フランス文学案内(9/19の日記)
日曜日。
最近、岩波文庫の『フランス文学案内』をたよりにして、フランス文学の古典を最初から順に読んでいこうとしている。
私は仏文科の学生だったが、今になってようやくちゃんと勉強する気になったという感じで、どうも、情けないことである。
ところで、最初から順に読もうとすると、まず中世の詩などからということになるが、クレチアン・ド・トロア他めぼしいものが、『中世フランス文学集』などハードカバーの、高価な本でしか出ていない。
机に向かって本を読める体調ではないので、文庫本でないと、仮に買えたとしても読めない。ちくま文庫の『薔薇物語』など魅力的なのだが、品切れで、プレミアムがついている。実にもどかしい。
とりあえず岩波文庫ばかり読んでいる。
今日は『結婚十五の歓び』(新倉俊一訳)、『ピエール・パトラン先生』(渡辺一夫訳)。どちらも作者未詳。
『結婚十五の歓び』は14世紀末〜15世紀初頭に成立。短編小説集と言っていいのか、結婚の「喜び」を風刺したコントが15篇並んでいる。個々の主題は独立しているが、「夫」「奥方」「愛人」など固有名は無い。また、15篇全体の構成は緊密ではない。
基本的に、妻の図々しさを風刺するというかたちをとっているが、実は女性嫌悪的ではない。滑稽化されているのは「人間」であって、女に振り回されない「騎士道」的精神や、貞淑な美人を理想化しているかのような一節もあるが、それは対照するために持ち出されているだけで、実際にはまったく道徳とは無縁の、ヒューマニスティックな作品と言えるだろう。
『ピエール・パトラン先生』は15世紀中葉の「笑劇」。
貧乏弁護士のパトラン先生が、妻と共に「狂人」を演じて、布地をタダでせしめる話。だまされる布屋の方も、まったく「善良」でないのが可笑しい。主題は単純で下品だが、それだけに、モリエールなどより完成されているとすら言えるのではないか。「サゲ」も見事に決まっていて、むしろ落語に近い趣きがある。
今朝は明け方、暗いうちに、汗びっしょりで跳ね起きた。また悪夢を見た。肌寒いくらいなのに、なぜこんなに汗が出るのか。
痛みもひどい。午前中は、痛み止めがずっと効かず、輾転反側していた。
むかし、シオランは言っていた。「いつでも自殺できるとはなんと素晴らしいことか。それによって辛うじてこの苦しい生を耐えられる」と。これは全くその通りで、どうやって自殺するか、なるべく具体的、現実的に、イメージすることでしか耐えられない時間がある。