小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.10
「SOGOのウィーンでクラッシュのビデオを映しよるんやけど、でたんカッコ良いけね」
黒崎SOGOの中にあるウィーンの店頭で、クラッシュのプロモーションビデオが流されていることをゲンちゃんがセイジくんとボクに教えてくれた。
ウィーンと言うのは黒崎に数店舗あるレコード屋で、ゲンちゃんとショウイチは学校帰りによく寄っているらしい。黒崎を経由して通っている友だちも同じようにレコードはウィーンで買っているみたいで、レコードを借りるとだいたいベージュの地に茶色で「Record Shop Wien」と印刷された持ち手の付いたビニール袋に入れられていた。
「“ロンドン・コーリング“やろ。オレも観たばい!」
ショウイチも会話に加わってきた。
セイジくんとボクの住んでいるところから一番近い繁華街は小倉なので、黒崎に行く機会はほぼない。黒崎によく行く連中は“小倉はガラが悪くで怖い”と言うが、小倉に行っているボクらは黒崎の方が怖い街だと思っていた。(ちなみに小倉でボクがレコードを買うのは、松田楽器か矢野楽器だ)
「ミック・ジョーンズとポール・シムノンがカッコ良いけね。ねぇ、セイジくん、そろそろオレらもステージングの練習せないけんのやないん? 動き回りながらギターを弾かな…」
「ショウイチ、何言いよんね! まだぜんぜんちゃんとできとらんのに、ステージングとか言えるレベルやないやん」
セイジくんがショウイチの方を向いて言った。
「まぁ、でもセイジくん…クラッシュは観てみたいね…」
ボクがそう言ったら、セイジくんも頷いた。
1981年当時、家庭用ビデオデッキは超高級品で普及率は5.1%(通商産業大臣官房調査統計部編参照)しかなかった。もちろんボクの家にもなかったし、セイジくん、ショウイチ、ゲンちゃんちにもなかった。そんな状況なので、海外ミュージシャン(バンド)のビデオテープは一般に販売されていなかったと思う。
ライヴ映像を観る機会は映画館(とは言え、音楽ものの映画はほとんどない)で観るか、NHKで年に数回放送される「ヤングミュージックショー」くらいしかなかった。「ベストヒットUSA」は1981年4月に放送が始まったらしいが北九州では放送されていなかったし、「ポッパーズMTV」が始まるのはまだその3年後だ。
海外ミュージシャンの情報収集は、「ミュージック・ライフ」「ミュージック・マガジン」などの雑誌か、FM放送に頼っていた。
結局、文化の日の午後、黒崎SOGO前に集合して、ウィーンにビデオを観に行った。店頭のテレビの前に4人でしゃがみこんで、何度も繰り返し観た。
ロンドンのビッグ・ベンの映像、時刻は4時8分。画面は切り替わり、フルアコのギターを持ったミック・ジョーンズとセミアコのベースを抱えたポール・シムノンがイントロのリズムに合わせてカメラの前を通り過ぎる。2人とも帽子を被り、ジャケットを羽織っている。
あわてた様子で桟橋を駆けて行ったのはたぶんドラマーのトッパー・ヒードンで、ここから印象的なフレーズのベースが入ってくる。
ヴォーカルのジョー・ストラマーはテレキャスターを担いで大股で足早に船に向かって行く。
船の上でリズムを取りながら顔を突き合わせてイントロを演奏しているフロントの3人は、トッパーの機関銃のようなロールを合図に一斉に振り返り、マイクに噛みつくように歌い出す。
一点を見つめて怒りをぶちまけるように歌うジョー・ストラマー。機関銃を腰だめで撃ちまくるようにギターを振り回すミック・ジョーンズとポール・シムノン。後ろでは皮手袋をしたトッパーが、うつむきがちに淡々とリズムを刻んでいる。夜の船上はライトに照らされ、4人の顔とミックのギブソン295、トッパーのドラムセットが浮かび上がって見える。真っ黒な川の流れが映し出される。雨が激しく降り、ドラムから水しぶきが飛び散る。
「ロンドン・コーリング」はポール・シムノンのベースを前面に押し出したアルバムだと思う。ファーストアルバムのような荒々しい所謂パンクぽさはなくなっているが、音楽の幅が広がりカッコ良い曲が詰まっている。「パンクなんは、ジャケットだけやん」と悪口を言っている友だちもいたけど、ボクは素直にロックの名盤だと思っている。
本当に「ロンドン・コーリング」のプロモーションビデオはカッコ良かった。
「セイジくんもミック・ジョーンズみたいに動きながらギターを弾かないけんよ!」
ショウイチがよけいな事を言って、セイジくんに睨まれていた。
次の練習で、ポール・シムノンを真似してストラップを長くしてみた。ピッキングはしやすくなったけど、フレットが押さえづらい。もともとちゃんと弾けていないのに…、またもっと下手くそに逆戻りした。
セイジくんが言うように、まだまだステージングどころではなかった。
※亜無亜危異のライヴまであと29日