化 #文化大好き議員
#チクメン  #一所懸命  #とことん現場主義
#あなたと共に政策実現
#大田区議会議員  #庄嶋たかひろ  #庄嶋孝広

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