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小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.20

 ライヴハウスからバンドの写真を持って来るようにと、ショウイチに連絡があったらしい。
 1月2日の昼に黒崎SOGOで待ち合わせをして、屋上で写真撮影をした。カメラマンはショウイチの弟。無理矢理連れて来らされたようで、ふてくされていた。
「おい! レンズ睨め!」
 SOGOの屋上でショウイチが叫んだが、みんなで別々の方向を見た。
 撮影は30分もかからず終わったので一旦解散することにして家に帰ったが、夜中にまた集まって黒崎の初売りに参戦した。
「すげぇ〜! 起業祭みたいやん!」
 小倉が生活圏のセイジくんやボクにとって黒崎の初売りは初体験でだった。
 お祭の時のように、アーケード街は人があふれていた。人垣ができていたので何かと思ったら殴り合いの喧嘩をしている人がいた。その様子を建物の2階から恐ろしそうな人が鋭い目で見て、何かを叫んでいた。
 大きな袋を持った同級生に何人も会った。そんなに安くなっているとは思わなかったが、せっかくお年玉を握りしめて行ったので黒いレザーブーツを買った。
 各々の買い物が終わると三角公園に集まり、戦利品を見せ合った。
「つま先の尖りが甘い!」
 ショウイチとゲンちゃんがボクのブーツを見て言った。悪魔が履く靴の様に、つま先はシャープであればあるほど、気合いが入っているとされていた。

 1月5日の対バンは、白(KURO)と、セックス・ピストルズもどきの自称パンクバンドだった。下関の凶悪パンクバンドの白(KURO)は別格として、自称パンクバンドはボクらと同じくらい下手くそだった。
 トップバッターはうちのバンド。客は全部で20人もいなくて、そのうち10人くらいは見覚えのある顔だった。スタジオで営業してチケットを買ってもらった西北女学院の1年生グループも来ていた。
 初ステージから少しずつマシな演奏になっていると自分たちでは思っていたが、客の反応は薄く、曲が終わるたびパラパラとさみしい拍手しかなかった。曲順は変えたけど、レパートリーはいつもの曲しかない。
 2番手の自称パンクバンドは股間を触るパフォーマンスが女子高生に「気持ち悪い!」と大不評で、さらに拍手が少なかった。
 トリは白(KURO)。演奏のうまいとか下手とかのレヴェルではなくてとにかく凄いライヴだった。前回からさらに迫力が増しているように思った。「A-Gas」から始まり「Crazy Dream」で終わったライヴは、今回もブレイクすることなく連続で演奏された。途中でギターの弦が何本か切れしまったが演奏は止まらない。ヴォーカルは叫び、ギターがかき鳴らされる。ベースが刻む重低音に合わせて、ドラムは大きく揺れた。少ないながらも数人の観客が立ち上がり、最前列で体を揺らしていた。
 その日のライヴは、3バンドでセッティングを含めても1時間ちょっとだった。
「やっぱり、オレらはパンクバンドやないな…」
 白(KURO)のステージを観て、あらためてそう思った。
 終演後、チケットの精算をしたけどギャラはなかった。

 3学期が始まると、3年生を送る会で演るモッズの曲の練習を始めた。
「崩れ落ちる前に」はギターが2本必要だったので、ショウイチに弾かせることにして、学校やスタジオでセイジくんが手とり足とり教えた。
 ギターの間奏が終わるところはサスティーン(余韻)をきかせるので、その部分の“Dm+C+Dm+A#”のコードを弾くパートだけは必須だった。
「他は弾かんでもいいけん、この3つだけコードをおぼえり!」
 セイジくんはこう言って、ノートにフレットと指のイラストまで描いて教えたのに、ショウイチはどうして弾けなかった。
「何でこんなんが弾けんかねぇ〜?! ちゃんと練習しよるんね!」
 セイジくんは怒ったり、ため気をついたりしていたけど、やっぱり次の練習でもうまく弾けなかった。
「この曲は、サビの高音の声がきついんよね…」
 ショウイチがそんなことを言い出したので、結局「崩れ落ちる前に」はボツになった。

 バンドを始めた頃から、地元の遊び仲間の影響で、「おいらの街」という北九州のミニコミ誌を買っていた。通称「おい街」と呼ばれていたが、それには北九州で開催されるイヴェント、映画館やライヴハウスのスケジュール、地元の店やバンドの記事なんかが掲載されていた。
「おい街」に、1月5日に演ったライヴの記事が掲載された。
「最近、小倉はパンクの街になっている。ファッションはもちろんのことバンドも多彩だ。俺は彼らを新しくできたライヴハウスで観たことがある。“ノイズ”はビート、パンクそのものになりきっている“白(KURO)”…。同じパンクスでも個性を持った彼らのステージに一度は観に行ってはどうだろうか…」
 たった1行だったけど、うちのバンドのことが書かれていた。記事になったのがうれしくて、練習に持って行ったら、もうメンバーもその記事を読んでいた。
「やっぱ俺らはパンクやないね! ビートバンドやん!」
 ショウイチがそう言うと、みんな頷いた。
 ライヴ前日、新聞の夕刊にも、うちのバンドのことを書かれた投稿が掲載された。
「最近、小倉に新しくできたライヴハウスに出ているノイズってバンド、やるたんびに上手くなっていて………」(※ステマではありません)

 22日のライヴも前回と同じブッキングで、白(KURO)と一緒だった。平日だったから、授業が終わってすぐに制服のままライヴハウスへ行ったら、白(KURO)のヴォーカルも制服で来ていた。
 今回もトリは白(KURO)で、今回うちのバンドは2番目だった。
 西北女学院の女の子たちは律儀にその日も来てくれていた。おい街や新聞の効果はさっぱりだったと思うが、白(KURO)のおかげで、前回よりお客は増えていた。
 2番手のボクらの出番になったが、ボクらの出番になったが、客席はぜんぜん暖まっていなかった。6週間で6回目のステージともなると緊張することはなく、いつものレパートリーを、いつものようにたんたんと演奏していた。
 曲が終わってもパラパラとさびしい拍手がくらいの反応だったが、後半に入り最後のロックンロール・メドレーで、一番前に陣取っていた西北女学院1年生グループが立って踊り始めてくれた。平静を装って演奏を続けていたが、うれしかった。
 終わって楽屋に戻ったら、次の出番を待っていた白(KURO)のベースの人が「やったじゃん!」という感じで右手を挙げ、笑顔で「おつかれさま!」と言ってくれた。
「ビートバンドからダンスバンドに進化できるんやないん?」
 調子に乗ったショウイチのこの発言はスルーしたが、たった3人とは言え、自分たちの演奏で踊ってくれたことに、メンバー全員で素直に喜んだ

 白(KURO)の迫力ある演奏も終わり、片付けとチケットの清算をしてライヴハウスを出ると、踊ってくれた女の子たちが待っててくれたので喫茶店に行った。
「これから踊りに行きましょうよ!」
 女の子たちから誘われた。
「でもオレたち制服やもん」
「さっきのライヴのときの服に着替えればイイやん!」
「そうかもしれんけど…」
 4人でコソコソ緊急ミーティングをして結局断った。
 ギャラは今回もなく、こづかいはスタジオ代に消えていた。メンバー全員、コーヒー代を払うと帰りの交通費すら危なかった。
「もしも金があったら…」
 きっと楽しい展開があったに違いない。
(タイムマシーンがあれば、そのときへ行ってお金を渡してあげたい…)


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