第十二話 Youは何しに沖縄へ?
さて、何するか…?
改めまして、坂口祥尉です。
前回までのnoteにて
僕のこれまでの『人生(サッカー)』ついてお話させていただきました。
『人生(サッカー)』と記したように、僕の人生はサッカーと共に形成されてきましたが、僕はサッカーを辞めたので、一度死んでいます。
『死』という表現はあまり良くないかもしれませんが、新たに生まれ変わるという意味でも使わせていただきました。
さて、何するか…?
自分の人生を記憶しているだけ遡るともう既にボールを蹴っていた僕です。
幼稚園の頃からプロサッカー選手になるという夢を掲げ、約18年間ブレずに夢を追い続けてきた僕です。
そんな僕がサッカーから離れ、アルバイト中心の日々を過ごす中で、自分は何がしたいのかを考えていると1つの答えが出ました。
『有名になりたい』
実はこれは僕の性格上当たり前の夢であることに気付きました。幼稚園の頃から遠足などで、カメラマンの前に率先してポーズをとる少年だった僕は、やっぱり目立つのが好きで、チヤホヤされるのが好きだったなと思い出しました。
しかし、この『有名になりたい』とはそんな安易な理由ではなく、どこかでやっぱり『見返したい』という野心から成るものでした。
幸せなことに僕の身の回りにはすごい人たちがたくさんいます。
先輩、同期、後輩、元チームメイトから対戦相手までサッカーはもちろんのこと、それ以外の業界でも活躍している人たちが多くいます。
そんな人たちに劣らないように、負けないように自分も有名になって、彼らに
「祥尉も頑張ってるから、俺も頑張るか」
と、思って貰いたいと思いました。
また、僕はサッカーを辞めてからSNSのフォロワーが100人以上減りました。おそらくサッカー選手としての僕を応援してくれていた方々を失望させてしまったからか、あるいはサッカーをしていない僕に価値がないからだと思います。そんな人たちにもう一度応援して貰えるように、自身の活躍が耳に入るように、サッカーを辞めても、「俺はできるぞ」ということを伝えるためにも有名になることを決意しました。
でも、どうやって有名になるの?
サッカー以外の知識や能力が0に近かった僕ですが、続けていたものがありました。
それがYouTubeです。
Edo All United時代からサッカーの軌跡を残すために趣味程度で始めたYouTubeでしたが、意外にも動画を撮影し、編集することが楽しくて、動画を通して自分の考えや思いをどうやったら上手く視聴者の人に伝わるかを試行錯誤しながら動画作成する作業が好きでした。
だから、僕は決めたのです。
『YouTuberに俺はなる』
“YouTuber”と聞くと、コーラーにメントスを入れたり、ドッキリをしたり、なんかふざけている人たちってイメージを持つ方が結構いると思います。
しかし、僕の中での解釈は少し違っていて、YouTubeと言っても様々なジャンルのチャンネルがあり、多種多様な表現がそこにはありました。
多数存在する○○系YouTubeチャンネルの中で自分は何系をするべきなのか、自分の強みを活かすにはどうするべきなのかを考えた結果が今の
『よくばりJourney』
いわゆる
『カップル系YouTubeチャンネル』
です。
でも、どうしてカップルチャンネルなのか?
1番の強みはサッカーなのでは?
といった疑問がいくつか浮かぶと思いますが、その理由については次回以降で説明したいと思います。
でも、なぜ沖縄なのか?
理由を一言で説明しろと言われたら
「海が好きだから」
ただそれだけです。
しかし、そんな簡単な言葉で説明できるほど、僕らの下した沖縄移住の決断は軽いものではないので、しっかり説明します(笑)
まず、僕も現在お付き合いしている彼女も海外志向を持っていました。実際に彼女は海外留学、僕はサッカーで海外挑戦をする予定でしたが、コロナ等の影響でお互いに実現させることができませんでした。
でも、僕らは環境を変え、自分の成長につながる何かに挑戦したいと言葉交わさずとも同じ思いがありました。
そんなある日、彼女がこう言いました。
「沖縄で一緒に住もう!」
今思うと、冗談半分で言ったセリフだったのかもしれませんが、当時の僕は直感的に
「いいね!」
と、前のめりに返事をしていました。
もともと実家を離れ、海外に行こうとしていたので、家を出るという決断に対してのネガティブな考えはありませんでしたが、彼女と沖縄移住、すなわち同棲となると、多大な責任が伴います。
それでも、2人で何かに挑戦することがワクワクしてたまりませんでした。
今まではプロサッカー選手になるという自分1人の挑戦でしたが、誰かと何かを目指すことは人生で初めてだったので、僕の人生においてサッカー以外で初めてビビっときた瞬間でした。
僕の長所の一つとして、『行動力』があげられます。
良くも悪くも思い立ったらすぐに行動し、「なんとかなるだろう」精神で我が道を進んできた自分です。
そして、僕らは2021年11月25日に沖縄へ旅立ちました。