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歌物語と詩集(9/17の日記)

 金曜日。

 岩波文庫のフランス文学を2冊読む。

 『オーカッサンとニコレット』(川本茂雄訳)。13世紀の「歌物語」。韻文と散文が交互に配される構成。現存するもので歌物語と称されるのは、この作品だけだという。
 『ロランの歌』の大仰な修辞にはうんざりしていたので、恋に落ちて夢うつつの王子オーカッサンが一瞬で敵軍をなぎ倒してしまう場面など、武勲詩をからかうところがあるのが楽しい。
 オーカッサンが恋のためなら「地獄に落ちても良い」と語る大胆さに拘泥する必要はないだろうが、中世にこれほど明朗快活な作品があったという事実には驚く。本作にルネサンスの先駆けを見たのはペイターだそうである。父王との対決がドラマの中心になるのかと思いきやそうではなく、いきなり奇妙に空想的な展開になり、障害はあっさりと消滅したり、また現れたりする。「女奴隷」ニコレットが実は「某国の王女」であったというのはそういうものだろうという感じだが、主人公たる2人の内面が「恋」一語で表象され、それ以上何もわからないのは、現代の眼から見て、単に古拙の味わいを超えて、新鮮。

 『ロンサール詩集』(井上究一郎訳)。ロンサールの詩45篇。16世紀ロンサール、デュ・ベレーら「プレイヤッド」派によるフランス語改革についてはかつて文学史で聞きかじったが、本書井上究一郎による「ロンサール小伝」読んで初めてよくわかった。
 ピエール・ド・ロンサールは、抒情詩以外にも多くの作品を残し、本国で53年間を費やし完成された全集は18巻23冊になったという。宗教改革に関する政治的な詩も、この薄い文庫本でいくつか読める。
 ロンサールの業績は、「オード」「ソネット」形式をフランス語において確立したことだそうで、それは邦訳で読んでわかることではないが、いかに詩とその作者の名を「永遠」のものにするかという主題を歌った詩作品は素朴に読んで感動的。「カッサンドラ」「マリー」「エレーヌ」といった女性名は、現実の女性をもとにしながら、ギリシア神話の同名のイメージを経由して、ミューズとして普遍化されているという。ダンテのベアトリーチェと同じである。女から「お前の名前は所詮消え去るだろう」と予言されるという、倒錯したレトリックも面白い。「小伝」によれば、ホラティウス、ペトラルカの模倣からいかにして逸脱していったかという点に興味はあるようで、それも読まなくてはいけない。

 足がしびれるのと、痛いので、ベッドで足を伸ばして一日中過ごす。姿勢に気を使いすぎたせいか、今度は、首が痛くなってきた。
 母の仕事が休みなので、同じ部屋で、それぞれに怠惰な時間を過ごす。

 夕食は、母が作った参鶏湯(サムゲタン)。これでは鶏肉が多すぎて、脂っこい気がする。

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