波の重ね合わせ
量子力学では「波動関数」という名の、波をあらわすものが基本的な量として登場する。波自体は珍しいものではない。音だって光だって波だ。波の基本的な特徴は、「重ね合わせる」ことができるということ。
音を重ね合わせるということ
職場で年に一度の健康診断がある。メタボテストと称するお腹周りの測定では、必死でお腹をひっこめてぎりぎりでパスするのが恒例になっている。お腹をひっこめても脂肪はしぶとく垂れ下がっているので毎回自分との厳しい戦いになる。
少し自信のあるのは聴力検査だ。特大のヘッドホンを耳にはめ、ピーピーと音が聞こえたら手元のスイッチを押す。音が2種類あって、いずれも高い音だが一つはもっと高音だ。まったく問題なく聞こえる。だから、年を取ると高音が聞こえなくなるというけど自分はまだまだだと思っていたが、実はそうでもないらしい。あるテレビ番組で、50代以上には聞こえない音というのを流していて、自分にはさっぱり聞こえないのでウソかと思ったら小学生の子供はうるさいくらい聞こえると言う。ショックだった。自信があった耳にも耐用年数をすぎた部品があるらしい。
音には高低がある。だからピアノにはいっぱい鍵盤がついていていろんな音が出せる。誰もが知っているこの事実は、波には波長の異なるいろんなのがあって、ときにはそれらを重ね合わせて和音をつくったりできるという事実にもつながる。うまく重ね合わせると芸術だが、むやみに多くの音を重ね合わせると次第に雑音に近くなる。だが、いずれも元をたどると一つ一つの波長をもつ波なのだ。
音とは、空気の微妙な震えのことだ。空気には濃いところと薄いところがあって、濃いところから薄いところに向かって押す圧力がかかる。押された場所は今度は空気が微妙に濃くなり、次にまたすぐ隣を押す。こうして波となって伝わっていくわけだ。濃い薄いのパターンは素早くくり返す(波長が短い)こともあればゆっくり(波長が長い)のこともある。それどころか、めちゃくちゃなパターンを描くことだってある。このめちゃくちゃも分解してみればさまざまな波長を単に重ね合わせたものだというのは、当たり前とは言えないが和音のことを思い出してみると納得できるだろう。
数学ではこういうのをフーリエ分解と呼ぶ。ややこしそうに見える関数でもたいていはさまざまな波長の波に分解してあらわすことができる。ほんとうは高校の数学でここまでやるべきなんだと思う。音や光など、実用的な意味が大きいし、結果を実感できるところもいい。高校3年の数学からあと少しのステップで到達できるのに残念なことだ。
それはともかく、波にはさまざまな波長のものがあり、音でも光でもそれらを重ねあわせることができる。光の場合は波長と色が対応し、それらを重ね合わせるとさらに多様な色がつくられる。重なった光をプリズムに通すと、さまざまな波長の光に分解して戻すこともできる。
光だって重ね合わせ
小学生の娘がとっていた通信教育の教材に、光の三原色を組み合わせる実験の器材があった。三角に配置した赤と青と緑のランプを一つずつオンオフできるもので、暗いところで壁に映してみると、確かに色が混ざって見える。それはいい。私にとって発見だったのは、自分の目には赤のランプが極端に暗く見えることだ。子供のころから色盲(あるいは色弱?)で赤と緑の区別がつきにくいというのはわかっていたのだが、それはこういうことだったのか。他の人は三原色でやっているのに自分だけは一つに欠陥があるわけで、色の見え方が違うのも無理はない。さすがに交通信号はわかるが、日常生活で不便を感じることはときどきはある。いつも困るのは充電器などの表示ランプだ。未充電だと赤のランプが満充電で緑に変わるらしいが、これがさっぱりわからない。もうあきらめて家族に聞くことにしている。
光は異なる波長が重ね合わさってできている。ヒトの目に見える光は赤から紫まで波長の異なる光が重なってできている。でもちょっと待てよ。これと三原色の話は矛盾してないだろうか。3つの色を混ぜるとどんな色でも作れるということだが、そんなはずはない。赤の波と青の波を混ぜると、二つの波長の波が重なるだけで、決して紫の波はできない。どうなっているんだろう。
問題は人間の側にある。ヒトの目は3種類の検出器(R, G, B と呼ぼう)でできていて、それぞれに入る光の強さに応じていろんな色を認識するようにできているらしい。紫の光には検出器Rと検出器Bがある強さで反応するためにそれらを混ぜたものに見える。残念ながら私の目は検出器Rが壊れているので妙な見え方になる。こうした検出器側の事情と光の波長に応じた強度には何の関わりもない。人間がどう見えるかに関わらず、太陽からの光はいろんな波長の光をそれぞれある強さで含んでいる。それらをすべて別々に検出できる検出器を持っていたら、ヒトはもっと多彩な世界を見ていたに違いない。
光の波長と、ヒトの目に見えるかどうかは別の話だというのがわかるだろう。実際、ヒトの目に見える光は波長の長い赤色から波長の短い紫色まで分布しているが、光自身はそれらより波長の長い赤外線、波長の短い紫外線というのもあって、連続的につながっている。単にヒトの目はそれらを検出できないというだけの話だ。赤外線を見る機械にはサーモグラフィというのがあって、人の体温を検出できたりする。
私たちが何かを「見る」というとき、どうしても人の目に備わっている検出器を使う場合を考えがちだ。だが、ここからはもっと一般的に「見る」という行為を考えてみよう。物にあたって跳ね返ってきた光を検出し、複数の検出器の信号を組み合わせて、どんな物かをイメージする。「見る」というのはそういう行為だと考えてよいだろうか。ここではもちろん人の目を検出器として使ってもよいし、そうでない実験装置を使ってもよい。とにかく何とかして跳ね返ってきた波を検出し、そこから情報を読み取る。そういうことだ。