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死者からのメッセージ          (ペルーその❻)

     「記憶の断片」

 1980年代から1991年、ぺルーの経済は破綻寸前で失業、貧困により治安状態は悪化。そのなかで左翼ゲリラ・反政府組織が台頭し爆弾テロ、誘拐、暗殺、強盗が多発。国内は内戦状態が続き厳戒態勢が敷かれていた。 
 
 その武装組織が群雄割拠するペルー国内で最大・最恐最悪と恐れられていたのが「センデロ・ルミノソ」である。
 「センデロ・ルミノソ」 訳すと「輝ける道」となるが南米のポル・ポト派とも言われており、私には「地獄への道」としか思えない左翼ゲリラである。
  
毛沢東主義を掲げる共産ゲリラで元大学教授グスマン
(後にフジモリ大統領指揮する対テロ特殊部隊に逮捕され、その檻に入れられた姿が公表されるなど話題になる。)
が農村地域で結成し誕生したとされている。

センデロ・ルミノソのアジトに掲げられていた毛沢東肖像

 農民や貧民を助けるための反政府活動と謳っているが、麻薬の売買など麻薬組織と密接な関係があり、それで得た豊富な資金で武器を調達。 休校が相次ぐ大学の学生や行き場のない若者などを洗脳・勧誘しその勢力を拡大。首都リマでも過激な破壊活動を行っていた。

そして麻薬撲滅などに援助しているアメリカに対し帝国主義の押し付けと反米主義を掲げ、外国企業や欧米人に対しても誘拐・襲撃を繰り返していた。また彼らに接触し取材しようとしたジャーナリストも誘拐されるか殺害され、海外メディアも手を出せずその実態は闇に包まれていた。

センデロ・ルミノソのアジト
押収されたセンデロ・ルミノソの銃弾

そうしたなか、ぺルーで新星のごとく日系人フジモリ大統領が誕生する。
フジモリ大統領は経済復興と治安維持によりぺルー再生を誓い民衆の支持を得たのである。
そして警察・軍の再編成など行いテロ組織に対して強い姿勢を示していた。

だが政権の片隅に追いやられた前政権の権力者などはフジモリ政権の転覆を画策し暗躍するなど就任1年目の政治状況はいまだ混沌としていた。

そして悲劇の「JICA事件」が起きる。
1980年代から海外企業や欧米人へのテロが増え続け80年代後半からは日本企業も襲撃される。そしてフジモリ政権誕生から日本企業だけでなく日系人への襲撃事件も起き始めていた。

南米ではブラジルに次いで多くの日系人が暮らすぺルー。
その日系人社会に「JICA事件」は大きな緊張と不安の影を落とす。
大谷さんの紹介で取材に訪れた日系人の一人は、大きな農場を経営しぺルーで成功しているが、フジモリ政権誕生で毎日が不安でたまらないと話してくれた。いつテロ組織に襲われるかと不安でボディーガードを数人雇い自らも武装していると話してくれた。

かたやある日系人のかたは
「これまでは他の外国人や企業がテロの対象だったがここにきて日本もその対象に入ったということ。以前から予想はしていたのでフジモリさんのせいではないと思いたい。フジモリさんには頑張ってもらいたい。国民のために、この最悪のぺルーを立ち直らせ日系人の誇りとなってほしい。」
と熱く語ってくれる人もいた。

揺れ動く日系人社会で様々な思いを胸に、今は目立たたず静かに生活し、今後を見守りたいというのが多くの日系人の想いと感じ取れた。

 日が陰り冬の寒さを肌に感じ始めた頃、デモ取材で始まった一日が終わろうとしていた。

朝体験した、催涙ガスの強い匂いがまだ鼻の奥に残っている。夕食はみんなで美味しいものでも食べてその匂いを打ち消そうかと考えていたらアントニオ達が日本食が食べたいというので大谷さんがよく行く日本食レストランへ向かった。
そこで大谷さんの夫・ビクトルさんとも合流。

こじんまりした大衆食堂という感じだが、海外によくある日本食レストラン同様、寿司からラーメンとメニューは豊富。
ぺルーは魚介類も新鮮で握り寿司も美味しくアントニオ達も寿司からラーメンへと見事な食べっぷりである。
初対面の大谷さんの夫・ビクトルさんだが元軍人で今はアルバイトなどしているという。 物静かだが頼りになりそうな感じである。
最近まで軍に所属しており対テロ特殊部隊に知り合いも多くこれからの取材で協力などお願いした。
 それは日本でこの企画を考えていた時から今日まで、一つの思いが頭から離れられず張り付いたままのセンデロ・ルミノソ取材の実現である。

これまでセンデロ・ルミノソの取材が出来たジャーナリストは誰もいない。
果たしてセンデロ・ルミノソの取材は実現できるのか?
 
日本にいる段階で メキシコ支局長A氏にこの件を話したが不可能だし接触できても誘拐されるか殺されるだろうとの返事で終わっていた。
そして今、大谷さんに話しても無理だろうとの返事。
アントニオ、セサールにしては外国人の接触自体が不可能と。
ならばセンデロ・ルミノソと唯一接点のある対テロ特殊部隊の情報が重要になると考えたからである。
センデロ・ルミノソの取材が実現できなくても対テロ特殊部隊側からその実態を表現できるからだ。

ビクトルさんの話では
「センデロ・ルミノソ取材はアントニオが言ったように外国人は無理だろう。接触を試みること自体が危険だ。
でも対テロ特殊部隊の取材はなんらかの形で実現できると思う。リーダーのインタビューとか。私が話してみる。」

話の終わったビクトルさんのリクエストで最後は日本酒の乾杯で食事を終えた。

対テロ特殊部隊

ホテルに帰る。

センデロ・ルミノソの取材は不可能か。と考えていたが、あきらめきれない思いが心の奥でまたくすぶりはじめた。
なにか実現できる糸口は有るはずだ。明日からそれを探してみよう。

そして答えは想像できるが、どうして日本人を殺害したのか?と 直接、彼らにぶつけたい。
そんな思いがどんどん膨らみ始める。

そして荷物をまとめ始めた。
明日は、今いる高級ホテルからもっと安いビジネスホテルへの引っ越しである。

   
   ぺルーその❼に つづく

 








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