有効理論はどう有効なのか
宇宙戦艦ヤマトを観て育ったせいで、「ワープ」という言葉は時空を飛び越えるという意味だとずっと信じていた。「ワープした時空」という言葉を含む物理学の論文を目にすると何かっこつけてんだ、と思ったものだが、つい最近になって warp という単語を辞書で引いてみると「曲げる、曲がる」と書いてあるではないか。あの論文は単に「曲がった時空」というだけで、かっこつけてるわけではないらしい。英語を学ぶのはどこまでやっても終わりが見えないし、進歩している実感もわかないのはどうしたもんだろう。
物理学には「有効理論」というのがよく出てくる。英語では "effective theory"。「効果のある、有効な、理論」という意味になるが、これらの理論の実態は、「ある制限の範囲内では有効な理論」というもので、ここでの "effective" にはどちらかというとやや残念なイメージを感じる。こういうのには、例えば heavy quark effective theory(重いクォークの有効理論)や soft-collinear effective theory(訳しにくいけど、高速で飛ぶクォークの有効理論)、さらに最近では Standard Model effective field theory(標準模型の有効場理論)というのもあったりする。
素粒子の標準模型は、くりこみ可能な理論になっている。くりこみ可能性とは「拡大しても変わらない」という理論の性質と密接に関係しているという話をしてきた。逆に「拡大すると大幅に変わってしまう」ような理論は、くりこみ不可能な理論で、典型的には関係するエネルギーの値を決めるような定数が理論の中に含まれ、その逆数での展開という形になっている。先に出てきた重いクォークの有効理論の場合は、この定数は重いクォークの質量ということになる。この有効理論は、重いクォークの質量にくらべて小さいエネルギーでの散乱などに使える。ただし、予言の精度を上げたいときや、散乱のエネルギーが大きくなってくると、質量の逆数での展開をさらに次にまで進めないといけない。だんだん面倒なことになり、いずれは「有効でない理論」となる。
「標準模型の有効場理論」の場合は、関係するエネルギーは、まだ見ぬ「新物理」のそれだ。このエネルギーが現在の加速器では手の届かない高いところにあったとしても、その兆候はすでに見えてもよい。ただし、その効果はこの新物理のエネルギーの逆数(の2乗)で小さくなるので精密測定が必要になる。どう見えるはずか、どれだけ精密な測定をすればよいかを調べるためにこの「有効理論」が使われるが、この理論もやはり「くりこみ不可能」でどこかで破綻するので、とりあえず考えてみようかという一時的なものにすぎない。
新しい現象は、まず「くりこみ不可能」な理論としてやってくる。だが、それには限界が含まれている。いずれは「くりこみ可能」な理論に昇華して万事解決、ということになるはずなのだが、素粒子標準模型を超える理論については、まず新しい現象を見つけるところから始める必要がある。先の長い話になる。