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日本での大学中退からアメリカ・シアトル留学へ


わたしは、小さい頃から音楽やミュージックビデオを楽しむのが大好きでした。

幼稚園にいる頃はモーニング娘。のテレビを観て、高校生からは椎名林檎さんなどのライブを楽しんでいました。


高校を卒業する頃に、大学をどうしようと考え、もともとしたかったアメリカ留学もしくは日本での大学か。

ずっとモヤモヤ考えている間、とりあえず受けたある大学の試験に合格し、じゃあ入ろう、と日本での大学進学を決めました。


そこで経営学部に入り、吹奏楽部にも入り、一年ほど大学での生活をしていました。

そして春、一年生から進級となり、四年生が卒業。

いろいろな先輩と話し、就職の話をしました。

その時期から、このままでいいのか?と考え始めました。

そもそもあまり興味のなかった経営学部。正直、寝ていても出席さえしていれば進級できるシステム。

このままなんとなく四年を終え就職するときに、納得のいく就職はできるのだろうか?

これまで生きてきた20年前後よりもさらに長い、働いて自立する時間。

就職し、働いていくにつれ、こんな仕事がしたい、と30歳くらいで違う道を志すことがあるかもしれない。だけどまず、いまの自分に納得していない。あとあと悩むくらいなら、いま苦しんでおいたほうが未来で楽になれるだろう。

だめだ、このままここにいて今をただ過ごすのは嫌だ、と思い、二年生の秋頃に大学を中退。アメリカへの留学を決意。

一年半いた大学の退学手続きは驚くほどあっという間で、ほんの1分ほどで終わりました。紙に署名し、学生証を返還し、「ありがとうございました」と言われ、あっけない終わり。

そんなもんなのか、と思いながら大学を後にし、留学の準備を進めました。


日本で大学を中退するという話をしたとき、「せっかく入ったのにもったいない」「留学なんて怖くて考えられない」と言ってきた人たちもいましたし、その気持ちも理解はできますが、じゃあわたしの未来の責任取ってくれんの?いまわたしがしたいことにわざわざそういうことを言ってくる意味は?と思いましたが、納得ができる答えをくれる人はいませんでした。


幸運にも、兄も過去にワシントン州シアトルに留学経験があり、そこには親戚がもともと住んでいたので居候させてもらえ、いろいろな情報を教えてもらえることに。


環境に恵まれていたこともとてもありがたいくありましたが、大学を中退したので、もう簡単に戻れないし、戻りたくないと覚悟を決めました。

留学の決意を受け止めて優しく見送ってくれた友人たちに恥ずかしい終わりを見せたくない、と自分を追い詰めました。

それと同時に、留学したとてまだ何がしたいのか明確に決まっていなかった焦りもありました。


そしてその冬からシアトルに移り、大学で英語を学ぶクラスESL (English for Second Language) を取ることに。

来てすぐの頃は英語もうまく話せず、何を聞かれているかもわからず、友人の作り方もわからず、日が経つごとに落ち込んで行きました。

シアトルは雨の街と言われるほど、冬になると雨と雪が多くどんよりしていて、それらに後押しされるようにどんどん辛く暗い気持ちに。


そんな風に始まったアメリカ留学、楽しいことばかりではないし、何が起こるかなんてわからないし、それでも言えることは、わたしはこの時期があったことにとても感謝しています。

辛いことがあるからこそ幸せなことのありがたさが見えるように、自分自身と向き合えることができ、今の自分の基盤がこの時期にできたと思っています。

この辛い時期がなく、そのまま日本に残ってただ単に生きていればどうなっていたのか、想像もつきません。

シアトルにあの時期に来ていなければ、いま周りにいる大事な人、たまに会って一緒に笑える人、いま好きな音楽、目指している仕事、これらすべてに出会っていなかった、ということです。

この道が良かったのか、もっといい道があったのかは分からないし、少なくとも、どうなろうが自分の未来を自分が納得できるものにしようと思えるようになったのはシアトルに来たからだと思います。


ここに書ききれないたくさんの出来事もありますが、それも追々。

何か考えるきっかけになれば幸いです。

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