ブレヒト① (9/9の日記)
木曜日。くもり。
足がずきずきと痛む。
朝のニュース。
スマホを見ながら歩いていた女性が、踏切で電車にはねられて死んでしまったらしい。
NHKでは、どうやったら「歩きスマホ」をやめられるのか、と「歩きスマホ」という病理を強調していた。スマホ依存から脱却したエッセイストという人の紹介が出てきて、「亡くなった女性はスマホ依存を脱却できなかったのでしょう」とまとめていた。
しかし、素朴に考えて、誰か気づいて助けてあげる人はいなかったのか。女性は踏切内に数十秒、立ち止まっていたらしい。
彼女に声をかけたり、とっさに行動できない周りの人たちにも、問題があったのではないか。
もちろん、私がそこにいたとして、助けられたとは言わない。その場に居合わせた人の責任を問いたいわけでもない。
ただ、女性の死を招いたのは、彼女のスマホ依存より、もっと根深い社会の問題ではないか。それをひとりの人間の「自己責任」として報道して済ますのはどうなのか。
NHKの報道姿勢に疑問を感じた出来事であった。
……急に社会派になってしまった。
そういえば、この日記、世間のニュースをぜんぜん記録していなかった。
たしかに、私はテレビが好きではないので、家族がつけていても、あえて見ないようにして生活している。
前にも書いたように、SNSの類もほとんどやっていないので、ニュースはあまり目に入らない。
それにしても、この日記をはじめた頃に、オリンピックをやっていたのは知っている。
オリンピックについては、武田崇元氏のユーモラスなツイートだけ、ときどきチェックしていた。
私は、自分が世間から孤立していられることを、むしろ積極的に肯定したいと思っている。
ただ、日記には歴史の記録という機能もある。これからは、一応、目につくニュースがあったら、記録しておくことにしよう。
ブレヒト『アンティゴネ』(谷川道子訳、光文社古典新訳文庫)を読む。
ソポクレスの原作から、アンティゴネの兄が、国家の敵ではなく、兵役逃れした人物に改変されている。ソポクレスでは、叔父クレオンはオイディプスと同じく逃れがたい破滅の運命に落ち込んでいく人物だったのが、今回は近代国家における独裁者であり明確な悪として造形されている。
ブレヒトの立場からすれば、神の定めた運命を唯々諾々と受け入れる劇を、現代に再上演することには何の意味もないということになるだろう。一方で、観客が、自らを単純な被害者=「善」に位置づけることのないよう、アンティゴネもコロスから「あの女、すべてを悟りはしたが、ただただ敵を助けたばかり」と批判される結末になっている。訳者谷川氏の解説を読んで、ブレヒトが古代劇のコロスに「異化効果」の可能性を見ていたこともよくわかった。
これから舞台に載せるためのポテンシャルを持った「素材」という性質のもので、寝たきりの人間が読むにはソポクレスの本の方が面白いのは当然だろう。
ブレヒトは、『三文オペラ』や『ガリレイの生涯』を読んだが、まだよくわからない点も多い。今日の日記のタイトルは「ブレヒト①」としておこう。