理想の働き方と環境♯2 〜アメリカと北の国から考える〜
こんにちは、ショウイチです。
前回の「理想の働き方と環境」についての記はCo-Walkerのnoteとしては、たくさんの方からスキをいただき、嬉しく、励まされました。ありがとうございます。
どのようにして多用な働き方を認め合う環境を構築できるのか。
結論は出ていませんが、今から20年ほど前にアメリカで働いていた父の話とドラマ「北の国から」のエピソードを切り口に考えてみました。
■父のアメリカでの働き方
私の父は30〜40代の頃アメリカで働いていました。商社等に勤めていてアメリカへ栄転…というわけではなく、30代手前で未経験だった建築事務所に転がり込み、日本で見つけた求人広告から渡米したという息子から見ても中々破天荒な父です。
そんな父ですが、アメリカでの働き方について改めて聞いてみたところ、以下のような答えが返ってきました。
・成果主義
成果を出せなければクビになるので必死だった。いつ辞めることになっても転職できるよう、スキルを高めておくことを意識していた。(当時からアメリカは従来型の終身雇用から成果主義へ転換していた時期で、終身雇用ではない代わりに転職もしやすい環境へ移り変わっていた時期だったと思います。)
・メリハリがある
日本へ1〜2週間出張へ出ることも多かったので、家族との時間も限られている。その為、平日はなるべく残業をしないようにしていた。
仕事をやる時はやる。ただ終わる時はすぐに終えて家族との時間を大事にする。
家族との時間を大切にするというのはアメリカの国の成り立ちや歴史や文化、宗教等も関係していると思います。
自分自身アメリカと日本という単純な2軸での考え方や、アメリカ最高!という盲目的な発想には抵抗があります。
ただ、どんな働き方をしても「結果を出していればOK」「最優先は家族」という考え方が定着していることが、結果的に多様な働き方を認めやすい環境になっているように感じます。(そもそも大前提として多様な人種・ルーツ・宗教がある国ですが)
■北の国からのエピソード
私は1981年〜2002年にかけて放送されたドラマ「北の国から」が大好きですが、あるエピソードで違和感を覚えた時があります。
主人公の黒板一家が住む村で、ある時一つの農家が水害により借金を抱えます。村で借金を分担して負担する話が出ますが、大里という農家はこれに反対します。
黒板五郎(田中邦衛)はこれに対して内心憤りを感じており、泥酔した際に大里の娘に対して「昔から農家は助け合ってるんだ、お前なんか仲間じゃねえと親父に言っとけ」と吐き捨てます。(子供には何の関係もなく、大分理不尽な話ですが…)
何かあったときに助け合うこと。とても素晴らしいことですし、自分自身仕事で大変な時や困った時に周りの同僚が率先して助けてくれます。
ただ、これを見たときに納得する思いと共に何か違和感を感じてしまう自分もいました。
大里には大里なりの理由があり(借金を抱えた農家は水害が発生しやすい畑を作っており、大里が再三注意したにも関わらず改めていなかったこと)借金を負担することを拒みます。
助け合うことは美徳であり圧倒的に正義なんですが、時に「世間」や「同調圧力」と混じり合ってしまう時があるように感じます。
助けることは当たり前、仲間で一緒に頑張るのは当たり前…それ自体は素晴らしく正しいことでも、文脈次第では誤った方向や間違った方向に行きかねないように思うのです。
(このエピソードで水害に合った農家を助けるべきかどうかというのは、自分の中でも答えが出ていません)
■二つの話から思うこと
いずれも80年代の話なので、思考する為の情報が少々古くはありますが…笑
どちらが良いと一面的に答えを見出せるものではなく、歴史や文化的な影響も大きく、幼少時代から自然に触れてきた考え方を変えることは簡単ではないと思います。
ただ、アメリカ的な視点と日本的な視点で考えたときに、
・どう行動しても文句を言われないだけの結果を出す=信頼を得ること
・余白、余裕があること=自分だけでなく皆が所属する世間、コミュニティを増やすこと
といったようなことが鍵になってくるのではないかと考えています。
二点目は少々唐突感があると思いますが、また次の投稿で整理していきたいと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!