チームでの議論は否定的になるのか?
以前チームにペアプログラミングという手法を導入したときの話です。
チームで提案しているときはチーム全体が否定的な印象を受けたのに対し、その後、1 on 1で一人ずつ話をしてみると、全員がそこまでの否定の感情を持っていないということがありました。
こういう現象は一般的なものなのか?
仮説として以下を考えてみます。
個人レベルではチャレンジすべきと思っていても、チームでの議論の際には否定的な意見が優位になってしまうという法則はないだろうか?
よくわかる社会心理学(p108,集団意思決定[1])によると、
ストーナーの研究では、
個人よりも集団の方が、成功確率が低くてもリスキーな選択をしても良いと判断する傾向が見られた
とのこと。これをリスキーシフトと呼びます。
これは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のようなもので、僕の「チームの議論がチャレンジに否定的になってしまう」ということとは真逆の主張です。[2]
しかし、研究を進めていくうちに逆の傾向を示すシナリオがあることもわかってきています。これをコーシャスシフトと呼びます。[1]
さらにモスコヴィッチの研究により、集団の意見が個人の意見よりも極端になる「集団極化現象」と呼ばれるものが発見されています。
集団極化の原因として、社会的比較説と、説得的論拠説という2つの説明があるとのことです。
社会的比較説は集団の態度は集団の価値観に沿うように自らの態度を変化させるというもので、
説得的論拠説は、話し合いで今までなかった論拠に接することで意見がシフトしていき、集団極化が起きるというものだそうです。
つまり、集団の話し合いの結果は穏便よりも極端に触れる場合が大きいということが言えそうです[3]。
集団極化の社会的比較説に則って考えてみると、チームにリスク回避的な価値観が醸成されているために、チャレンジを回避しようという議論の流れになってしまうというのは納得できる話です。
一方で「沈黙の螺旋」というものを考えてみます。(よくわかる社会心理学 p138)
「沈黙の螺旋」仮説は、「自分が少数派である、あるいはそうなりそうだと認知した人は孤立を恐れて沈黙し、自分を多数派だと認知した人は声高に発言する」
これにより少数派の沈黙が多数派の雄弁を生み、それが少数派の沈黙を生むということが起きます。
しかし、積極的に新しい意見や行動様式を広める「アバンギャルド」や、伝統的な価値観を堅持する「ハードコア」という人々は孤立を恐れず、臆せず意見が言えるので、「沈黙の螺旋」が生じないとのことです。
沈黙の螺旋については否定的な主張も結構あるようです。
どちらにせよ、
集団での話し合いの帰結が極端になる「集団極化」と、
多数派と思われる意見が少数派の沈黙を生み出す「沈黙の螺旋」
は僕の経験に納得をもたらす主張です。
集団での意思決定が極端になる可能性があるので、小さなグループでは、1 on 1で一人一人の意見を聞いてみるというのも実際のメンバーの考えを知り、極端な意見への対策として有効でしょう。
こうすれば僕の経験したように、「自分の主張に誰も賛成してくれないと思っていたら、意外とみんなそこまで反対していなかった」ということが起きるかもしれないです。
また、「集団極化」の社会的比較説などにもあるように、組織の文化や、多数の意見というのが、集団の意見の大きな要因と考えられるので、チャレンジングな文化醸成が根本解決には重要でしょう。
まとめとしては
- 「集団極化」で集団での話し合いの結果は極端に流れるメカニズムがある。
-「集団極化」の対策として1 on 1が有効そう。
参考にしたもの
[1]
[2]
[3]
キャス・サンスティーン 「熟議が壊れるとき」を引用されています。