45歳でさまざまな安定を捨て起業した社長の話
はじめまして。僕は今年45歳で人生のいろんな安定を捨てた起業家社長です。
少しセンセーショナルなタイトルですが、それまで約20年弱どっぷりつかっていたサラリーマン生活を卒業しました。
そして、長らく住んでいた日本という国からも離れて今は海外で暮らしています。妻も子供もまきこんで、です。
もちろん思いつきでそのような行動をとったわけではなく、それなりに時間をかけて今にいたります。
45歳というと、本来であれば会社でもそれなりのポジションについて年収もそれなりにあり、盤石な環境でいかにそれを継続していくか、を考えると思いますが、
真逆の選択をとりました。
安定した収入も、社会的地位も、生活も、慣れ親しんだ土地も全て捨てて、住んだこともない異国の地で何もかもゼロからのスタートを選びました。
このブログでは、そんな選択肢をとった理由などを伝えながら、これから僕が直近のゴールとして成し遂げていくことその過程を全て綴っていこうと思います。
ちなみに、このブログは自分のために書いている所もあって、自分の思いや背景や意見をランダムに書いていくことで、後で振り返った時にエンタメ的に楽しめる日がくるかもな、という思いから書いています。
文才なきことを悔やみますが、それでももしご興味があればおつきあいください!
自己紹介
さてまず、自己紹介のつもりでいろいろ話します。
僕は2024年にそれまで勤めていた会社を退職し、今は個人事業主のフリーランスとして独立し、マーケティングのコンサルティングをしています。
それまでは、それなりに名の知れた企業(事業会社)約3社でマーケッターのキャリアを積みました。新卒から退陣までずーっとマーケッターです。
生粋のマーケッターではありますが、営業経験はありません。
よくもわるくもマーケッターとして過ごした時間が長かったことで、マーケティングの中でも多種多様かつ豊富な経験を得ることができました。
マーケティング戦略、調査企画、商品開発、広告コミュニケーション開発(TVCMとかキーグラフィックとか)、ブランディング、販売戦略、VMD、サプライオペレーション、クリエイティブディレクション、EC設計やSNSを活用したデジタルマーケティング、ブランドを社内で統制・管理するブランドマネジメントなどおそらくマーケティングの部類に入るとされることはほとんど全てを実践でやってきました。
業界は、化粧品業界、飲料・食品業界(健康系が多かったかな)で、外資系も日系もどちらも経験しており、グローバル本社でブランドの川上で海外のブランドの全体統括をしていたこともあれば、POPをつくって国内のドラッグストア店舗をまわって棚に設置してリアルABテストのような効果検証をするみたいな泥臭い川下の仕事もしてました。
企業のマーケッターは左脳型が多いのですが、僕はどちらかというと右脳型です。感性で発想や仮説を出して、そこにロジックをくっつけていくというタイプ(もちろんロジックの積み上げもやりますが)です(いまもなおそう)
問題解決型のマーケティング経験も数多くありますが、楽しいと感じるのは問題提起型(世間に問題に気づかせてそこに独自の提案をしていく)のマーケティングで、ゼロイチでマーケットをつくることにいつも楽しさを感じていました。
人間10年同じことをやっていると誰でもそれなりにスキルとセンスが身につくといいますが、20年弱、川上も川下も、酸いも甘いも経験してきたおかげで、専門性だけはついたと思いましたし、そうした積み重ねが、新たな道を開いたきっかけにもなったのは間違いないです。
なぜサラリーマンを引退したのか?
理由はいくつかあるのですが、
独立して自分を看板にして働いてみたかったから
様々な業界のクライアントの助けになりたかったから
子供を海外で教育させたかったから
パーセンテージでいうと、40%、10%、50%ですね。
3番目の海外教育移住が、パーセンテージとしては高いものの、サラリーマンをやめる直接的なきっかけとはいえない(海外でも現地で就職すればサラリーマンはできるので)ですが、独立のタイミングがたまたま海外移住と重なったということになります(教育についてはまた別の記事でもお伝えしようかと思います)
なので、脱サラの直接要因として大きいのは、自分が看板になって働くことでした。それだけ自分の価値をダイレクトに感じて働きたかったのです。
自分の価値を感じて働くということ
新卒で入社してから数年間はとにかく現場仕事をこなすので手一杯でしたが、会社勤めが長くなるほど、忙しい日々の業務の隙間に、自分の立場や業務を俯瞰して見れる余裕がでてきます。
ふと考えると、自分は会社組織の歯車のひとつ、にすぎないのだな〜という感覚に苛まれるようになりました。
もともとマーケッターを目指したのは、「自分の手で、世の中に新たな価値・文化を生み出すことで、自分が生きた爪痕を残したい」という明確な志があったからでした。
そうして社会に貢献することが、この世に生を受けて、自分に感性と才能を与えてくれた祖先への感謝の形であり、自分がその時代に生きた証だと思っているからです。
その思いは、新卒で提出した履歴書を見かえしてもそっくりそのまま書かれていますし、独立した今もなお変わりません。
しかしながら、企業で組織の一員として働いていると、本当にそれが実現できるのか、わからなくなり、疑問がわくようになりました。
自分が担当している商品・ブランドが売れたとしても、自分の名前が世の中に残るわけではない。
それって自分にとって意義があることなのか?
本当に自分がやりたかったことなのか?
このままで人生目標が達成できるのか?
いつしかこんな疑問をつねに心にもちながら生きるようになったのです。
そして2024年45歳になり、人生折り返し地点になってきたときに、その積年の思いが、人生前半の幕を閉じ、後半の幕開けをする原動力となったわけです。
独立したことで、自分自身の名前でプレーし始めました。
以前よりも、自分の価値をストレートに届ける機会を得ることができました。当然最初は信頼などありませんし、収入もスーパーダウンです(おかげで生活はかつかつです笑)
それでも、自分の志どおりに行動している今は清々しい思いで、日々をすごしています。所属していた会社から、様々な立場、様々な業界のお客様のサポートしていくことで価値づくりに日々全力を尽くしています。
日々お仕事をいただくお客様や後ろ盾いただいた方々全てに感謝の思いが絶えません。
きっと誰しもに起こりうること
僕は、僕みたいな人が、潜在的にきっとたくさんいるんだと思ってます。
自分の年齢が影響していることもありますが、それ以上に時代と環境がおよぼす影響が大きいと思います。
マーケッターの職業柄、昔と今の時代の変化そして未来展望に対して自分なりの見識と予測をたてているのですが、自分の生きる意義に対して向き合わざるをえない時代がきているのを感じます。
安定を投げ出してでも、叶えたい何かがあり、それを叶えるアクションをとる。
これについては、長くなるのでまた次回の記事にしますが、同じような感覚をいだく人がいたとすれば、それは稀有なこととして無視せずに、むしろ向き合っていく、一石を投じるきっかけになれば幸いです。