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外国人が「私の故郷。だから何度でも戻って来る」とまで言う「新潟県 妙高市」という街

これも今年の3月のニュースで少し前のものですが、これもぜひ知っていただきたい内容なので投稿します。

ジャパウってなんだ?


特別豪雪地帯。新潟県妙高市。

日本人でも特別豪雪地帯。というものは聞き慣れない言葉だが、雪がとても多い地域です。

こんな日本人でもあまり知らない場所に、外国人が多く来日し、ここに魅了されて、移住してきた外国人も多いそうです。

ジャパウ

ジャパン×パウダースノーの略語で、多くの外国人スキーヤーが使う言葉なのだそうです。

本当に日本文化が好きな人が日本文化を継承する

1938年創業の永高畳店。
3代目の永高裕司さんによると、多い年で4分の1が外国人という。

10年前から畳を購入する外国人が増えてきたという。

すごく、い草の香りに喜びます。

取材では、畳の納品で、
去年廃業した旅館を買い取ったアメリカ人オーナーへの納品でした。

日本在住20年のアメリカ人オーナーのマイケルさん

アメリカ人のマイケルさんはこう言う。

日本が大好きだし、日本の雪が大好きで、日本に来て20年になるんだ。

マイケルさんは畳を使った客室にこだわっているそうです。

私はアメリカの小さな町(ワシントン州キングストン)で育ちました。

ここは幼い頃に育った場所に似ています。

だから日本の様式を取り入れて、ここを我が家にしていきたいです。

畳やふすまなど、日本の伝統を残したまま日本の旅館を引き継いだと言います。

永高さんはこの旅館の前のオーナーからずっとお世話になっていた旅館だったが、オーナーの奥さんが亡くなられて廃業となった。なので思い入れがかなりある。と言う。

そして、日本を好きな外国人が継いでくれるということにはどう感じてられますか?という質問には

もちろん喜ばしい事。
しかもすごくおせわになった旅館なので、日本で言う”縁”を感じました。

と言う。

赤倉温泉観光協会の中嶋正文会長は、
昔はその3倍ぐらいあったが、いまは宿自体は30軒ぐらいある。

その中でも外国の買われている宿もいくつかあるという。

外国人オーナーが増加している。

オーストラリア出身のブレッドさんとシェレインさん夫妻が運営する「妙高ロッジ」

妙高ロッジは、オーストラリア出身のブレッドさんとシェレインさん夫妻が旅館業の資格を取り4年前にオープンしたという。

奥様のシェレインさん

今は冬だけど、スーパーに行けば新鮮な野菜が買えるのよ。

本当に素晴らしい。
品質がすごくいいのよ。

食文化や地元の人々に魅了されたそうです

旦那さんのブレッドさん

僕らは温泉が大好きだよ。
だからゲストにいろんな温泉を紹介しているんだ。

私達が温泉の楽しみ方をきちんと説明するのよ。
そうすると彼らは毎日色んな温泉に行くようになるの。笑

海外でも妙高の噂は広まっているの
私達は妙高の素晴らしさをみんなと分かち合いたいの。

妙高でスキーを教えてくれる「Myoko Snow Sports」

オーストラリア出身のトム・ラングトリーさんと日本人の奥様の望さんが運営。

繰り返し戻って来るお客さんはたくさんいます。
私達にとっては友達のような感じなんです。

外国人客の7割がリピーター。
モットーは友達や家族のような接客。

長期滞在の方には誕生日祝いもするのだという。

妙高は第二の故郷ね。
私達にとっては特別な場所よ。
だからなんどもここに戻ってくるの。

日本人と結婚した香港出身の「エンジェル」と呼ばれる看板娘

高原ホテルは、香港出身のチャン・ウェインさんと旦那さんの克洋さんが運営する旅館。

チャンさんは、お客からエンジェルと呼ばれているそうです。

中国語、英語、日本語の3ヶ国語で、受付などを対応されているそうで、6年前、旦那さんの克洋さんと結婚。

チャンさんの接客は、かなり助かっていて、日本人にはない踏み込み方というか、そういうのがあって助かっています。

チャンさんの提案で、ホテル内にバーも作ったと言います。

長い方は1ヶ月でも滞在する人もいて、看板娘になっていてエンジェルと呼ばれているそうです。

チャンさんも長期滞在の方には、誕生日のお祝いをすると言う。

滞在客のインタビューでは、

僕らは来年も必ず戻ってくるよ。

と、言っていました。

スキーガイドのアメリカ出身妙高在住27年のビル・ロスさん

妙高の魅力は?

日本人の温かさ
妙高の人はすごく温かいんですよ。

雪もいいんだけど、人もすごい優しいんです。

という。

ビルさんは、もう妙高の人

ただ、ビルさんがすごいのは、
大雪になった時必ず行うことがあり、近所に住む一人暮らしの高齢者の家のまわりの除雪。

映像では除雪機を使ってやっていましたが、かっぱを来て吹雪もある中、日本人といえど、毎回できることではない。

日本文化を継ぐのが日本人でなければならない理由がないかも知れない

人口が減少し、高齢化も進む中、幸いにも海外の方が移住するぐらい日本を好きになり、そしてそれを残していきたいと言う。

日本の若い人にコレができるだろうか?
残念ながら、そうしたくても、それを世の中が許してくれるような環境ではない。

ビルさんの除雪などを見ていると、日本人以上の存在のように感じる。
その場所が好きで、その地域に根ざした生き方をし、その優しさに触れて、その場所の人になろうとしている。

もし、いやいやながら継いだ日本人がいたとして、その場所を継ぐのが妥当なのか?と言われると、100%イエスとはいい難い。

やはりその場所を愛してやまない人に継いでもらわなければその街が廃れてしまう。

街が廃れるのは愛してやまない人が減ったからなのか?

という気もしてくる。

日本人の源流はこうやって移り住んだ人の集まりなのでは?

日本人の源流というのは正確なところはわかっていないそうだ。

縄文人、弥生人という風に聞くが、どこから来た人々なのかが正確にはわかっていない。

大陸から来たというのが地理的な一般的な見方だが、DNAを調べると日本人のDNAというのは近隣の大陸とは似ておらず、大陸から来たという証明にはならないのだそうだ。

まして、縄文時代は1万2000年続いたと言われており、紀元前2300年前まで続いたと言われる。西暦が始まってたかだか2025年ぐらいから考えると、その6倍の歴史があるわけで、想像もつかない。

太古の人々も美しく豊富な自然に魅了され移り住んだのかも知れない

訪日外国人が日本の田園の景色などを見ると、だいたい美しいと言う。
我々日本人からすれば、何が美しいのかもはや麻痺してわからない。

ただ、海外の人からすれば美しく見えるらしい。

食べ物のほとんどの人が美味しいと言うし、日本人の優しさや丁寧さはレベル違いだと言う。

太古の人々も、美しく豊富な自然から生まれる食物に魅せられて、幸せな日々を求めて移り住んだとすると、その場所を守りたいと周りの人々と助け合って生きてきた事は太古であってもそうしただろうというのは想像がつく。

太古は筏やカヌーみたいなもので海を渡る人が結構いたらしい

調べてみると、日本でもそうですが、世界中で海を渡ろうとしていた人々がたくさんいたらしい。

ポリネシア人は、紀元前1500年頃から紀元後1000年頃にかけて、太平洋航海し、カヌーを使って、ハワイ、イースター島、ニュージーランドなどの太平洋の様々な国を発見したそうです。

スカンジナビア半島のバイキングたちは、8世紀から11世紀にかけて、アイスランド、グリーンランド、北米大陸に到達したそうです。

紀元前1200年頃から、フェニキア人は地中海沿岸を航海し、交易ネットワークを築きました。彼らは現在のレバノンを拠点に、地中海全域、さらには大西洋沿岸にまで進出。

約4000年前から、オーストロネシア語族の人々は台湾から東南アジア、そしてマダガスカルにまで海を渡って移動し、広大な地域に文化を広めた。

アボリジニは、少なくとも65,000年前には、オーストラリア先住民の祖先が海を渡ってオーストラリア大陸に到達したと考えられています。


日本列島には4ルートから渡来されたという説があり、今で言う訪日や移住みたいな事があったようです。

日本という土地が本来の原型の姿に戻ろうとしているのかもしれない

ここ数百年でみれば、日本で住む人は日本人だと思うかも知れませんが、数千年単位で見ると、そんな事はなくむしろ、多民族な国だったのかも知れません。

しかも「海を渡りたい」と太古の時代に思った人々なわけですから相当な冒険家で好奇心に満ち、協力して海を渡ることができた人々だったのだろうと思います。

今起きている訪日外国人の多さや、移住の多さは、もしかすると日本本来の原型の姿に戻ろうとしている現象なのかもしれない。


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