初公開!「関東大震災絵巻」に見る朝鮮人虐殺
関東大震災から100年が経った。東京・新大久保にある「高麗博物館」で関東大震災の惨状を描いた貴重な絵巻が公開されていると聞き(2023年7月5日〜12月24公開)、名古屋から足を運んだ。ビルの7階にある小さな展示スペース。朝鮮半島出身の人たちの歴史を伝える展示物の中心に「関東大震災絵巻」は展示されていた。上下2巻で全長30メートルという大作。その一部に描かれているのが朝鮮人虐殺の場面だ。朝鮮の人に襲いかかる大勢の軍人や自警団。滅多刺しにした人から流れ出る鮮血。無造作に投げ捨てられる遺体の山。あまりにリアルな描写である。
朝鮮人虐殺の様子が描かれたこの絵巻は、思わぬことから奇跡的に発見された。2021年2月、高麗博物館の前館長で元専修大学教授の新井勝紘さん(78)がヤフーオークションにこの絵巻が出品されているのを見つけ、競売の末に落札した。落札額はわずか97,000円だった。絵巻が届いてから新井さんが広げてみると、上巻の最後に衝撃的な朝鮮人虐殺場面が描かれていることが初めてわかり、今回初公開された。絵巻は震災から2年半後に描かれたものだという。さて気になるのは作者である。絵巻には作者の名として「淇谷(きこく)」の文字が書かれているが、当時の画壇記録にはそうした名前は見当たらず、「幻の画家」とも見られていた。しかしその後の調査で、福島県西白河郡泉崎村の大原彌市という小学校の美術教員であることがわかった。中央画壇では無名の、まさに市井の画家だったのである。画家・淇谷がなぜ虐殺の場面を描こうとしたのか?理由はわからないが、全長30メートルある絵巻には関東大震災で起きた出来事が、発生から津波被害までつぶさに描かれている。関東大震災を語る時、やはり朝鮮人虐殺に触れずにいられなかったのだろう。大災害の顛末を包み隠さず、後世に残したいという気概が伝わってくる。淇谷自身は朝鮮人虐殺事件について裏書にこう書き添えている。「同時に恐るべき流言蛮語(デマ)は興奮を極めつつある市民の神経をなやまし、武器を提げて各自衛するにいたらしめたり」。関東大震災を描いた絵は数多く残されているが、朝鮮人虐殺の場面を描いたものは少なく、極めて貴重な記録である。
ジェノサイドの現場を行く
「関東大震災絵巻」を見終わって、筆者は東京都墨田区の荒川河川敷を訪ねた。ここは関東一円で行われた朝鮮人虐殺事件の中でも、多くの犠牲者を出した現場の一つである。今はなくなったが、ここにはかつて四ツ木橋という荒川を跨ぐ大きな橋があった。関東大震災直後、不安の中にいた市民の間では「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが広がり、各地に結成された自警団や警察、軍隊が出動、朝鮮人を捕まえては手当たり次第に惨殺した。犠牲者は朝鮮人にとどまらず、中国人や日本の社会主義者にも及んだ。犠牲者の数は朝鮮人だけでも6,600人余りという報告もあるが、2008年の国の中央防災会議の報告書では震災全体の死者数(10.5万人)の1〜数%、つまり数千人の朝鮮人が犠牲になったと分析している。記者会見で「政府に記録はない」と語った松野官房長官の答弁は全くのウソである。
ここ荒川河川敷での犠牲者数はわかっていないが、100人が埋められたという証言もある。当時、ここにあった旧四ツ木橋には震災の火災から逃れようとする被災者が大挙して訪れた。そして警察や自警団が川の両岸に検問所を設け、橋を渡ろうとする朝鮮人を見つけるや片っ端から持っていた日本刀や木刀で処刑した。河川敷を眺めていると淇国の「関東大震災絵巻」で見た凄惨な場面が重なった。広々とした河川敷、虐殺はおそらく避難していた多くの日本人が見守る中で行われたに違いない。ここでは生き延びた朝鮮人だけでなく、彼らを殺したという日本人の証言も残されている。河川敷のたもとの小さなスペースに慰霊碑がひっそりと建っていた。2009年に在日の人たちとともに市民グループが建てたものだ。碑文には「この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願う」と記されている。
「エリート・パニック」と「ジェノサイド」
日本近代史の闇である朝鮮人集団虐殺はなぜ起きたのか?現代の常識では想像力を働かせてもなかなか理解し難いものがある。虐殺は関東大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火、略奪、婦女暴行に及んでいる」「東京方面に攻めてくる」といった流言飛語が市民に広まり、治安当局が取り締まりを指示、マスコミも便乗し、関東一円で虐殺が行われた。以前から筆者が疑問を感じていたのは、虐殺行為を扇動したのはデマを信じた民衆の側か、政府を含めた治安当局か、どちらが着火点だったかという思いがあった。しかし個人的には治安当局の指示が決定的な引き金になったと考えるようになった。実は大災害が起きた時に住民がパニックに陥るという説は、心理学的にも社会学的にも否定されている。災害が起きた際の市民は「大したことはないだろう」とむしろ冷静に捉えようとする心理が働くという。いわゆる「正常バイアス」と呼ばれるもので、たとえば津波などが起きた時に「自分の家は大丈夫だろう」と考えてしまう弊害すらある。ところがひとたび権力者がデマにお墨付きを与えると、瞬く間にリアリティを持って広まる。これを社会学では「エリートパニック」と呼んでいる。関東大震災での朝鮮人虐殺は流言飛語を信じた政府がエリートパニックを起こした典型例だろう。中でも震災翌日に戒厳令を発する際、内務大臣・水野錬太郎氏が発信した通達は罪深い。そこには「朝鮮人にして爆弾を携えて横行するものあり。社会主義その他の不逞無頼の徒、これに和し放火略奪至らざるなし、各位においてしかるべき手配を請う」とあった。政府が求めた「しかるべき手配」は朝鮮人虐殺にお墨付きを与えることになった。
大災害に際して、権力者がパニックに陥った例は福島第一原発事故でもあった。菅直人首相が自ら東京電力に乗り込んだり、ヘリで現地視察を強行した行動がそれだろう。それらの言動は国民に不安を与えた。エリートパニックは行政府だけでなく、専門家やメディアによっても引き起こされる。新型コロナウイルスの感染では多くの専門家やメディアが種々雑多な情報を発信し、国民がパニック状態に陥った。陰謀論やワクチン論争でも似たような傾向が見られた。
関東大震災での悲劇はテレビやラジオもない時代の不幸な事件と片付けられない。ソーシャルメディア=SNSの発達した現代の方が根拠のないデマは広がりやすい。現代においてもネット情報がヘイトクライム(差別犯罪)に繋がった例は少なくない。また大災害は往々にして差別感情を増幅させる。東北学院大の郭基煥教授によると、東日本大震災でも「外国人窃盗団が横行している」「暴動が起きている」との噂を聞いた人は仙台と東京で5割に上り、その8割が信じたとの調査結果もある。朝鮮人虐殺は関東大震災から100年が経った今も、忘れてはいけない教訓を含んでいる。(了)