空はなぜ青いのか
量子力学を知らなくても、私たちは波の性質をいろんなところで体感している。
ものを見るということ
科学者、特に物理学者に子供ができると語って聞かせたくなる科学の話。その筆頭に来るのがおそらく「空はなぜ青いのか」、これだろう。私だってもちろんかっこよく子供に話して、お父さんすごい!と思わせたい。ところが、実はこれがなかなか難しくて、ごまかすことなく、かつわかりやすい説明というものはなかなかできない。親としてかっこいいところを見せる機会はなく、ぼやぼやしているうちに上の子は文系に進んでしまう始末だ。
ものを見るとはどういうことか。見たい標的に光をあて、跳ね返ってきた光を検出してその様子から標的の形を推測する。私たちが何かを見るときも、面倒な言い方をするとそういうことをやっている。日光を使うこともあれば、何かの実験ならレーザー光のときもあるだろう。光を検出する装置は人の目の中にも備わっているが、もっと精密な装置があるならそれを使ってもよい。とにかく標的に波をぶつけて返ってきたものを観測するわけだ。
通常私たちが何かを見るとき、その対象は光の波長と比べるとずっと大きい。こういうとき、光がどういう角度で跳ね返るかはよくわかっていて小学校でも実験して確かめる(んじゃないかな)。簡単のために手元から一本のレーザー光を標的にあてることにしよう。反射する光を360度あらゆる方向ですべて観測すれば、標的の形もある程度推測できるだろう。細いレーザー光を使えば、さらに細かくわかるに違いない。いま、レーザー光の波長はとても短いので、それが波であることを意識する必要もほとんどなく、文字通り「光線」と考えておけばよさそうだ。
問題は、対象がもっと小さいときだ。最終的に私たちの興味は素粒子を「見る」ことにある。だから、もしかしたらこの標的は光の波長と同じくらいの長さかもしれないし、ことによると波長よりもっと短い、ごく小さなものかもしれない。こういうときに何が起こるのか少し考えてみよう。
例えば、一個の原子を考える。ここに光が当たるとどうなるか。 光とは、別名を電磁波といって、電場と磁場が交互にふるえる波が空間を伝わっていくものだ。一方の原子は、電荷がプラスの原子核のまわりに電荷がマイナスの電子が浮かんでいる。この原子を電場の中に置くと、電子が電場で引っ張られて微妙に動き始めるだろう。電磁波は振動するので、電子の引っ張られる向きは一様ではなく前後に行き来する。つまり、原子核と電子の間の距離が変動する。こうして起こった振動は、周囲の電場を揺り動かし、その振動が空間に伝わっていく。またしても電磁波だ。まとめると、電磁波によって揺り動かされた原子は、さらに電磁波を放出する。これが原子による光の散乱だ。
なるほど。こうしてみると原子が光を散乱する現象も少しイメージがわいてくる。では、もう少し考えてみよう。原子にはある大きさがある。原子の中の電子が電磁波で揺れ動いても、それはおよそ原子の大きさの中での話だ。この振動の振動数(1秒あたりの振動の回数)は、原子の大きさで決まっていて、外からあたえられる電磁波とは別のものだ。いま、もし電磁波がこの振動数に合ったちょうどよい振動数で原子を揺らすことができたら、原子は激しく振動し始めるだろう。しかし、振動数が合っていなかったらちぐはぐな動きになって原子の振動は途中で抑えられる。原子にあたって跳ね返るには、入射する光がちょうどよい振動数、つまり波長、をもっている必要がある。
波に共鳴する
子供を乗せたブランコを押すとき、ブランコの揺れるタイミングに合わせて背中を押してやるとどんどん大きく振れるようになる。あんまり調子に乗ると危ないので、今度はタイミングをずらして力を入れるとすぐに減速する。大きく振らすには振動の周期と合わせるのがポイントで、それは誰でも感覚的にわかっている。
原子が光、つまり電磁波、によって振動する話をしている。ブランコが振動する周期はぶら下げている鎖の長さで決まるが、原子の振動はおおよそ原子の大きさで決まっている。原子とは、プラスの電荷をもつ原子核のすぐそばをマイナスの電荷をもつ電子がふわふわ浮かんでいるようなものを想像すればよい。そこに電場をかけると電子が押されて少し片側に寄る。でも勢いよく寄り過ぎると原子核に引っ張られる力のほうが勝って戻ってくる。こうして振動が始まるわけだが、この電子を押す役割をする電場が周期的にやってきていつもタイミングよく電子を押すと、この原子はどんどん振動してその結果自らが電磁波を放射するようになる。
ちょっと急ぎすぎただろうか。電荷をもった電子がふらふら動くとそれは電波を発する。電線の中を流れる電子の動きをうまく調整すると、ラジオのように音を送ったり、携帯電話のように信号を送ったりすることもできる。でもいまはもっと波長の短い電磁波、つまり光、の話をしている。この場合も原理は同じだが、原子の中の電子の話なので周期はずっと短い。
さて、電子のブランコに話を戻そう。外から来る電磁波が電子を押すと振動が始まる。ちょうどよいタイミングで次々と押すと振動がどんどん強くなる。こういうのを共鳴といって、いろんな現象に顔をだす。素粒子を見つけるのは共鳴を見つけることに他ならないのだが、それはまたの機会にしよう。
外からの電磁波がいつもそうタイミングよく電子を押してくれるわけではない。電場が強くなるタイミングは電磁波の波長で決まっている。周波数は光速/波長なので、光速が一定の数なら電場がやってくる周期は電磁波の波長で決まっているわけだ。いま考えているのは一個の原子で、その大きさは電磁波の波長よりもずっと小さい。こういう状況だと、さっきのようにいつもタイミングが合うということは起こらず、共鳴は起こらない。でも、これだけは言える。光の周波数が共鳴の周波数に近いほうが電子を揺らしやすい。何度も言うが、いま考えている原子の大きさは、通常の光の波長よりも小さい。つまり、光のなかでも比較的波長の短い青い光はある程度原子を揺らすが、もっと波長の長い赤い光は原子を揺らさずに素通りすることになる。
話がつながってきただろうか。空が青いのは、原子が小さいせいだ。空気の成分は窒素や酸素だというのはご存知だろう。これらの原子の大きさにくらべて可視光の波長は長い。原子の大きさは、伝統的にオングストロームという単位で書かれる。$${10^{-10}}$$ m だ。空気中の窒素や酸素は分子を作っているが、それらの大きさもこれより少し大きい程度だ。一方、可視光の波長は400から700 nm。$${10^{-6}}$$ m より少し小さいくらいで、原子の大きさよりもずっと長い。そうは言っても青色の光は少しだけ原子の大きさに近いわけで、若干は原子に吸収される。赤いほうはその度合いはずっと小さい。空に浮かんでいる分子に太陽光が当たったとき、青色は原子に散乱され、それに相当する光を出す。だから晴れた日の空は青いのだ。
こう考えてくると、もっと波長が短い光はどうなったんだろうという疑問がわく。もっと波長が短い光、紫外線やX線は、もっと大気の原子を揺らすだろう。つまり大気に吸収されやすいはずだ。実際これはその通りで、太陽は紫外線やX線をいっぱい発しているが、地球の大気で散乱されてしまって地表にはとどかない。わたしたちがむやみに皮膚がんにならないのは大気のおかげであり、そこにはしっかり物理法則が働いている。