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南画 1

 南画(なんが)、北画(ほくが)の話です。  
 絵に南北の区別があるのか?と思われる方もいるかもしれませんが、その通り区別があるのです。あったといったほうがいいかもしれません。
 水墨画経験者や愛好者のほとんどは南画という言葉を耳にしたことがあると思います。
 我が国において、南画はながらく今で言う水墨画とほぼ同義で使われてきました。  
 しかし今では南画という言葉はまったくと言っていいほど使われなくなりました。水墨画と言う言葉が一般的になったため、南画という言葉は死語と化しつつあります。「私は水墨画家です」という人がいても、「私は南画家です」という人はほぼ聞いたことがありません。  
 私が推察するに、南画という言葉は大陸の絵とほぼ同義で使われていたため、戦後日本の多様な技法や考え方が導入された水墨画の世界にあっては、南画はいかにも時代の要請にそぐわず、水と墨を使った絵という明解な水墨画という言葉が、絵画ジャンルとして南画にとって代わり、その地位を獲得したのだと思います。  

倪瓚(げいさん)「容膝斎図」(元代)

 話を戻しましょう。  
 私達が南画、北画と言っているものは元々は南宗画、北宗画と呼ばれるものです。
 これはあくまで大陸の歴代の絵画を分類するのに、清代の董其昌(とうきしょう)という人が禅宗の南北二宗論の考え方を当てはめて解説したのが始まりです。  
 両宗の悟りに至るプロセスを簡単に言えば、北宗は漸悟(ぜんご)、つまり修行に修行を重ねた果てに悟りを得ることができるというもの。南宗は頓悟(とんご)、突如として悟りの境地に至るというものです。  
 これを絵画に当てはめるのですからやや無理があると思いますが、つまり北宗、南宗の悟りに至る道程を、作画を完成させる工程に置き換えているのが北宗画、南宗画ということになるのです。  
 この考え方によると、南宗に基づく南宗画のほうがより画家の意思が直截的に画面に反映し、精神的な自由度が高いといえるのでしょう。

つづく

記事タイトル画像は、 
黄公望(こうこうぼう)「富春山居図」部分(元代)

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