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青島奮闘記
はじめに
※あくまで自分自身の記録が目的ですのでご容赦ください
2021年7月末から9カ月間,仕事の都合で中国山東省の青島(チンタオ)に駐在していました.
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refer to Wikipedia
4/20には帰国していたのにも関わらず,1ヵ月以上経過してしまいました.正直こうやって考えて文章を書くことすら何もやりたくないほどに無気力な状態になっておりました.最近ようやくやる気がフツフツしてきたので書こうかなと
駐在だったので生活の中心はもちろん” 仕事 ”.仕事の詳細を書くことができないので,ふわっとした内容しか書けませんでした.残念
それでは,青島での9カ月の感想をば
久しぶりに”必死”だった
まず9カ月を振り返って真っ先に感じたのがこれでした.
帰国1ヵ月無気力状態になる反動を受けるくらいに集中してたし,気を張ってたんだと帰国して改めて実感しました
青島での仕事は,今まで日本でやってなかった仕事に初挑戦なものでした
知識もほぼゼロ
仕事のやり方もさっぱり
言葉も理解できない土地で暮らしながら新しい仕事をやるのは相当なストレスでした
(あ,中国語は一切勉強せずに飛び立ってます.仕事は基本的に英語)
生活においても真剣に選択しないと日本人に舌に合うものは食べられない
言葉も通じない中で髪の毛を切ってもらう.(質問されても全部OKとしか言えない…)
日本で当たり前にできること,それをやるためにとっても苦労しました
ないものづくしな生活で,本能的に危機感を常に抱いていて,気が休まることが少なかったのかなと今振り返ると思います
駐在前も日本での生活でぬるぬる暮らしてたつもりはあんまりないです.直前まで本業もだいぶ頑張ってたし,副業したり色んな挑戦もしてました.それでもそのときの挑戦では必死になったという気持ちはあんまり感じてないんです
たぶん,理由は2つ
今までの延長線上にある挑戦だったから
挑戦自体は新しいことが多かったです.でも,今まで出来てたことの組み合わせでなんとかなる挑戦が多かったように思いますセーフティーネットがある生活だったから
青島だと、家族や友達が近くにいる、美味しいご飯にすぐありつける、こうした”当たり前の幸せ”が奪われているような生活でした
※もちろん9カ月もいると,中国でも大切な友達はたくさんできました
彼らのおかげでこの駐在を乗り越えられたと言っても過言ではないです
本当にありがとう
たくさん学びがあったよ
大変な9カ月でしたが,青島での生活を通して感じたこと,学んだことも多々ありました.箇条書き的に書いていきます
圧倒的に視野が広がった
超絶ありきたりですみません…
海外で9カ月生活したことで,日本を客観的に見れるようになった気がします
生きることへの自信がついた
コトバを理解できずとも,なんとか生活できたことで自分のさらなる可能性を感じられました
(もちろん,日本人がいて,英語もしゃべれる中国人と知り合いだったからだけども…)
中国人の友達を作って仲良くなれたし,1人で旅行もできたし,まぁなんとか仕事もできました
「青島での9カ月を考えれば、まぁなんでもできる」
って”根拠のない”自信を得られた気がします
当たり前が当たり前じゃない
中国の文化は日本人には理解できないものも多かったです(電車では出る人が優先とか、中国じゃ通用しない)
ゴハンもどこでも美味しいわけではないし,ちゃんと選ばないと食欲すら満たせない…
視野が広がった話と重なるけれど,日本の普通は”日本”だけの普通なんだと気づけたのも大きな学びです
不自由であることの恐怖
中国,日本とも当時は隔離が厳しく,フライトしても2週間~1ヵ月くらい自由に動けないような状況でした
もし大切な人に何かあったとき,すぐ助けられないことがすごく怖かった
こんなことに恐怖を感じると思わなかったから、日本では決して見つけられなかった自分にとっての大切なものでした
他にも…
何がなんでも助けたいと思える仲間が人生を豊かにする
自分が熱中してる時間だけでなく、熱中してる人たちのサポートができる時間も貴重
大切なともだちができた
新たな趣味 ”登山” ができた
疲れたとき、あんこが最高に美味しい
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私の30%は肉まんでできてたかも?(たぶん、うそ)
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彼らは中国語しか喋れずで、身振り手振りだけでとてつもなく仲良くなった
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山頂で飲むコーヒーが最高
さいごに
必死に生活してたと書きましたが、その分充実もしていて、実はまた海外での駐在したいなという想いがちょびっとあるのも本音です。
でも帰国していつまでも脳内が中国のことだらけでは前に進めないなと思うし,帰国して1ヵ月経ち,ようやく 次に進みたい とフツフツしてきました
脳内の青島での思い出を圧縮して,次に進もうと思い,まとめた奮闘記でした。
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