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11/20(水) 田中一村展@東京都美術館へ 四街道時代に知り、奄美大島でも鑑賞 『アダンの海辺』などに至る人生と作品を通史的にみる
11月20日(水)夕方、区議会関係の予定を終えて、上野へ🚆 季節は冬の寒さですが、選挙応援などでお預けになっていた #文化の秋 をキャッチアップ⤴️
#東京都美術館 での「#田中一村展 奄美の光 魂の絵画」。SNSで何人もの方が投稿されていましたが、ようやく行けました。
#日本のゴーギャン とも言われ、奄美大島の植物、鳥、魚、昆虫などの自然を独自の作風で描いた #田中一村 (いっそん)。神童と呼ばれた少年時代から、東京美術学校(現・東京藝術大学)に合格しながらも2ヵ月で退学し、その後、画壇で認められることなく千葉を拠点に活動し、最後は奄美大島に作品の舞台を求めた人生を、そのときどきの作品を通じてたどる展示となっています。
1958(昭和33)年、50歳(いまの私の年齢)にして #奄美大島 に渡り、1977(昭和52)年、69歳で没するまで、展示解説のことばを借りると、「大きな圧倒的なモチーフで前面を覆い、隙間から奥の世界の存在を示唆する画面構造」の作品を描き続けました。ただ、展示を通史的にたどっていくと、『#アダンの海辺』『#不喰芋と蘇鐡』に代表される、南国の植物と鳥などの組み合わせと構図の萌芽は、20代くらいからみられることがわかりました。
実は、田中一村を初めて知ったのは、千葉県四街道市役所の任期付職員を務めていた頃。千葉時代の一時、支援者である #岡田藤助 医師宅が一村の仕事場になっていたことにちなみ、岡田家で「#一村のアトリエ」という活動が行われていたためでした。
その後、2018(平成30)年7月に奄美大島を旅した際には、#田中一村記念美術館 も訪れました。
今回の展示では、大田区に在住した日本画の巨匠・ #川端龍子 (大田区立 #龍子記念館 もある)の「青龍展」に出品した作品『白い花』(38歳の作)だけが、画壇で認められることのなかった一村が、公募展で唯一入賞したことがわかる作品とのことで、龍子を通じて大田区との縁も感じることができました。
音声ガイド(声・小泉孝太郎)も理解を助けてくれました。
12月1日(日)までの開催となっています。
#みどりと文化
#チクメン #一所懸命 #とことん現場主義
#あなたと共に政策実現
#大田区議会議員 #庄嶋たかひろ #庄嶋孝広
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