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店舗の中心で、おっぱいと叫ぶ

先月から商店街に新しい拠点をかまえることになった。

名前は「mibunka(みぶんか)」とした。

空いてしまった店舗 (現mibunka) をとりあえず借りたのが1年前。

なにをするか、なににするのかも決めないまま、借り続けた。

商店街の中にあって、店舗でもないのに煌々と明かりがついているようすは、周りの方からは不思議がられていたようだ。

この1年の間のあれこれ(なぜ1年もただ借りていただけだったか)については別の機会で書くことにするとして、今回は新たな拠点であるmibunkaでの出来事について書こうと思う。

mibunkaは、臆せずに言えば「めちゃくちゃな場」である。

2階建て、100平米程度の建物に「本屋」、「カフェ」、「シェアスペース」×2、「合同会社オンド(私の)事務所」、「有償ボランティア団体の事務所」を詰め込んでいる。

各スペースにそれぞれの運営者がいて、利用者(お客さん)より運営者の数の方が多いこともある。というかその方が多いかもしれない。

一応、企画・設計した私としてはそれぞれのスペースがある程度整理されるようにしたつもりなのだが、完全に区切ったり仕切ったりはしなかった。その代わりに、それぞれのコミュニケーションで、徐々に領域が決まっていくような空間や装置を用意したつもりである。

しかしながら実際に稼働し始めると、想像を超えてヒトの動きやモノの動きは錯綜していった。毎日のようにナワバリの押し合いへし合いをしているようすである。(いまのところ、そのコミュニケーションは健康的なものに見える)
そして私自身もその健康的なナワバリ争いに参加しないと、あっという間に自分の場所が毎日変わったり失ったりすることになる。

ちなみに、ナワバリ争いと例えてしまったが、アニマルプラネットで見るような壮絶なものではない。広い公園で自分の居心地の良い場所(木陰とか、丘の上とか)を見つけるようなものだ。(と私は感じているが、ほかの人にとっては違うかもしれない)

このように、様々な運営者がいるものだから、そこに来る利用者(お客さん)もさまざまである。

特に有償ボランティアの「地域生活応援団」(前回書いた「お手伝いサービス」が自治会から離れ、任意団体となった)の利用者さんの中には、キャラが濃い方も多い。

よく来てくださるKさんはそのうちのひとりである。

彼は福島で育ち、中学卒業後に合羽橋の近くのプレス工場で職人として働き、その中で大怪我をして手に障害を負っている。

激動の1960年代を20歳代で過ごした彼の口からは、方言、下ネタ、激しい言葉などなど、その時代、その場所、そのコミュニティの中で培われた独特の言い回しが大きな声で放たれる。

本を買いにやってきた(本屋を目的にしてきた)お客さんにとって、びっくりしてしまうこともあると思う。

先日は私に「昨日楽しく遊んできた」という話をしてくれていたのだが、「一緒に遊んでたオネエチャンに『6時過ぎたからおっぱい触りてえ』って言ったらよお」と、いきなりド下ネタへ向かって舵を切り始めた。

しばらくハイハイと笑いながら聞いていたのだが、おっぱいを触りたい気持ちが段々ヒートアップしてきたのか、おっぱいおっぱいと連呼し始めた。トップギアに入ったKさんを止めるのはなかなか難しいので、一緒に煙草を吸おうと誘って店の外の路地に出た。
さすがに他のお客さんをびっくりさせるわけにもいくまい。

路地に出て煙草に火をつけてあげると、フッと大人しくなって自身の不安を口にし始めた。
歩ける距離が短くなってきたこと、物忘れが多くなってきたこと、手が動かなくなってきたこと、家の片付けが出来ないこと…

ふだんは大きな声で変なことばかり話すKさんだったが、どうやら彼は地域生活応援団によるお手伝いで助かっていることを伝えたかったらしい。

吸い終わった煙草を消す灰皿を探しながら「ありがとねえ。」とボソボソ呟くKさん。

さっきまであんなにでかい声出してたのに、急にしんみりしちゃって調子くるっちゃうよなあと思いながら、手持ちの灰皿をKさんの手が動く範囲のところまで持っていった。

私が持っている灰皿にKさんが煙草を押し付ける。
が、驚いた。
その力は火が消せる強さではなかった。とてつもなく軽く、弱々しく、頼りない力だった。

80歳を超えた老人の、手に障害を負った人の力は、こんなにか弱いのだろうか。
いや、それとも考えすぎで、私に気を使って優しく押し付けただけなのだろうか。
いずれにしても、一緒に煙草を吸わなければKさんのこんな側面には気が付かなかったと思う。

Kさんの代わりに火を消しながら、彼の過ごしてきた/過ごしている時間や景色を想像した。

同時に、これまで街の中で避けてきた、たくさんのちょっと変な人(もちろん自分も人のことは言えない)の姿を思い返した。

街の中で知らぬ間に排斥されたり疎外されたりしている人たちはどこにいるのだろうか。どんな時間を過ごしているのだろうか。

私の活動は時折「まちづくり」と呼ばれたりもしているが(私はまちをつくれるなんて思っていないのだが)その健康的な武器を手に、誰を退けているのだろうか。

私の眼では、退けてしまった相手を見つけることはできない。

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